Aerial Currents ~BR-1~

2006年08月にSCOTT:CR1(105)を購入.2009実業団新規登録.表彰台を目指してトレーニング中….

[JPT] 群馬ロードDNF

2013-04-28 | 実業団BR-1
4月に入ってから、伊吹山と南紀白浜の超長距離遠征を
行ったため、遠征疲れと遠征による練習不足によって
群馬完走は難しいと考えていた。
結果的に、悪コンディションの中で100km弱走れたので、
3つのミス(準備不足)がなければ、完走の可能性はあった。


■2013/04/27(土)
 J Pro Tour 第4戦
 第5回 JBCF 群馬CSCロードレース Day-1 6kmx20Lap=120km
 DNF 96km(16Lap完了時点)でLapOut

目標は、前々に走ることと、可能なら完走。

<レース前>
金曜勤務後に移動し、深夜1時頃に宿に到着。 軽く温泉に
入ってから2時頃に就寝? 6時頃に起床し、雪まじりの雨に
ゲンナリしながらパン食。 8時過ぎに移動開始し、9時前に
会場到着。 テントを広げたが、強風のため撤収。
ウォーミングアップは30分程度。

<1-3周>
スタートは前から2/3程度と後方だったが、前々に上がって、
15番手前後をキープするように努めた。
思いの外、ペースがキツいとは感じず、前に上ることができ
たし、昨年の様に目が追い付かないってこともなかった。
しかし、ずっと位置取りし続けるのはダメージがデカそう
なので、少し下がることにした。
ちゃんと練習すれば、昔みたいに問題なく位置取りできそう。

<4-10周>
集団中央付近で、エルドラAO木プロと同じようなラインに
位置取ってみた。
少し後ろにアマガサさんがいるが、他は最後尾にいるらしく
姿は見えなかった。
それなりに脚があるのだから、展開を見切るために前々に
いるべきだと思うのだが、エルドラ的には最後尾が定位置
らしい。
そのラインで数周したら普通に脚の余裕がなくなったので、
最後尾まで落ちることになった。
心肺機能的にペースが辛いとは思わないのだが、練習不足
過ぎて脚が足りない。
左手の握力が低下し、リアブレーキをかけられなくなった。
寒さで手がかじかんだことと、フロント変速で握力が消耗
したためだと思われる。

<11-16周>
10周目の心臓破り前のアップダウンで前腿がツってしまって
遅れたら、集団がペースアップして追いつけなくなった。
その後は個人TT。
降ろされるまで全力で走るのが練習。
前腿が完全に動かなくなって、心臓破りで止まりそうになり
ながら、ありがたい声援に押されて、6周も個人TTできた。
前腿がツってから、骨盤を捻って無理矢理ペース走していた
のだが、帰宅後のマッサージでは裏腿と大殿筋に余裕があった
ことが判明。 今回は使い分けが上手くできなかったようだ。
最後にラバネロ小野くんとフィッツYabeman師匠をキャッチ
した後の心臓破りでAisanにラップされて降りた。

完全に冷えきっていて、レース後に腹下してゲイリーだった。


エルドラードとしては、アマガサさん、AO木プロ、利くん
の3名が完走したので、ポイント的には助かった。
もっと走れるようになって、連携して20位以内を目指して
いきたい。

それにしても、アマガサさんと利くんの練習量から考えると、
自分の集団走行の効率を改善する必要があると言うことだ。
位置取りするにしても、脚を使わずに位置取りしなければ
ならない。
ヒルクライマーは、どうしても登りで位置を上げようとして
しまうが、それでは知らず知らずの内に脚を削ってしまう
ので、空間把握して集団の流れを読んで位置取りすることを
心掛けなければならない。

カエクラくんが電デュラ変速異常でチェーン落ちした際に、
Massaの93か92の選手が背中を押して助けてくれていた。
チームメイトとして感謝します。
なかなかトッサにできることではないので、スマートに
されていて格好良いと思いました。
カエクラくんは初ロードレースで実力を発揮できずに残念
だけど、きっと気持ちを切り替えてヒルクラ2連戦での上位を
狙っていると思うので、自分も元ヒルクライマーとして努力
しようと思う。


