歴史と自然への訪問記

福岡を中心に探索・活動しています。歴史と自然が好きです。日々感じるまま綴っていきたい。

細石神社 祭神:木花開耶姫、木花開耶姫とは...

2010年07月14日 | 歴史

祭神:磐長姫 (姉)、木花開耶姫 (妹)

細石神社の場所は、筑肥線の波多江駅の南方向 2km 程の所にあります。

神社の創建年代は不明。昔は大きな神社だったようですが
豊臣秀吉が九州征伐の際、社領の田畑を没収したため衰退したようです。
なぜ、秀吉は神社から田畑を没収したんでしょうか。

前々回の、志登神社の記事で山幸彦と海幸彦の話をしました。
細石神社の祭神である木花開耶姫は、山幸彦と海幸彦と関係があります。

また、近くの高祖山にある古社の高祖神社も細石神社と関連があります。
高祖神社は、後日、記事を書きたいと思っています。
また、細石神社は君が代と関係があるといわれていますが
それは、また別の機会に。

鳥居からの全景を撮りました。鳥居の奥に本殿が見えます。



本殿です。鳥避けの為かネットがかぶせてありました。
左右に狛犬がおります。

磐長姫、木花開耶姫についての神話を要約してみました。

天孫 邇邇芸命(ニニギノミコト)が笠沙の岬で木花開耶姫(コノハナノサクヤビメ)と
出逢い見染めてしまう。
木花開耶姫は、大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘です。
邇邇芸命は、天照大神の命により天孫降臨してきた(地上を統治するため天より降りる)。

大山津見神(オオヤマツミノカミ)は、磐長姫(イワナガヒメ)、木花開耶姫 姉妹の2人を邇邇芸命に嫁がせる。
しかし、邇邇芸命は、美人ではない姉の磐長姫は送り返し、美人である妹の木花開耶姫とだけ結婚する。

大山津見神は、娘を送り返されたことに、おおいに怒り、娘2人を奉ったのは、
磐長姫は天孫が永遠のものとなるように、木花開耶姫は栄えるようにと思ってのことだと言う。
そして磐長姫を送り返したことで天孫の寿命は短いだろうと言った。

木花開耶姫は、邇邇芸命と結婚し一夜で懐妊する。

邇邇芸命が言う。木花開耶姫は、一夜で懐妊した。この子はわが子ではない。

木花開耶姫は、疑った邇邇芸命に対し言う。
この子が、天の子であれば、どのような状況下でも産めるはず。

そう言うと、産屋として、戸の無い八尋殿(8ヒロ、16m位の大きな建物)を建て、
土で建物を塗り固め、その中に入った。
そして、建物に火をつけ、燃えさかる火の中で3人の子を産んだ。

最初、火が轟々と勢いのある時に生んだ子は、火照命(ホオリノミコト:山幸彦)と名づけ、
次に、火が落ち着いてきた時に生まれた子を、火須勢理命(ホスセリノミコト)と名づけ、
最後に、火が細くなったきた時生まれた子は、火遠理命(ホデリノミコト:海幸彦)と名づけた。

木花開耶姫は、気丈な方だったのですね。
細石神社の神殿は東の方向、山幸彦を祭っている高祖神社の方向を向いています。
細石神社の祭神:木花開耶姫と、高祖神社の祭神:山幸彦 は親子だったのですね。
昔は大祭の折、高祖神社の神輿が細石神社にやってくるのが慣わしだったとか。

神社とその祭神、伝承、神話を調べていくと、
神社と神社が糸のようなものでつながっていくような気がします。

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