愛なる日常

大阪府枚方市に住んでいます。
地球でのお仕事は、茶道教授&ピアノ講師。
目に見えない世界のお話が好きです。天秤座。

三女神社

2020年05月11日 | 幸せ話
今日はスマホを持って出るのを忘れてしまったので
写真はありません

しかし
スマホを持っていなかったことにより
思いがけない出会いがありました


さて昨日
このような状況の中ですが
私は自宅で第22回クレモナ・コンサートを開きました

お客様が一人も来られなくても
演奏だけはしましょうと
音楽好きの三人で練習を重ねてきました


そして
昨日は5名の
これまた音楽好きのお客様が私達の演奏を聴きにきて下さいました


今日は無事にコンサートを行うことができたことを感謝するため
地元の石清水八幡宮に御礼参りに行きました


爽やかな青空と
瑞々しい新緑の輝き

そして鮮やかな朱色の神殿のコントラストが美しく
スマホを家においてきたことを後悔しました


実は昨日のコンサートのお客様の一人Nさんが
石清水八幡宮で奉職されているので
立ち寄って一言御礼を言いたいと思いました



ところが残念ながら
今の状況下で外部者は建物内に入れないことに
なっていました


彼女に電話すれば出てきてくれたかもしれないのですが
あいにく今日に限ってスマホを忘れ・・・



あきらめて帰りかけたところに
木陰で休憩している掃除のおばあさんが
巫女さんと立ち話をしていました



巫女さんにお願いしたら
もしかしたらNさんを呼び出して下さるかも・・と
声をかけたら

巫女さんではなく
掃除のおばあさんの方が

「Nさんだったら今日は出勤してるよ
私が社務所に電話してあげるから
階段の下で待ってなさい」


と言って電話を掛けてくれました


こうしてNさんは玄関を開けて出てきて下さり
無事に御礼の気持ちを伝えることができました


帰りに先ほどのおばあさんのもとへ戻って
御礼をして少しおしゃべりしていましたら

「あんたはこの近く?ここの神様はいいよ!とくに三女神社へいくといい」

とすすめて下さいました


石清水境内の末社「三女神社」は
その存在は知っていましたが
我が家には女の子がいないためか
これまであまり熱心にお参りしていなかったかもしれません

今日はおばあさんの言葉にしたがって
三女神社に行き
長男の彼女と次男のお嫁さんの幸せを願って
しっかりお参りしてきました



石清水八幡宮境内では
今日もカラスの声とウグイスのさえずりが聞こえていました





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中道ということ

2020年05月06日 | 愛のメッセージ

長引くコロちゃん休暇を
皆様どのように過ごされていますか

私は
気になっていた部屋の片付けや庭の草取りをしたり

近々行うコンサートのためにピアノの練習をしたり

時々は普段通りに外出もし

それから
これまでに読んだ本の中から
何となく目に止まった1冊を取り出して読み返したり・・・


主にそのように休日の日々を楽しんで過ごしておりますkirakira2




さて先日
本棚から何気なく取り出して読んだ本から
素晴らしい(と私が感じた)
メッセージをお伝えしたいと思います



「根本仏教 阿含経典講義」
著:増谷文夫 筑摩書房


「根本仏教」とは
著者の言葉を借りれば

「阿含部の経典によって知ることをうる釈尊直説の仏教」

ということだそうです


今回この本を久しぶりに開いて
目次の中でまず目に飛びこんできたのは

「正覚者の孤独」

という言葉でした


真っ先にそのページを開き
釈尊の人間性に触れることができた時
とても心が救われた気持ちになりました



そして

あらためて一頁目から丁寧に読み通してみて
心にズシンと響いたのは

「中道」という言葉でした

釈迦が説いた

「二つの極端に親しみ近づいてはならない」

という教えです

増谷先生は本書の中で
釈尊の「中道」の原理をわかりやすく解説され
最後にパスカルの「パンセ」にある次の一節を
ここで引用されています

「中間から逸脱することは
人間性から逸脱することである。

人間の偉大さは
いかにして中間に身を持するかを知る点にある。

偉大さは
中間から逸脱することにあるどころか
むしろそこから逸脱しないことにある。」

そしてこの項の最後に自身の言葉で

「そうだ、中道の真の根拠は人間性なのである。
人間がその人間性から逸脱したとき
それがなんで偉大であろうか。」


と結んでおられます


「中道」や「中庸」といった教えは
これまでに何度も耳にしたことがありますし
誰でも知っている言葉かもしれません


しかし
2020年
混沌の中にいるように見える
地球上の私達にとって
今こそ学ぶべき
大切なメッセージなのではないでしょうか




さらにもう一つ
私の心に暖かな火を灯してくれた言葉がありますので
それをここに書かせていただきます


「善き友情をもち
善き仲間をもち
善き交遊を有するということは

これは聖なる修行の”なかば”ではなくして
その”すべて”なのである。」




※この記事に共感して下さった方は
よろしければ

5月1日 お東さんからお稲荷さんへ

5月4日 稲荷山 

の記事も合わせてお読み下さいませ_(._.)_



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人それぞれ

2020年05月05日 | 愛のメッセージ
[[youtube:cGj-g0k_9q4]]

ブログ『愛なる日常』を訪れていただき
ありがとうございます


2020年庚子

世界中を巻き込んだ”コロちゃん騒ぎ”の意味は
いったい何でしょうか?