◇ミス1:機材準備ミス
南紀白浜ではAddictR3(白)+BoraOneの組合せとして事前に
ベルエキップにて変速調整してから臨んだのだが、群馬は
同じ79Duraでも後期型?でフロント変速が良いAddictR2の
方にBoraOneを組み合わせた。
しかし、事前に変速調整をしていなかったので、ウォーム
アップ時にも気付いてはいたのだが、レース中に予想以上の
変速不調に陥ってしまった。
適切なタイミングで適切なギア比を選べないと、脚に変な
負担がかかってしまって、必要以上に脚を削られて脚ツリの
原因となってしまった。
ラバネロ時代はケンゴさんに調整依頼できたが、如何に恵ま
れた環境で走らせていただいてたか、改めて気付かされる。

◇ミス2:寒さ対策ミス
金曜夕方時点の天気予報では、みなかみ町:晴れ8度だった
のだが、実際には朝から雪混じりの雨だった。
ニーウォーマー禁止だったので、ヒザ周りにホットクリーム
を塗ったが、体質なのか?、あまり効いた気がしない。
って言うか、ウォーマーくらい付けさせろ。
インナーを増やしてみたが、更に追加する必要があった。
そして、何よりも指切グローブでは駄目だった。
秋冬物の指付グローブを持ってきておくべきだった。

◇ミス3:補給ミス
自分は交通事故で前歯を全て失っているので、補給はミニ
ボトルにゼリー類を入れて持つようにしている。
今回、カーボショッツを水で薄める割合が少なくて、冷えた
所為か?、固まって飲むのが難しかった。
また、寒さの所為で消耗が激しく、補給の量が足りなかった。

==================================================

<使用機材他>
 車体 - Scott:Addict R2 2010 (Shimano:79Dura)
 車輪 - Campagnolo:Bora One 2010
 歯車 - 53/39T・11-23T(10s,Ultegra)
 タイヤ - Continental:Competition 28" 22mm 約650kPa
    (白浜TTTから空気追加せず、グリップ重視の低圧)

 服装 - uniqlo袖無インナー+uniqlo長袖インナー
    +半袖ジャージ, レーパン, 指切グローブ

 ボトル - ポカリスウェットx2
 補給 - カーボショッツx3, VESPAx1
 体重/体脂肪 - 59.5kg/13.9% (4/24-25平均)

[JPT] 南紀白浜TTT&クリテ

2013-04-22 | 実業団BR-1
取り敢えず、往復2,200kmの宮城仙台-和歌山南紀白浜の
超長距離遠征を無事成功させた。
それが一番大事。


■2013/04/20(土)
 J Pro Tour 第2戦
 第2回 JBCF タイムトライアル南紀白浜 2.5kmx6Lap=15km

 1 チーム右京 19m55s55 Av45.16km/h
 2 マトリックス 20m14s66
 3 宇都宮ブリッツェン 20m21s46
 4 イナーメ信濃山形 20m44s19
 5 cannondale 20m54s09
 6 JPスポーツ・マッサ 20m59s63
 7 なるしまフレンド 21m19s43
 8 エスペランススタージュ 21m22s04
 9 湘南ベルマーレ 21m33s97
 10 インタープロシクリズム 21s34s14
 11 シエルヴォ奈良 21m41s68
 12 エルドラード 21m42s41 Av41.46km/h
          TOP+1:46. 10位+8.27 11位+0.73
 13 那須ブラーゼン 21m56s52
 14 ラバネロ 22m00s89
 15 VAX RACING 22m01s13
 16 FIETS GROEN 22m56s47

