Notes3~ヨミガタリストダイアリー

名古屋市在住の俳優/朗読者・ニシムラタツヤの演(や)ったり読んだりの覚え書き

まとめてドン2-観劇2本+「ど」の付くあれ、等

2009年09月05日 | ヨミモノ・キキモノ・ミモノ
■まとめてという割には週の始めと終わりに散らばっていますが、書いておきます。8月30日。午前中は某所で稽古。そろそろ情報を公開しようと思ったが、共演者も含めて先方から発表がある前に書いても何だかおかしな話になるかもしれないので、もう少し待ちます。本番は10月。昼に上がらせてもらって、帰宅の後投票。不承不承の選挙区、迷うことなく比例代表。選挙立会人はあんなに人は要らないのでは?と思った次第。市職員に支払う休日勤務手当もバカにならんだろうに。
■午後、まずは愛知県芸術劇場小ホール。子どものためのシェイクスピアカンパニー「マクベス」。
■正に、堪能と言って良いすばらしい上演だった。バンコォの領主がコーダの領主と呼ばれるところから、主君を殺めて手に入れたスコットランドの城であえなく露と消えるまでの時間が、乾いたハンドクラップで連綿と繋がってゆく。その進行を引き立たせる、特に美しい照明。芸文であんな美しい光を見たのは何年ぶりのことだろうか、と思う。そして、俳優。ああいう練達さをいつか手に入れたい。休憩入りで140分位だったと思うが、もちろんかけらも意識せず、といったところ。
■事業団の皆さんにお礼を言って、16時過ぎに劇場を出る。地下鉄で上前津。少し急ぎ足で七ッ寺共同スタジオ。オレンヂスタ「せつぼうこうじょう」。
■客入れのアナウンスが若干サムかった(笑)以外は、至って安定した作り。作/演出は昔から知っている樹脂、じゃなかった女子だが、経歴だけ見ればこの座組で既に3回目みたいなものだ。安定していなかったらウソかもしれない。しかし、それ差し引いても「ちゃんしてるなあ」という印象が強く残った。俳優の力量が見られる面白さではない部分、特に草野.comの配役にいい塩味。物語の暴発する瞬間に与える効果を見越してそこに置いている、という意図が嫌みなく伝わってきたからだ。
■演出家の意図が透けて見える芝居は、多くの場合非常に退屈なものに取れてしまうものだ。それを防ぐためには、俳優と演出家が稽古場でどれだけ上演を想定した演技プランの構築を地道にやったかにかかっているかと思う。演出家の言葉に対して、どういう距離の取り方をし、それがテキストとの距離をいたずらに広げるものになっていないか?先に書いた「意図」が良い感じで伝わるとき、それは俳優の「意図」とミックスされ、ちょうど酸素と混合された天然ガスが炎を生み出すように、ある種の均衡をもって客席に届けられている時ではないか、なんて難しく考えてみる。付け足すようで悪いが、山川美咲、マジムン、天野順一朗、麓由真の4者が表を固めていたからこその成果だったことは触れておきたい。(マジムンはラスト少々震えすぎだったけど…)
■久しぶりに観劇ハシゴをして、とぼとぼ歩いて栄へ戻る。「ど」のつく祭りの最終日。ファイナルステージと銘打って順位決めをしていた。飛騨牛のロコモコ丼食べながらぼんやり観る。故郷の良さをアピールする口上が多かったが、こうして興される「まち」って、この先もそういう「まち」であり続けなければならない、という十字架を背負うことにはならないのか。常に新陳代謝が行われ、形を変えてゆくものであってはいけないのか、と少し思う。きらびやかな衣装をと地方車では表現できない何ものかに興味を抱いてここまで来た者にとっては、一種の通過儀礼としては良いのかもしれないが、やっぱりあまり入り込めない夏の終わりだった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