その答えは
人によってそれぞれに違う返事が
返ってくるかと思います


このブログに興味のある方は
物事をスピリチュアルな観点から
見る人が多いでしょうから

情報に惑わされることなく
きっとこれは
地球の進化のために起こっていることだと
前向きに受け止めておられる方が
多数いらっしゃると思います


それでもやはり
個々人のおかれた環境や
これまで歩まれた経験によって温度差はあり
感じ方・考え方とそれに伴う行動は人によって様々だと思います

そして人は
少しでも考え方や行動パターンが違う他人を見ると
蔑んだり妬んだり
時には自分と異なる存在を攻撃したくなることもあるようです



特に私が常々思っていることですが
音楽における不協和音のごとく

大きく波長が異なる場合よりむしろ
ほんの少しずれている対象に対して
より強い不快感を伴うことが
一般的に多いような気がします



とりわけ今のように
先の見えないストレスの中にいると
気づかないうちに
外側の渦に飲み込まれてしまって
自分自身を見失い
普段だったらしないような短絡的な行動に走ることにもなるのでしょう


それもまた
その人によっては
一つの体験であり修行なのかもしれません


私は普段から
自分と違う考えや生き方を
あるがままに認めて受け入れるよう
務めて努力しています


それは相手に迎合するという意味ではありません


自分と異なる考えや価値観を持つ人に
自分と同じになってもらおうとも思いません


そんなことにエネルギーを費やすより
むしろそういう人とは距離をおき

その人がその人の世界で
幸せに生きることを祈りつつ

自分自身はできる限り同じ感性の人とつながるよう
意識しています


自分と同じ波動を持った人とつながることにより
お互いの持てる力が共鳴・増幅し

より自分らしく生きることのできる現実が
現われてくることに気づいたからです



今これを読んでいるあなたが
今回の”コロちゃん騒ぎ”に
”恐れ”とは別の
何か”違和感”を感じていたとしたら

きっと私とつながる感性をお持ちなのだと思います


そしてインターネットでポジティブな発信をしている人を見ると
同じような波動を持った人達が少しずつですが
確実に増えているようです


ありがとうございます (*^_^*)


”ホケキョ”
piyosymbol7

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稲荷山

2020年05月04日 | 幸せ話

コロちゃんの御蔭?で
物心ついて以来体験したことのないような
ゆとりの日々を送らせていただいています


そんな中先日
ゆくりなくも伏見稲荷さんに導かれました

その日は稲荷山の途中にある奥社奉拝所まで行って
蝋燭を立ててお参りをして帰ってきました



私の家から
車でほんの30分ほどで行けるにもかかわらず
これまで伏見稲荷大社に足が向かなかったのは

あまりにも多くの人が押し寄せているのが
わかっていたことと
私の場合は
いわゆる『商売繁盛』というお願い事が無いからです



しかし
先日導かれるようにして
その境内に入らせていただいた時

この時期
人がほとんどいなかったことが幸いしたのでしょうか

想像していた現世利益的な雰囲気は無く
静けさの中
独特のスピリチュアルな空気を感じました


そしてウグイスの声がここでも聞こえ
自分が受け入れられているような気がしました


もう一度あらためて訪れて
稲荷山に入らせていただきたい・・・

そんな気持ちになって帰ってきました


それでも
そんなことは単なる思い込みかも・・・と
心は揺れていたのですが


昨夜
夜中中聞こえていた雨が
夜明けと共に霧雨となり

万事清められた天地に
透き通るようなウグイスの声で
目覚めた今朝・・

やはり今日行かせていただこう!という
気持ちになりました


朝食後
少しピアノを練習し
9時半頃家を出たので
10時頃到着しました





よく見ると烏さんが出迎えてくれていました


今日は
伏見稲荷大社では神事が行われる日だったようです

本殿に着くとちょうど神事が始まったところでした

例年なら
それこそ満員電車の中のように
人の波が押し寄せていたことでしょう


しかし今年は人の集まるお祭りは無く
「居祭り」の形でひっそりと厳かに行われていました


立ち止まって神事の様子をしばし拝見した後
お神楽の音を聴きながら
山頂を目指して歩き始めました











白狐社




鳥居を歩き始めると
今日もウグイスのさえずりが聞こえてきました



伏見神寶神社








青鷺です

今これを書きながら検索してみたら

ネイティブアメリカンの青鷺の意味は
自分で決めること
自分を信頼すること
進歩•進化


と書かれていました


途中四つ辻の所で
山頂への道が左右に分かれていました

どちらから行こうかな・・・と
迷った瞬間

左の道の奥を

白衣に身を包んだ神職の方が歩いている後ろ姿が見えたので
左の道に進みました

今あらためて検索してみたら
「左から回るのが正式」のように書かれていて
びっくりしました










眼力社(眼病と先見の明の神様)







ここまで来ると
次第に神聖な気が感じられます








薬力社(薬の神様)

ここではお蝋燭を立てさせていただきました



おせき社(咳・のどの神様)

正に今こそ必要な神様かも・・・



アカガエル?