目標は、10位の高配点、何が何でも最下位だけは回避。

エルドラードは昨年のメンバーからエース級(AO木プロ、
ガッキー)が抜け、イカ娘WDYMが落車による不調のため、
二軍と呼ぶべき不安な体制で臨んだ。

第一出走だったため、無駄を省いて全力を尽くすのみ。

昨年とは逆風のホームストレート(やや登り)向かい風
(35-40km/h)、バックストレート(やや降り)追い風(55-
60km/h)の強風だった。

最初の周のバックから上げ過ぎたつもりは無いのだが、
2名が切れ気味になり、2周目には4名になってしまった。
その後は、WDYMの調子が悪そうだが、自分もホームでは
全然牽けず、何故かバックではスピードが乗る感じで
淡々と進めて行ったのみ。
レース途中ではシエルヴォに数秒勝っていたとのこと
だが、最後の周で充分なペースアップが出来ず、コンマ
7秒差で負けてしまい、第一ヒート最下位…。
向かい風では全然牽けなかったが、追い風のスピードを
更にアップさせることは可能だったので、かなり脚を
残してしまったことに後悔…。

第1ヒート後に雨が落ちてきたため、後の出走組が遅れて
くれることを期待してしまったが、爆風が弱まってしまい
タイム的にはプラスマイナスゼロ状態だったようだ。
全員分TTマシンを用意していたVAXと那須ブラーゼンに
勝ったので、エース級を欠いた二軍での結果としては
評価出来る。


■2013/04/21(日)
 J Pro Tour 第3戦
 第3回 JBCF 南紀白浜クリテリウム
 予選1組 2.5kmx8Lap=20km 47位、予選落ち

目標は予選突破決勝完走だったのだが、結局、クリテの
走り方は上手く組み立てられず、色々と試したのだが、
最終スプリントに加わることが出来ずに予選落ち。

最初から逃げに乗るつもりで前々に走ってみたが、昨日
とは逆のホーム追い風(60km/h)、バック向かい風(30km/h)
だったため、向かい風区間でどうにもならず、また、追い
風では誰でも60km/h出せるため、逃げは決まらなかった。

集団の前々やら後方やら、位置取りを色々と試してみた
ものの、結局は勝機を見つけられず、最終周のホームで
飛び出してラスト前の1コーナをトップ通過してみたが、
バックで被せられまくって、「和歌山で怪我したら仙台に
帰れなくなってしまう…」と弱気になって、最終コーナー
の混戦には加われず、そのまま捲ることも出来ず予選落ち。

取り敢えず、レース中に何回かチーム名をアナウンスして
貰えて目立ったからOKってことで、今回の前々に走る経験
を群馬のレースに活かして行きたい。

エルドラードは予選全滅だったので、E2が終わってから、
15時に会場退散し、月曜午前3時に仙台到着。
また、金曜勤務後に土曜の群馬に向けて出発する予定。
ハードスケジュールだ…。

[JPT] 伊吹山ヒルクライム

2013-04-15 | 実業団BR-1
遂に国内トップカテゴリJプロツアーの開幕戦。
って言っても、練習再開後2ヶ月しか経っていないから、大して
待っていた訳ではないが…。

過去に2回参加している伊吹山ヒルクライム。
2009年は17kmフルコース、2010年は積雪で短縮12kmコースだった。
練習不足の状態だが、相性の良いコースなので、出来る限り先頭
集団に絡んで、今後のロードレースでの集団密度と序盤のスピード
感覚を養うことを目標として臨んだ。


■2013/04/14(日)
 J Pro Tour 第1戦
 第4回 JBCF 伊吹山ドライブウェイヒルクライム
 15km / 標高差1,035m
 60位 48m55s TOP+8m53s Av18.39km/h 40pt(出走・完走100名)

勾配が緩く更に降り区間もあるため、ロードレース的スピードに
なることが予想された。
事前にチーム右京の土井選手(昨年プロコンチネンタル)と、プジョー
の外国人助っ人(昨年プロコン)が別格だろうと予想されたが、直前に
なってチーム右京も外国人助っ人(昨年プロコン)を雇ったとの噂…。

<前日>
04:30起床、05:30アパート発、06:10仙台発、片道750km走って、
15:00関ヶ原到着。
受付後に移動し、軽く走ってみたら、長距離ドライブの影響か?、
右足首に硬さがみられ、重点的にペダリングのタイミングを意識
して走った。20km/40分程度。宿(大垣市)に移動、ゆっくりと食事。
ファミレスではブリッツェンとブラーゼンがミーティングしていた。
遠征仲間と雑談してから、23:30就寝。

