おしゃべりなあぐねす保育園

ジツハ保育園トハ ナアンニモカンケイナイブログ 

はったり

2009-02-27 11:56:35 | くらし
今週の土曜日の予備校お仕事。

小学校教員採用試験対策のでごじゃる。


予習がやっと終わったばい。

昨年担当した教育史。

ペスタロッチ先生のこととか。

これも得意じゃない科目やけど。

小学校全科のうち、国語指導についてもきちゃいました

今年は。

でけん・・・

ち、言うたんやけど。

でける。

っちいう目つきで圧された。

あーーー

私がいけんのやけど。

で。ゼロからお勉強。

なんか。

はったり先生で申し訳なか

おいしい。たのしい。一日。

2009-02-26 12:53:19 | ともだち
今の私。

行楽のためのお出かけはほとんどない。

お仕事か研究のためだけ。

でも、昨日は行楽。

なのねえが誘ってくれてお食事。



ホテル。よーん。博多駅近くの。

なのねえがお誕生日なのに、ご接待受けたのが、わたし

うまかった。なぁぁぁぁ

牛ヒレのステーキなど食べました。わ。

胃袋極楽。


それに津屋崎までもご案内いただいて。

津屋崎は子ども会でいった海水浴の場所。

なつかしかったし、

ひさーしぶりに藍色に浸ったこともなつかしかった。

なによりも。

忙しいなのねえが、こんな一日を計画してくれたこと。

それが一番うれしかった。



津屋崎からの帰り。

なのねえが飯塚まで送ってくれたので、長いドライブになった。

わたし。はしゃいで。

いつものようにひとりおしゃべり。


夜。

一日のおいしい。や。たのしーい。

をおさらいしながら。

津屋崎の蔵元で買ってきた日本酒をちびりちびり。

焼いた自家製のしいたけをもぐもぐ。


そういやー。

博多までの電車道。

田んぼのあちこちで蓮華草が咲き始めていた。

早稲菜の花が満開のところもあったし。

本とコンピューターだけ見ていたら。

春になっとったばい。

ハンメと私とハンメの話

2009-02-23 22:27:25 | くらし
どこでどうなったのか。

先週の水曜日あたりから、どっぷり寝込んでた。

風邪。耳が聞こえなくなった。

安静を言い渡され、じっとしてた。

それで、土曜日の夕方にはなんとか、外に出てみたりした。


日曜日。

復活。したかなぁ

というような感じでいたら。

「ソンセンニム。大根キムチ。たべなさるやろ。作ったき。持って行っちゃるね」

と、ハンメからお電話。

「寝こんじょったんよ」

とかなんとか話していると。

「なんも食べちょらんめ。迎えに行くき。」

とハンメのとこに行くことになった。


ハンメは一休君のおばあちゃんで。

一休君ちは韓国料理屋さんで。

よって、昨日の夜はいきなり、韓国料理。


キムチチゲを中心にご馳走山盛り。

「食べなされ、食べなされ」コールに。

食べて食べて。おなかははちきれそうだった。

久しぶりのキムパ。おいしかったぁ



ハンメは68歳。

日本で生まれて日本で育った。

韓国語を夜学で習ったこと。

筑豊朝鮮初等学校をみんなの力をあわせて作ったこと。

お金のある人はお金を。ない人は労働力を。

ハンメの家は当時のお金で20万円払ったこと。

それだけじゃなく、校舎を建てる山も削りに行ったこと。

それがとても楽しかったこと。

ほろ酔いのハンメが昨日は途切れなく話し続けた。


そうして。

「ソンセンニム。論文書いて! 飯塚の朝鮮学校の」

「作ったみんな、まだまだ生きとうけん。みんなの話ば聞いて。そげんやったら書けようも」

と言った。

ハンメたちが作った学校、今はもうない。



「チョーセンジンち。いじめられよった」

「小学校で」

「そいやから、この鉛筆ば一本やるけん、チョーセンジンち言わんで」

「ようーたのみよったと。クラスの友達に」

こんな小学校の思い出や去年、ソウルに行って日本人のふりをしたことも。

いつものように、けらけらと笑いながら話してくれた。

そうして。

「ソンセンニム。あと10年はソンセンニムでいてちょーだい」

「だって、あたし、あと10年は生きるから」

と言い、にっこり笑顔。

4時間、ずっとずっと話し続けたハンメ。


今日の夕飯。

ハンメがお土産にくれた大根キムチを食べた。

すがすがしい味がする。

ハンメのキムチを食べていつも思うこと。

韓国とのご縁から、たくさんのキムチを食べてきた。

ハンメのが一番おいしい。

九州大学六本松校舎

2009-02-16 22:56:05 | 九州大学
九州大学六本松校舎の機能が伊都にお引越し。

4月から。

よって図書館閉館。あさってで。

それで、あわてて史料収集作業をおりましたこのごろ。

だって図書館の引越し作業が終わるまで史料がみれないんだもん

なんとか、今日で締めくくって。

というか、あきらめて。

ここ。複写機が一台しかないんだわ。

史料があっても、複写の順番を待ってたら、日が暮れる。

順番きても、回りへの配慮から、一回にちこっとしかでけんのよ

あーーーーー。

次は伊都かいな

