言語分析未来予測

上石高生
言葉の分析からの予測です。分析の正しさは未来に答えが出ます。分析予測は検証可能でなければなりません。

適切な処置とはどういうものか?

2008年10月23日 17時15分24秒 | 話題
小6男児、給食のパンをのどに詰まらせ窒息死…千葉・船橋(読売新聞) - goo ニュース
痛いニュース(ノ∀`):【千葉・パン窒息死】 死亡児童の両親 「校長、早食い競争隠してる。本当のこと話して」…校長「早食い競争はなかったはず」
 取材に対し、校長は「担任から早食い競争はなかったと聞いている」と話しています。

 校長がまるで政治家の答弁のようだ。「早食い競争はなかった」話し、か?
 しかしここでは、それがあったか、なかったかは議論しないことにする。

 子供の頃を思い出しても、給食で早食い競争をした、とかの思い出がない。結構、だいじに食べていたことしか憶えがないのだ。
 早食い競争なんかは、最近の大食いブームの影響でしかないのかもしれない。フードファイターなどと呼ばれているタレントたちは、このようなニュースにさぞや心を痛めていることだろう。

 昔の給食では、隣のクラスのスープが廊下で倒れて流れてしまったので、他のクラスのを分けて、一人当たり料が少なくなっても、誰も不満もなく食べていた、とかの思い出でしかない。
 「脱脂粉乳がまずかった」とよく聞くが、それもさほどまずいとも思わなかった。世代が違うのかもしれない。

 家が貧しいわけでもないのに、いつもパンをランドセルに入れて帰っていたヤツがいた。それでたまに忘れた頃のパンがひからびて出てくるのだ。何であいつは食べもしないパンを持って帰っていたのだろう?

 担任には「早く食べろ」とか、「全部、食べろ」とも言われたこともなく、わりと大らかな時代だった。代わりに、お百姓さん(昔はそのように言っていた)の苦労話をよく聞いたものだ。「米は八十八ものお百姓さんたちの苦労(工程)がある」だとか、「お百姓さんが汗水流して作った作物」などという話しだった。

 食育とか、スローフードなどと言われて久しいが、そんな教育的なことよりも、教室でみんなが一緒に食べたことが良い思い出になるように考えたらいいのにと思うが、もう学校にはそんな余裕もないのかもしれない。

 給食中に、呼吸困難になって窒息死していく同級生を目の当たりにする小学生の頃、などとはひどい思い出でしかない。
 生徒らの集団での精神的なショック、教師たちは保身に追われているだけで、教育の場も単に体面を意識しているだけでしかないのだろう。
 これでは子供の事故に対して、今後も適切な対応をすることはできないのではないか。

 この学校には保険の先生はいなかったのか?
 保険の先生は、子供が気管にパンが詰まった事態にどんな対応をしたのか? しなかったのか?
 保険の先生は、子供が気管にパンが詰まった事態の処置を知っていたのか? 知らなかったのか?

 気管にパンが詰まった事態での適切な対応とはどういうものだろうか?
 またそのときの生存率はどれほどだろうか?

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