<レース前>
05:50自然に起床、06:30たっぷり朝食、09:00宿(大垣市)出発。
10時前に会場入りする予定が、予想外の駐車場待ち大渋滞で時間を
取られ、ウォーミングアップは予定よりも不十分になってしまった。
心拍を上げるようなアップはできなかったが、昨日のペダリングの
違和感はなくなり、感覚的には悪くない状態だった。

<スタート>
スタート地点が狭いので、準備地点に早めに並んだが、結局スタート
地点までの移動で下がって6-7列で、yabeman師匠の後ろからスタート。
スタート直後、目の前で、ブルー系の奴がパイロンに突っ込んで落車。
辛うじて巻き込まれずに済んだが、後ろのエスぺランス清水さんや
キャノンデール森本さんは巻き込まれたか?
予想通りスタート直後から速いペースで進み、先頭に出てアピールする
余裕なんて全くなくて、ただただメイン集団に食らい付くのみ。
前方では異次元のスピードで数名カッ飛んで行ったが、意味不明レベル
だったので、どうすることもできない。
<~3km>
ハイペースのメイン集団は徐々に人数を減らし、3km地点では30名程度。
自分も限界になり、脱落してしまった。
流石に今の練習量じゃ無理か…。
この辺りまで、エルドラードの中での先頭を走っていたが、後方から
ガッキー選手(45位)が追い付いてきて、その後も頑張って粘っていた。
序盤の混戦を抜け出してメイン集団に食らい付いたのだから、群馬の
リザルトは期待できそうだ。
<~6km>
もう心拍も上がらず、脚に力が入らず、なすすべなく落ちるだけ。
ベルマーレ勢に取り囲まれながら、勾配が緩むとアウターにして
何とか集中して走った。
後方からHatake(53位)が抜いて行ったが、自分は付けず…。
予想以上にHatakeは頑張った。
<~9km>
後方からカエクラ選手(54位)が抜いて行ったので、しばらく付いて
行ったものの、自分は脱落…。
<~12km>
この辺りで、何か審判バイクがきたなぁと思っていたら、E1(4分後
スタート)のアクアタマ若松くんに追い抜かれる…。
2009年のER(現E2)では近いタイムだったのに、彼は強い。
<~15km?>
ゴールは予想通り2009年の17km地点だった。
ヘロヘロで粘れず、数名に抜かれてからゴール。

優勝はチーム右京の外国人で、圧倒的なタイム。
今シーズンはハイレベルな厳しいレースが続きそうでワクワクする。
クラブチーム勢としては場違い感もあるのだけれど、ツール・ド・
北海道レベルの外国人選手と毎回走れるなんて、良いチャンスだ。


<考察>
48m55sだと、E1:21位、E2:10位、E3:10位相当…。
2009年にスタートアタックで単独走行だった自分の48m12s46よりも
遅かったが、まぁ、今の実力ってことだろう。
過去にライバルだったE1の選手達の位置まで力を戻さなければ話に
ならない。
今回、良かった点として、混戦のスタートから3km地点までをメイン
集団で走れたことだけは評価できる。

<レース後>
15:30撤収、会場周辺の渋滞、大垣ICから高速in。
24:30仙台到着、25:30アパート到着、26:30就寝…。

<次戦>
来週は南紀白浜チームTTとクリテリウム。片道1,000km。遠征が辛い。
再来週は群馬ロード。
現在、エルドラードはチームランキング最下位タイなので、チームTT
でのポイント獲得は責任重大。

でも、遠征疲れで風邪ひいてしまいました…。

[Road] ラバネロから除籍

2012-12-01 | 実業団BR-1
上手く書けなくて何回も下書きしては没にしてきましたが、
2012シーズンをもってパールイズミ・スミタ・ラバネロから
除籍したことを報告いたします。


