「苦虫」について「苦虫を10匹かみ締めた」という表現を最初に用いたのは北氏である。
「苦虫を噛み締める」というのが本本の日本語だが、おそらく北氏がエッセイで使い読者の多くが壷にはまった表現
であり、未だに多くの文章で使われているのだが、やっぱり元祖は北氏であると宣言してしまうのです。
人を笑わすのは文章でも会話でもなかなか難しいのだが、電車などで読んでいると思わず噴出すに違いなく
ひとりで本を読んでプゥッと噴出した後の、微妙な周囲の目線や雰囲気が気になる小心者は、自宅で
できれば自分の部屋で読む事をお勧めする。
もっとも私は勤めた事がないので、満員電車の雰囲気は余り知らないのである。
でも3度位は乗った事があるが、あの、おしくら饅頭よりはすし詰め状態がよい。なぜなら言うまでも無く
饅頭よりすしの方が好きだからである。
それはさておきサラリーマンにとっては、通勤は必項であるが、どう言う訳だか新聞を16折位にして読んでい
る人がいる。しかし、さすがにページをめくる余裕は無いらしく、こ一時間同じ紙面のままか、ひっくり返した裏面画
関の山でしかも折り方のせいで、文章の途中ばかりなのであり、どうせならちゃんと読めるようにしてもらいたいと
願う次第である。毎日そんな状態だろうから、私ならば3日ともたないに違いないし、結果としてフリーランスの
フォトグラファーになれたのは、おそらく神様の采配だと想う。
そういえば北氏の口癖は「神様」とか「無礼な」「助けて」とかだったような気がするが、手元に本が無いので
少し間違ったかもしれない。
ところで、北杜夫を敬愛する多くの読者にはマンボウ派と幽霊派に分かれているらしい。
マンボウ派は言わずもがなだが、幽霊派とは、初期の感傷的な作品である「幽霊」の系譜を辿る純文学派と
いうことを指すらしい。
エッセイの名手である以上に芥川賞を受賞した「夜と霧の隅で」を筆頭にこれまた沢山の作品群がある。
「白きたおやかな峰」という著書では三島由紀夫に「白きたおやかなる」が日本語の表現として正しいと
口をすっぱくして言われたそうである。
三島由紀夫といえば、これまた昭和の大作家で北杜夫からすれば文壇の先輩にあたるので、無下にする訳に
いかず・・・・と云った事情があった事を著書で披露している。
なるほど大変なことだなと想っていたが結局は自分の語感に重きをおいて三島の提言を跳ね除けたそうである
(つづく いつか迄)