狐狸庵(こりあん)は遠藤周作が純文学以外の軽いエッセイを書くときに使っていた名前だ。
北杜夫との親交も篤く共著、対談集などが多数もある。
遠藤周作は幼児洗礼を受けたカソリック教徒でありその人生においてキリスト教徒に自らの意思でなった訳では
ないことに対する葛藤が、初期作品群のそこかしこにあらわれている。
とりわけ問題となったのは日本の切支丹を取り上げた「沈黙」である。そう、信長の時代に日本でも
キリスト教徒がいたのである。ただし、これはポルトガル等の植民地化政略のひとつとして宣教師を使っていた
のだが、知識欲旺盛な織田信長の跡の秀吉の突然の禁教令により、貿易も勿論だが宣教師も入国を
禁止された。そうした中でも、隠れながら信仰を守り抜いた人びとがいたのだ。その為に日本人が
ローマ法王から聖人に認められた経緯があるがそれはこの時代に起きた事なのである。
沈黙は弾圧下にある切支丹と宣教師の物語であるが、神はもがき苦しむ人に対しても沈黙をたもったという
表層的な理由で、「キリスト教関係者からは禁書扱いに」なったのだった。
20世紀に「禁書」なんて考えられないだろうが事実であり笑い種でもある。
もっとも「沈黙」は昔からある二律背反に素材を当てはめただけだというのが私の読後の感じだった。
遠藤はローマ法王との謁見に感動していたのでるから、少々意外に思えた。
晩年は車椅子生活であり、その憔悴した姿に、突っ張りきれなかった人生、つまり洗礼も死も遠藤にとって
不本意な形で終わりを告げたようなきがしてならない。