2011シーズンに移籍を受け入れていただいてから、たった
2年で成績も残せずに除籍となることは、大変恐縮に思います。
高村監督ご夫妻、チームメイト、スポンサー様やサポートして
いただいた皆様には、成績で恩返しすることが出来ずに、大変
申し訳ありません。

2011.3.11の東日本大震災とその後の仕事の状況悪化により、
自転車に割ける精神力を消耗し切ってしまいました。
まぁ、言い訳ですけど。


2010の成績と2011に向けた遠征環境及びロードレースでの
成績向上を目指して、2010輪島の際に高村監督に希望を伝え、
走りを見ていただいた上で、移籍を受け入れていただきました。
(仙台での練習仲間「くぼっち」の橋渡しが大きかったです。)
移籍時の気持ちとしては、「5年間は国内トップカテゴリJPTで
トップクラスの成績を維持し、その後もラバネロに骨を埋める」
つもりでした。
2011シーズン、特に岩手県八幡平市開催の全日本に向けて、
強いディターミネイション(断固たる決意)を持ってオフ
トレに取り組みました。
得意の登坂力に磨きをかけ、弱点だったスピードとスタミナ
を克服し、3月頭のラバネロ鴨川合宿に参加して、いよいよ
シーズンインと言う3.11に震災を受けました。

内陸に住んでいるため、津波被害を受けることはありません
でしたが、業務内容上、職場に缶詰になって過ごしました。
缶詰から解放されてからも残業残業の日々でしたが、深夜の
無理な乗り込みによる促成栽培によって、オフトレ時の貯金
を掘り起こして、辛うじて国際ステージレース(UCI2.2)の
ツール・ド・北海道を完走するところまで戻すことができ
ました。

しかし、その後に職場の配置換えによって仕事のストレスが
多くなり、2012に向けたオフトレから上手く集中できずに、
5月の連休には部屋でグダグダしていて一度も練習しないと
言う無責任な状況…。
レース活動は、7/15(日)福島石川ロードDNF以降参戦せず…。
スポンサー様やチームへの責任は感じていたのですが、仕事
のストレスに負けました。


自分は「ただ走るだけで楽しい」と言う根っからの自転車
好きとは異なり、自分が強くなれるから自転車競技に取り
組んでいるので、一度弱体化してしまうと、歯止めが効き
ませんでした。

このまま自転車を辞めてしまうことも考えましたが、何と
なく不完全燃焼なので、2013シーズンについては、一応、
実業団登録を行います。
カテゴリ等については、JBCF登録期限の頃の練習状況から
最終的に判断します。
(12月1日のJBCF総会にて2013ガイドブックが発表かな?)


パールイズミ・スミタ・ラバネロの高村監督ご夫妻、チーム
メイト、スポンサー様、サポートいただいた皆様、2年間と
短い間でしたが、ありがとうございました。
練習及びレース仲間の皆様、今後ともよろしくお願いします。

[JPT] 東日本群馬DNF

2012-06-28 | 実業団BR-1
2012/06/24(日)
 第46回 JBCF 東日本ロードクラシック 群馬大会 Jプロツアー第8戦
 150km (6kmx25周)
 DNF 73km地点 (12周強)、出走127名・完走48名

下から18番目に降ろされた。
上から数えると110番目。
完全に力不足で、JPTレベルになっていない。
4/21(土)群馬120kmの際にも12周強でDNFだったので、その頃から
進歩していない。

<前日>
今回は同行者の関係で前日移動。
片道400km強でJPTのみだと日帰りも可能だが、ゆっくり出来る
のも悪くない。
宿泊費等の出費は痛い。
0930 出発
1430頃 群馬CSC着
同行者の受付まで暇なので先にチェックインして、受付後に
1時間半走った。(自分はチーム受付)

<事前>
0630 起床
0700 朝食
0900 移動→色々と準備
1155 開会式
後輩のAokiくんの左STIが壊れて、ラバネロのケンゴさん達に
対応していただいた。
ありがとうございました。
レース前から暑くて、暑さに慣れていない身としては辛いレースが
予想された。

