北杜夫氏からの数多のご厚情を頂いた事はたびたび書いているとおりである。
北氏は私の知る限り生涯で3回の躁病の期間があった。一回目は「どくとるマンボウ共和国」という
他愛の無いものだったが、2回目は「株」にはまってしまい、信用取引まで始めた為に巨額の借金を背負う
結果となった。株は家訓で禁止されているように、リスクが高いもので個人投資家が儲ける事はほぼ無いのに。
ちなみに信用取引というのは、証券会社に数千万の供託金を払わなければならないが、その供託金がある為に
普通の取引よりも巨大な金額を売り買いできる制度なのだ。だから、場中(証券取引ができる時間)は、
ひと時も株の情報を聞き続けなければならなくなり、トイレにもうかうかと入れない状態になるものなのだ。
北氏は早い話素人の投資家であり、軍資金が沢山ある機関投資家にかなうはずも無く、さらに、少しの値動きで
売り買いをするので、手数料もばかにならないのだ。ただその事すら忘れてしまっていて(まっくらけのけより)
儲けは少なく損ばかりしていたので、さすがの北家も破産状態となりはじめていた。
その為出版社に前借をしたりしはじめて、これにはさすがに奥様も困り果てて旧知の出版社には北にお金を
貸さない様にと厳命したそうだ。それでも北氏はある出版社に例えば寄る電話して「金庫に4000万あるはず
だからすぐにもってこい」などと命じたそうである。さらに新しい出版社に原稿を書くともちかけてその原稿料を
前借するなどしていたそうだ。結論を言えば残ったのは大きな借金だけだった。
私も株にはまったことがあるのだが、程度の差はあれ8000万程の損害をだしてしまった。
そのいきさつは「まっくらけのけ」等の著作に書いてあるが、この損害を埋める為相当苦労したと、
後日夫人はインタビューに答えている。
この躁病の期間はあまり手紙を頂く事ができなかったのだが、その頃になると私にはひとつの希望があった。
それは、北杜夫の研究者になりたいというものであった。
なぜかといえば、北氏の著作から抜粋した本「北杜夫による北杜夫」が出版されたのだが、それは
北氏の著作を全て読み込まなければ書けないようなものだったのだ。どの本のどの部分から引用しているか
私は全て判ってしまった為に、それならば私にもできたに違いないと想ったからである。
さらにいえば、氏の著作には一切触れられていない本当に個的なお話を手紙で受け取っていたからである。
なので、私は手紙に「先生の人気とは裏腹に先生の事を研究する人がいないのは理不尽であり、その損失は
文壇にとどまらずに日本の国家的な損失であり、株での損失よりも大損害であると想うので私が先生の研究をし
てみようと考えております」と書いて送ってみた。
ほどなくして、氏からの返信があってのだが、それはもったいぶって次回に書こうと想うのである。
(またまた続くのだ)