歴史と自然への訪問記

福岡を中心に探索・活動しています。歴史と自然が好きです。日々感じるまま綴っていきたい。

平戸城を歩く

2010年11月23日 | 歴史

今回は、長崎県の北部へ行く機会があったので、平戸大橋を渡って平戸城(ひらどじょう)に寄ってきました。平戸城は平戸藩松浦氏の居城です。松浦氏は800年の歴史があるそうです。平戸城の別名は亀岡城ともいい、三方を海に囲まれ天然の堀としている城です。本丸、二の丸、三の丸から構成された梯郭式の平山城です。

松浦鎮信は、豊臣秀吉の九州征伐に加わったことで、松浦郡と壱岐の所領を安堵されます。文禄・慶長の役の後、慶長4年 1599年に現在の地、亀岡に『日之嶽城』を築きますが、
慶長18年1613年に秀吉と親しかったため、江戸幕府の嫌疑を受けこの城を破却します。

松浦氏は、近くに御館を建てそこに住んだいたが、5代藩主松浦棟により元禄17年 1704年に幕府の許可を得て再築城を行う。山鹿流軍学に基づく縄張りだそうだ。

明治4年、廃藩置県により廃城となり、現存する狸櫓と北虎口門(搦手門)以外は解体される。
昭和37年、平戸市により模擬天守及び復興の見奏櫓・乾櫓・地蔵坂櫓・懐柔櫓を復興した。天守は3層で内部は5階となっています。


■平戸城の案内です。


■お城付近の地図です。平戸大橋を渡って平戸城への案内表示どおり行き、市役所前を通りすぎ駐車場へ。上を見ると天守閣が山の上に見えます。坂道を登って天守閣へ。


■坂道を登ります。そんなに長い坂道ではないけれど、普段の運動不足がたたって疲れました。若干、体も最近重たくなったので現在挽回中です。


■現存の木造遺構、北虎口門です。宝永3年 1706年建造のもの。石垣と石垣の間にのった『櫓渡り門』様式で藩主の私邸にもっとも近く二の丸御殿への通用門だったそういです。
ここを入って入場料金500円を払います。


■入口でもらったパンフレット 表。


■パンフレット 裏。


■城の古地図です。回りを海にかこまれている城なのがわかります。


■入口を入ったら井戸がありました。正面に四角のが井戸。中を覗いてみたら埋められていてお賽銭がたくさんありました。


■狸櫓です。多門蔵というのが本当だそうですが。


■狸櫓の由来の説明板があったのでパチリ。


■坂を上ります。


■天守閣です。これは駐車場から撮った写真です。


■天守閣です。これも駐車場の別の位置より撮った写真です。


■天守閣のそばから、横へ行って撮った写真です。


■見奏櫓ですね。天守閣の最上階から撮影しました。


■懐柔櫓です。天守閣の最上階から撮影しました。


■天守閣の最上階から平戸大橋を撮影しました。全長665mの朱色の吊り橋です。海の色と朱色がいい感じす。絵葉書みたいですね。


■見奏櫓です。


■懐柔櫓です。ここを通って亀岡神社へ行けます。


今回は、時間に余裕がなく平戸城の本丸とその付近だけ見て平戸の街まで周ることができなかったのが残念でした。
教会や松浦邸なども見たかったのですが...また今度、来よう!!


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