<1-8周目>
最初は集団中程にいたのだが、やはり位置取りで譲ってしまって、
気付くと集団最後尾。
2010年は逃げるために集団最前線でガツガツ走っていたのに、今は
前に位置取る事も出来ない。
4月の群馬の様な落車祭りにならなくて良かった。

<9周目>
確か9周目だったと思うが、心臓破りで集団落車があり、完全停止
してしまい、そこから集団復帰するのに焦って踏み過ぎてしまった。
その影響で、大腿四頭筋がツってしまい、我慢の走りとなった。

<10-13周目>
10周目のホームストレートとバックストレートで上手く踏めずに
中切れしてしまい、既にツった脚ながら自己責任で詰めていたら、
完全に脚が終わって千切れてしまった。
しかし、千切れてからも練習なので、集団との差が開き過ぎない
様に集中して走り続けた。
後ろからイナーメのソールズベリーさんが抜いて行ったが、速度
差があって付けなかった。彼は集団復帰して終盤まで走っていた。
徐々に集団が見えなくなって、13周目に入ったバックストレート
にて足切りでリタイア。

現時点での全力は出し切った。
しかし、その全力が低過ぎて話にならない。
やはり仕事とのバランスを調整しなければ戦線復帰は難しい。

取り敢えず、毎週水曜日は勝手に定時退社日にして夜練してみる。

[Road] 栂池と富士山

2012-06-22 | 実業団BR-1
一応、国内トップカテゴリーであるJプロツアー選手なのだが、
練習していないので自転車Blogに書くことがない。
本当、チームには申し訳ないのだが、仕事と自転車と自分との
バランスが取れない。
昨年の東日本大震災で仕事のバランスが大きく崩れてしまった。

せめてレースのことだけは、何か書いておこう。

 ・
 ・
 ・

考察すべき内容が何もない。

<2012/06/10(日)>
・栂池:1h00m54s、トップカテゴリー(JPT)69位
雨で寒くて、一度心拍が下がったら、二度と上がらなくなった…。
ウルトラ先生にも抜かれて、引き離された…。

イナーメ森本さん6位
なるしま櫻井さん8位
チバポンズYabeman師匠12位

<2012/06/17(日)>
・富士山:54m29s、トップカテゴリー(JPT)72位
栂池よりは集中して走り切ったつもりだったが、成績は悪化…。
34x25Tでチェーンを詰めずにいたら、RDが弛んでチェーンが干渉
して、25-23-21-19-17Tしか使えず、勾配が緩んだ区間でスピード
アップ出来なかった…。

イナーメ森本さん2位
なるしま櫻井さん4位
チバポンズYabeman師匠7位
エスぺランススタージュ清水さん9位

かつてライバルだと思っていたアマチュア最高レベルの選手達が
最高なレースを展開してリザルトを残しているのを見ると、やはり
悔しさもある。
チームに対する責任もある。
しかし、他人事の様に感じている部分も大きくて、自転車との
バランスが取れていないことが自覚される。


参考に、過去のヒルクライムのタイムをまとめると、以下の通り。
震災がなかったら、2011はヒルクライムで入賞出来ていただろう…。

2009 (自転車競技1年目)
・4/05(参考)伊吹山:48m12s、最下位カテゴリー(当時ER)2位
・6/14栂池:53m26s、予選総合(当時無差別級)25位
○6/28富士山:48m59s、第2カテゴリー(当時BR-1)4位 … 激タレ

2010 (国内トップカテゴリー1年目(当時TR))
・4/11(参考)伊吹山:(コース短縮)29m10s、トップカテゴリー(当時TR)11位
・6/06富士山:49m46s、トップカテゴリー(当時TR)39位 … 39x25Tで撃沈
○6/13栂池:52m35s、予選総合(当時無差別級)15位

2011 (東日本大震災による中断からの自転車復帰直後)
・6/12栂池:58m58s、トップカテゴリー(JPT)52位
・6/19富士山:50m21s、トップカテゴリー(JPT)32位

