歴史と自然への訪問記

福岡を中心に探索・活動しています。歴史と自然が好きです。日々感じるまま綴っていきたい。

加藤 清正公を訪ねて

2011年12月04日 | 歴史

今回は、加藤清正を、本妙寺に訪ねてみました。
ここは、清正公の菩提寺でもあり、今も浄池廟に清正公が静かに眠っています。
清正は刀鍛冶の加藤清忠の子として、今の名古屋市で誕生、父親の死後、母親とともに秀吉、ねねのもとを訪ねて以降、秀吉に仕える。秀吉は清正の器の大きさをを見抜き可愛がったといいます。
清正は秀吉に恩義を感じ一生忠義を尽くしました。
清正の功績は熊本城を代表とする卓越した築城術のほか、
治水、振興の業績面でも肥後熊本の人々にとってよき領主であったようですね。
清正が肥後を収めたのは、せいぜい25年位でしょうか。でもその25年の歳月は数百年の歳月に相当する業績であったようです。
清正は死後、遺言により城の北西の地に葬られた。そこに廟堂を建て浄池廟と称した。
その後、寺も火災にあい、再建時にここ浄池廟の地に移転してきたという。
ひとつの山全体が寺院の如くに感じました。浄池廟の裏手に石段があり、その数300段あります。
それを上りきると広場があり、清正が鎧を着、長烏帽子姿をかぶり槍を持った立ち姿の銅像があります。
その広場からは熊本市内が広範囲に見渡せます。
その姿は、今でも肥後の国を守るため睨みを利かせているといった感じでした。
さて、行きましょう


■上に見えるのは山門ですね。この石段を登って行きます。この山門には仁王が両脇に
いますが、さらにトラ?が、それぞれの横にいるんですね。


■山門をくぐり、さらにずーっと先まで歩きます。両脇は○○院というのが並んでいます。
ここは車でも横道から入ってこれます。まあ、歩きましょう。健康にもいいし。


■本堂です。ここは庭の紅葉がきれいでした。紅葉というより黄葉かな

■銀杏の黄葉がきれいでした。


■地面が、真黄色です。青空と銀杏の黄色が合いますね。


■沿道の横には清正の子、忠広等の墓がありました。それができたのは300年以上も
たった昭和になってからです。忠広は清正の死後に改易されました。
また、ここの左下に元巨人軍の吉村選手の墓もあります。


■たぶん、これが忠広や妻、子の墓と思います。今は、
父親の墓のそばで眠っているのですね。


■さて、最初の石段もおわりです。何か見えてきましたね。


■清正の浄池廟の拝殿です。この後ろに浄池廟があります。

■浄池廟です。建物には、いろいろと彫刻や色彩が施されています。
この浄池廟の真下に清正が静かに眠っているそうです。
また、この横に宝物館があり清正、忠広が使った鎧や兜などが展示されていました。

■浄池廟の裏手に、また石段があります。300段あります。
この石段を登りきると、清正の銅像があります。


■階段を登り切りました。疲れました。
でも銅像がみえてきましたね。もっと近づいてみよう。


■たどりつきました。


■アップです。


■横から‥


■後ろから‥

今日は、青空に恵まれた天気で、いい汗かきました。
ここまで来てよかった。
清正さん、ありがとう


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