因みに
カエルのスピリチュアルメッセージは
「前進」

「本来の自分に立ち返りなさい」
「本質を見極めなさい」

といった意味もあるようです







稲荷山山頂 一之峯 (上社神蹟・末廣大神)

せっかくここまで来たのですから
赤い小さな鳥居を一基
奉納させていただきました




三之峯 (下社神蹟 ・ 白菊大神)



午後1時半を過ぎて
お昼も食べずに歩いていたところ

前を歩いていた女性が突然振り返って
『ここ やってますよ~!』と
笑顔で声を掛けてくれました

飲食の出来るような茶店は
どこも閉まっていたので
ここでも食事は無理かな・・・と
思いながら中をのぞくと
お店のおばあちゃんがニコニコしながら
出てこられて

「うどんやったらできるけど・・・」


しばらく待っていると
おねぎを刻むトントンというリズミカルな音が聞こえ
やがてお出しの良い香りが漂ってきました




甘くたいたおあげのののった
きつねうどんです


この茶店で生まれて育ったという
御年83歳のおばあちゃんが

「戦争の時でもこんなことなかったですよ
なんか 腑に落ちんわ・・」

と子供のような可愛いお顔で仰るので

「そうですね・・・でも良いところに住んではりますね」

と申しましたら

「あんたも山に住んだはりますやろ」

と言われてちょっとびっくりしました

なんでわかったのかな?


午後2時半 最初にくぐった門まで帰ってきた時
私のすぐ右上を
烏がすうっと低空飛行で飛んでいきました


まるで「異界」をさまよって
この世に戻ってきたような
不思議な気分でした


思い返してみると

東本願寺のおばあさん

四つ辻で見えた神官さん

茶店を教えてくれた女性

茶店のおばあさん

何だか不思議と言えば不思議です

まさか御狐さま??


ありがとうございます
(ー人ー)


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お東さんからお稲荷さんへ

2020年05月01日 | 聖地


義父が穏やかに旅立ってから
早いもので
2ヶ月が過ぎました

今日は本山である
京都の東本願寺に夫とお参りに行きました


阿弥陀堂と御影堂にお参りをした後
御影堂門の側を通りかかった時のことです



一人のお婆さんが
丸太の腰掛けに座って休んでいました


目が合うと
突然私に話しかけてきました


初めは何を仰っているのかよくわからなかったのですが
よくよく聞いてみると・・・

さっきコンビニで買った小さなお寿司を
ここに座って食べていたら
「ここで物を食べないで下さい」と
誰かに言われたそうで
その言い方に対して大層ご立腹のようでした


もう少し優しく
「ゴミは持ち帰ってくださいね・・・」
とか言えないのか!
この寺はやり方が下手だ・・云々


私に話しかけているようなので
私は「うん うん・・・」とうなずいて
話を聞いていたのですが
あまりその話を繰り返されるので

「きっと仏様は全部見てらっしゃいますから
大丈夫ですよ」と

思わす彼女に言いました

すると彼女が突然真顔になって
ある話を始めました


それは
今から40年程前のこと

お金に大変困っていて
どの銀行からも融資を断られて失意の中にいた時
夢に伏見稲荷の神様?が現われたので
不思議に思い

わらをもつかむ思いで
伏見稲荷に信仰の篤いと聞いていた
あるお金持ちの方のもとを訪ねたそうです

すると
その家の奥さんがある銀行を紹介して下さり
融資を受けることができて救われたという話でした

その後
どうして自分のような「チンピラ」(とおっしゃいました)で
たいした賽銭も払っていない者が
救ってもらえたのか不思議で
伏見稲荷の宮司さんに聞いたことがあるそうです

そしたら
「あなたが無欲の人だからですよ」と言われたそうです


そして私に
「伏見稲荷に行ったことがある?」とたずねたので

「随分前に一度行ったきりです」と答えると

「行くといいよ」
と優しく仰いました


「いいお話をありがとうございました」と言って
彼女のもとを去る時には
つい先ほどまでの憤怒の形相が
いつの間にか
柔和な笑顔に変わっていました


伏見稲荷さんは
いつも大勢の観光客であふれかえっていて
何となく行く気がしなかったのですが

お婆さん(85歳と仰っていました)の話が気になったので
伏見稲荷に電話をしてみましたら
参拝客は今日も受け入れており
駐車場も使えるとのこと


帰り道に立ち寄ることにしました






なぜ今日ここ稲荷山に導かれたのか
その訳はわかりません

でも
本殿でお参りし
千本鳥居をくぐっていくと

またここでもウグイスの声が・・・


ウグイスのさえずりを聞きながら
ここに導かれたことに感謝し
『家内安全』と『世界平和』を
祈りました

(ー人ー)


今日は
奥社遙拝所まで進み
その先は行かずに帰ってきましたが

また近いうちに
稲荷山を上まで登ってみたくなりました




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