三瀬は、北山ダムの近くにある神社です。
西暦268年に建立された神社です。現在は西暦2011年ですから1700年以上も前から、何らかの形で存在した神社ということになります。当時、大陸から日本へ渡ってきた人々の神々を祀っていたのが最初かもしれませんね。
西暦268年というと、どんな時代だったのでしょうか。西暦240~248年頃、邪馬台国で有名な「卑弥呼」が亡くなります。その後、男の王を立てたが国内は乱れ、女王「壱与」を立てて国内を鎮めた。小国家の時代から大和政権による国内統一へと動き始めた時代、そんな時代に建立された神社で、この辺では一番古くからある神社ということになります。
この野波神社は、もともとは別の場所にあったらしいのですがダム建設により社地(明神原)が水没予定地となり昭和27年に詰ノ瀬山へ移築、昭和48年ゴルフ場建設により中谷山へ再移築したとあります。
神社に山門があるのは、神仏混淆(神仏混合)のなごりのようですね。神仏混淆とは、日本古来の神と外来宗教である仏教とが融合した信仰で明治に入り神仏希釈まで続きました。それまで神仏混淆は、ごく普通のこととしてとらえられてきたようです。
社号:野波大明神
祭神:仲哀天皇・神功皇后・武内宿弥・淀比吽大神(淀姫神)
合祀:手力雄命・久久能智命・武甕槌命・級長津彦命・素戔嗚命・大雀命・菟道穉郎子・菅原道真・源義経・十城別王
由緒によれば神功皇后が三韓征伐のため肥前より筑前へ通過の折、この地へおいでになり、宇土の大石(現在は北山ダムの湖底にあるそうです)に腰をおろして休息せられる時、一帯の風光を眺められて「最も能き野奈美哉」(さもよきのなみかな)と仰せられたので、この一帯を野波の里とよぶようになった。また、大石の前の河で御裾を麗がれたので、その地を渡瀬の手洗松と言い伝えられた。
その後、この地に御社を営み、古くから神埼佐賀七山(杠・関屋・小副川・菖蒲・畑瀬・松瀬・名尾)の宗廟として崇め、上下の信仰が厚かったといいます。明治43年、付近の神社を統合した結果「源義経」や「菅原道真」も合祀されています。
境内には、別に淡島明神を祭った小社殿があるとのこと。婦人病に効験あらたかとされていて、安産、長寿、海上河川の鎮護の神様です。
■野波神社の由緒書きです。古くから信仰ある神社だったのですね。
■鳥居です。少し階段を上ったところにある神社の山門です。
■鳥居をくぐり、階段を上って山門へと行きます。
■山門です。いい雰囲気がでています。山門の両脇には木造があります。
■木造は、どなたなのでしょうか
■反対側の木造です。
■階段の先に見えるのが本殿です。ここを登って行きます。
■本殿は、まだ新しそうですね。境内は手入れが行き届いていてきれいです。
■狛犬です。
■反対側にいる狛犬です。
■正面に見えている社が、淡島明神を祭った小社殿だと思われます
■境内の風景です。石碑は不明です。奥に見えているのは本殿です。
■境内の風景です。五輪塔でしょうか。
■帰る際に、境内から入り口にある神社山門の風景です。
この神社は、なかなか趣がありました。
写真は、最近とったものではなく昨年の終わりごろに撮影したものが揃っていたので使いました。
機会を、また作って訪れてみたいと感じています。
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