歴史と自然への訪問記

福岡を中心に探索・活動しています。歴史と自然が好きです。日々感じるまま綴っていきたい。

志登神社の祭神 豊玉姫命そして山幸彦と海幸彦の話です

2010年07月11日 | 歴史

今回は、延喜式内社 志登神社 に行ってみました。
神社は筑肥線の波多江駅より北方向約1kmの所にあります。

創建は不明ですが醍醐天皇が制定した延喜式内社に記載された由緒ある
古社です。どんな神社だろうと思い行ってみました。

この石碑に書かれている延喜式とは何かと調べてみました。
延喜式神名帳のことで、延長5年(927年)に作成された全国の官社一覧です。

記載された神社は延喜式内社、式内社、式社ともいい、
ひとつの神社の社格となっているようです。
つまり、志登神社は、延喜式神名帳に記載された社格のある神社です。

参道から神社を撮影しました。緑の木々に覆われて神社が見えます。
神社の御祭神は、豊玉姫命です。
配祀は、和多津見神、息長帯姫命、彦火火出見尊、武内宿禰命です。



神社に入り鳥居から本殿を撮影しています。
神社は可也山の方向を向いており、可也山には神武天皇を祭った可也神社があることから、可也山の方向を向いているのは意味があるようです。



御祭神の豊玉姫命について調べてみました。
豊玉姫命は、海の神・綿津見神(ワタツミ)の娘で、山幸彦と海幸彦の神話にでてきます。山幸彦(火照命:ホデリノミコト)と海幸彦(火遠理命:ホオリノミコト)の話を要約してみました。

山幸彦は猟師として獲物を捕り、兄の海幸彦は漁師として獲物を捕っていた。
山幸彦の提案により両者の猟具を短期間だけ交換し、それぞれ猟(漁)にでたが
何もとれないばかりか山幸彦は海幸彦の漁具(釣針)をなくしてしまう。
山幸彦は自分の剣から釣針1000本作り返そうとするが許してくれない。

山幸彦が嘆き悲しんでいると、塩椎神(シホツチノカミ)が現われ
何を悲しんでいるかと問われ、事情を話すと塩椎神は小船を作り
その船に乗せ海の神である綿津見神(ワタツミノカミ)の宮へ行かせる。

船に乗り綿津見神の宮に着き待っていると綿津見神の娘の侍女が
水汲みに出てきた。山幸彦が水を所望するので差し上げると
飲まず器に首からかけている玉を器に入れると離れなくなり、
侍女はその器の事情を豊玉姫命に話す。
豊玉姫命は外に出て山幸彦を見るなり惚れてしまう。
綿津見神も出てきて、天津日高の子、虚空津日高(火照命)であると言い
山幸彦(火照命)と豊玉姫命を結婚させる。

やがて3年過ぎた日に、山幸彦(火照命)はここにきた事情を思いだし溜息をつく。
豊玉姫命はそのことを父の綿津見神に話す。山幸彦(火照命)は綿津見神に
溜息の事情を問い、話を聞くと海の神の綿津見神は大小の魚どもを集め問う。
釣針を知らぬかと。
釣針を飲み込んで餌が食べられない赤タイがいることを知り釣針を取り戻す。

海の神である神綿津見神は山幸彦(火照命)に対し、こう言う。
釣針を兄に返す時、この針は、おぼ針(憂鬱になる針)、
すす針(心が落ち着かなくなる針)、貧針(貧しくなる針)、うる針(愚かになる針)
と言いながら、手を後に回して渡しなさい。
兄が高い土地に田を作ったらあなたは低い土地に田を作り、
兄が低い土地に田を作ったらあなたは高い土地に田を作りなさい。
3年の間に必ず兄は貧しくなる。
もし兄が攻めて来たら鹽盈珠(しほみつたま)を出し溺れさせなさい。
そして許しを請うてきたら鹽乾珠(しほふるたま)で命を助けなさい。
と言われ、鹽盈珠と鹽乾珠も授かる。
神綿津見神は、和邇(ワニ:佐比持神(サイモチノカミ))に火照命を乗せ送り出す。

山幸彦(火照命)は海の神に言われた通りに言い釣針を海幸彦(火遠理命)に返す。
言われた通りに田を作るうち、兄は貧しくなり心も荒れ海幸彦は攻めてきた。
鹽盈珠で防ぐうち、海幸彦は山幸彦に許しを請い鹽乾珠で命を助ける。

その後、山幸彦(火照命)と豊玉姫命の間には子が生まれる。
名を天津日高日子波限建鵜萱草萱不合命(アマツヒコヒコナギサタケウガヤツキアヘズニミコト)と名づけた。

天津日高日子波限建鵜萱草萱不合命は、やがて海の神の綿津見神の子、
玉依媚毘売(タマヨリヒメ)と結婚し子が4人生まれます。

その第4子が、後の初代天皇である 神武天皇 となります。

これで、御祭神の豊玉姫命とする志登神社が可也山の方向を向いている
意味がわかるような気がします。

図書館から神話や神社の本を借りてきて、
昔の言葉でかいてある原文?の文章と訳された文章を自分なりに
まとめて書いているとき思いました。

神話って結構おもしろい。


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