どうやっていくよ。ほんとうに。

行ったこともないし、僻地のようだし。

今のわたしには、ソウルに行くよりも遠い感じがする。

図書館には名残を惜しむ方々の姿がちらほら。

記念写真を撮っている方も多い。

わたしの個人的なせまーい考えからするとね。

引っ越さんでもよかろーも。ち。思うん。

何が不満で引っ越すの。

大学としての建物にお目にかかるのは今日が最後。

かえり、通りを隔てて正面に立ってみた。

高度成長期の代表的な学校建築様式の校舎。

背中をぴんと伸ばして胸を張って空を仰ぎ、凛としていた。

パソコンの機嫌と旧正月

2009-02-10 15:10:15 | くらし
うわん。うわん

パソコンに泣かされた。

どうしてだか、パソコン。ご機嫌ななめになって。

ホームページは見れない。

印刷もできない。

文字も入力できない。

昨日の夜からの状態

ほんとわよ。

今日はQ大の書庫で史料収集の計画だったのにぃ。

パソコン修正。

私のパソコンは富士通で。

そこのテクニカルセンターの方と何時間もやり取りしながらよ。

がんばった。

けれど。原因はつかめず

疲労困憊してたら。

急に回復した。

いや。そうでないかもしれん。

けれど、動いちょる。

こわごわと。

操作中。

10%安堵。90%不安。

ん・・・・・どうかお願い。

このまま。このまま。

というのが本心。


昨日。

大オンニのとこで旧正月した。

中オンニも大オッパも集まって。

餃子食べて、黒豆や数の子なども食べて。

いつものごとくテンデバラバラのおかしい話をして。

「今年は中国風やけん。来年は韓国風にしよっ!」

私が提案すると、そうだそうだとなった。

ダイオンニは80歳で。ダイオッパは七十うんさいで。

中オンニは70歳で。

世界中のお正月風ができたらいいな。

帰りの道すがら思ったこと。

こんなことを書こう!!

と思って。

パソコンが開かなかったんだよう

長崎燈会2009-寺町通り

2009-02-04 23:49:37 | 
「ま祖様~唐(とう)りゃんせ~」

ま祖行列。

海を越え長崎に到着した唐人たちがま祖様をお寺に預けるための行列。

ま祖は唐人と航海をともにしてきた神様。

日本名は船菩薩。

揺れる船体の中に安置するための特別な形をした神様。

唐人が長崎で半年を過ごす間、彼女(女性の神様)は唐人たちが建立したお寺に預けられる。

神様も休養

秋の日。

航海を無事に終えた唐人たちの晴れやかなま祖行列が多く行き交った通り。

寺町通り。

坂本竜馬も歩いた通り。

通りをいくと崇福寺。

長崎にある4つの唐寺のひとつ。

2つの国宝をはじめ多くの文化財をみることができる。

朱の山門をくぐると。

日本のお寺にはない気配。

翻る五色の旗。

仏様たちのたたずまい。

福建省ってこんな感じのところなんだろうか・・

想ってしまう。

寺町から崇福寺。

ゆっくり歩く、一人の旅にお薦め。

長崎燈会2009-カステラ

2009-02-03 14:09:41 | 
文明堂や福砂屋だけんじゃあなく、長崎ではたくさんのお店がカステラを作る。

カステラは和菓子で、市内の和菓子店はどこでも作るから。

その中のひとつ。

「岩永梅寿軒」のものは本当においしいと思う。

創業は天保元年。

めがね橋から寺町通りへと向かう角にたっている。

昔ながらのこじんまりとした店。

作り手からの手渡しの商いがとても好き。

それよりもなによりもカステラ。

生地のひとつひとつがふんわりとおいしさを孕んでいる。

もっちりとやさしい味。

底のざらめ。これもとびきりおいしい。

長崎のカステラちゃ、こればい。

何度食べても思うこと。

大きな店ではできない丁寧な仕事。

おいしさだけでなく、作り手の誠実さも味わうことができる。

口福のためのわたしの条件。

今日のおやつはそのカステラ。

長崎燈会のおみやげ。

わたしに。わたしから。

長崎燈会2009-唐人屋敷

2009-02-02 20:14:17 | 
週末、佐世保仕事での留学生さんたちと長崎燈会に出かけた。

土曜日の仕事を終え、長崎に到着し、学生さんと合流したのがたのが午後8時。

燈会の終了時間が迫る中、どうしても行きたくて、訪ねたところ。

唐人屋敷。


案内燈のランタンだけが薄暗く続く細い坂道。

ひとつの石段を上りつくと、ひとつのお堂にたどり着き。

また、もうひとつ行くと、またひとつのお堂。

お堂は中国、福建省の神様たちのやしろ。

暗い堂内は、ちいさな朱蝋燭の炎に照らされゆらゆらと幻想的。


台風の季節が終わり、大陸から長崎への風が吹くころ。

唐人たちは風に乗り来航した。

そうして、帰りの風が吹く春までの半年間を長崎で過ごしたという。

お堂はそのような唐人のたちの手で作られたのだそうだ。

たくさんの人々の祈りを包み込み、唐人たちをささえていた聖地。

今は長崎の観光事業さえも支えてくれている。


お堂からお堂への小道。

立ち止まり、振り返ると。

唐人。

の姿に出会うような。

そんな気がする街。

長崎燈会の中で一番好きな場所。