私の夫は典型的な日本人の男性で、家の中で賑やかにおしゃべりをしたり声を出して笑ったりすることがほとんどなかった。
何か話をする時も、批判的であったり暗い雰囲気だったりした。
「わるかった探し」をしているようだったと今になって思う。
私が信仰生活を始めて間がない頃、牧師家庭の食卓に招かれたことがあった。
夫はその開放的で明るい雰囲気に驚いた様子だった。
私達夫婦の間で、同じような空気が流れるようになったのは、夫がはっきり救われた17年後だった。
私は家庭内では、一人で「良かった探し」をしていた。しかし、孤独を感じなかった。
神との和解がなされていたし、教会生活が祝福されていて喜ばしいことがたくさんあった。
問題や困ったこともあり、重苦しい気分になったこともあったが、忍耐している間に聖書が語られ、聖霊からの語りかけもあった。
一つ一つのことに絶妙な神のタイミングで介入がなされて、守られ導かれていることを知ることは、喜びであり感謝なことです。