歴史と自然への訪問記

福岡を中心に探索・活動しています。歴史と自然が好きです。日々感じるまま綴っていきたい。

最近、五重塔をお披露目した博多の東長寺へ行ってみました

2011年06月08日 | 歴史

博多駅の博多口から歩いても10分位かな? 地下鉄の祇園駅近くにあります東長寺(とうちょうじ)へ行ってみました。
真言宗の寺院だそうで、山号は南岳山、別名「東長密寺」ともいわれます。伽藍には本堂のほか、六堂、大仏殿、五重塔などがあり、福岡藩2代目藩主の黒田忠之公のお墓もあります。

ここは、九州における真言宗九州教団の拠点寺院になっているそうです。また、 九州八十八カ所第一番霊場・九州三十六不動尊結願霊場・九州二十四地蔵尊第二十二番霊場でもあります。このお寺の付近には、ほかにも寺院が密集している所です。

このお寺は、大同元年(806年)、弘法大師の空海が唐から帰国した際、博多滞在の折に密教東漸を祈願して建立したとお寺に伝えられているそうです。盛況だった時代もあったようですが、その後、永禄・天正の兵火に焼け荒廃してしまいました。
福岡藩2代目藩主の黒田忠之の時代に、寺禄300石と山林15万坪(約50万km2)を寄進し、現在地に再興し菩提所としました。

ここには大仏があります。大仏殿の横から地獄の道があり疑獄絵が絵が数多く画れており、なかなか楽しめます。
さらに進むと、闇夜の通路となり、光がまったくなく何も見えません。手すりだけが頼りです。1センチ先も見えません。そこを通り過ぎると明るい天国? 現世? にたどり着きます。ちょっぴり怖かったというか不安だったですね。明るいところへ出たらほっとしました。ここの大仏は、福岡大仏といい、平成4年(1992年)に完成した高さ10.8メートル、重さ30トンの檜造の釈迦如来坐像です。像高10.8メートルは、人間の煩悩の数(百八とされる)にちなむものだそうな。

このお寺を再興した、黒田 忠之(くろだ ただゆき)は、筑前福岡藩の第2代藩主です。境内に大きなお墓があります。
慶長7年(1602年)に、黒田長政の長男として福岡で生まれる。黒田長政の父親は、羽柴秀吉に天下をとらせたといわれる黒田孝高(如水)です。如水が、もう少し早く生まれていたら天下をとったかもしれない人物です。
また、長政も父親に似てなかなかの策士で、徳川家康の天下取りに猛烈に働き関ヶ原の戦いの勝因を作った男としても有名ですね。

江戸時代の前半は大名の取り潰しが頻繁な時代で、油断も隙もない頃ですから、将軍家から誤解や睨まれたら終わりです。2代目当主の 忠之の苦労も並大抵でなかったと想像できます。寛永9年(1632年)に家臣の栗山利章(栗山大膳)と対立し、栗山に「黒田氏謀反の疑いあり」と訴えられてしまう。これが黒田騒動であり、黒田氏は改易の危機に立たされたが、幕府が栗山は「精神的に異常である」と裁断したため、改易は免れたそうです。承応3年(1654年)、福岡で死去しました。



■寺院の案内板です。ここは、お昼時になると、結構お客さんが多いです。食事している人も多かった。


■お寺の門です。


■最近、話題の五重塔です。確か木造の五重塔です。できたばっかりのピッカピッカの塔です。
木造の塔で新築するのは、昨今珍しいそうですね。


■五重塔の最頂部です。


■ちょっと離れて、もう1枚


■下から、もい1枚


■黒田 忠之公のお墓を赤い矢印が指しています


■黒田 忠之公の墓所です。


■隣にも大きなお墓が。誰のでしょうか


■さらに、他にも。


■本堂の全景


■九州八十八カ所第一番霊場・九州三十六不動尊結願霊場・九州二十四地蔵尊第二十二番霊場の札所です

ここに大仏様があるのは、ここまでくるまで知りませんでした。長いこと福岡には通勤しているのに。
ぜひ、大仏様横から入る地獄絵図から天国までの道、歩いてみてください。
太陽の光の、ありがたさが、わかります。



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