2012 (どうしてこうなった?)
×栂池:1h00m54s、トップカテゴリー(JPT)69位
×富士山:54m29s、トップカテゴリー(JPT)72位

自己ベスト
○栂池:52m35s (2010)
○富士山:48m59s (2009) … 若松くんと競った後に激タレした結果

自己ワースト
×栂池:1h00m54s (2012) … Best+8m19s、16%悪化
×富士山:54m29s (2012) … Best+5m30s、11%悪化


今後のレース予定として、下記6レースに出場する。
06/24東日本ロード群馬
07/15福島石川ロード
08/26長野宮田クリテ
09/02栃木渡良瀬TT … DHバー借りるか?,ノーマルのままか?
10/20(土)JapanCupOpen
10/28石川輪島ロード

広島や他のクリテについては未定。
ツール・ド・北海道はチーム内のレギュラーになれるはずがない。
ツール・ド・沖縄も同様。

来年も実業団レースを走るのか分らないが、世話になったチーム
のために、せめて実業団レースでアシストが出来るレベルまで
復活しなければ…。

[JPT] 全日本選手権(岩手)DNF

2012-05-04 | 実業団BR-1
 2012/04/29(日)
 全日本選手権(岩手県八幡平市)
 DNF 11周(175km)/全16周(252.8km)

主に暑さに内臓が対応出来ず、レースの集中力も続かなかった。

今冬の大雪と自身の燃え尽き症候群のため、完全に練習不足の
調整不足で臨んでしまった全日本だったが、案の定と言うか、
勝負がかかり出す前の段階で遅れてリタイアとなってしまった。


本当は、ファーストアタックを決めて序盤の逃げに乗り、5周は
目立ってからリタイアする予定で、1時間みっちりウォーミング
アップをしてスタートしたのだが、既にパレード区間で前々を
キープ出来なくて、集団に埋もれてしまった。
地味に登りで飛び出したりしたのだが、登りが弱体化してキレも
ない自分には、何も出来なかった…。

3周は前の方を走ったのだが、あまりの暑さに汗が出過ぎて、その
分を飲んでも胃から吸収出来ずに、早くも脚ツり発生。
あんなにサイクリングペースだったのに…。

心肺機能は辛くないのに、脚は全然踏めない状態。
誤魔化しながら走り続けるものの、8周辺りのバックストレートで
ペースアップ(70km/hオーバー)し始めた頃から集中力が切れて来て、
いつ千切れようかなんて馬鹿な事を悩んでいた。
一列棒状の時に切れると最悪なので、切れるなら登りだなぁとか。
どうせ数周で終わるのだからと、重くなる補給も取らず、駄目駄目。
結局は、11周目の登りの右折直後のダンシングで諦めてしまって、
11周完了地点で降ろされた。
脚が限界だったのか、集中力が限界だったのか、自分でも分らない。


特に気になったのは序盤の発汗量の多さ。
水を飲んでも補給ジェルを飲んでも、胃がチャプチャプになって
リバースしそうになるだけで、吸収してくれなかった。
その後に汗が出なくなって、もう限界だと感じた。
内臓破裂の後遺症とは関係なく、高レベルの練習が不足していた。
内蔵を鍛えるのは、地道に行うしかない。

また、シフトとブレーキの回数が多く、両手の指がパキパキに
固まってしまい、余裕のある場所では手をブラブラとさせて回復
を心掛けた。
電動変速装置が欲しくなった。


兎に角、終わった。
そう、終わってしまった。
色んな意味で一区切りだと感じる。
新たな気持ちで、自転車に乗ろうと思う。

[JPT] 驚きの弱さ(群馬CSC)

2012-04-24 | 実業団BR-1
第4回 JBCF 群馬CSCロードレース Day-1 JPT(Jプロツアー) 第4戦

 DNF 13周目途中(75km)/20周(120km)

自分の弱さに驚いた。
また、JPTなのに落車の多さに驚いた。

<1~3周目>
やる気を出して早めに並び、シード選手2列の直後の3列目
からスタートした。
しかし、コーナー毎に位置を下げてしまった。
集団走行に慣れていないためか?、目が付いて行かない。
1周目が終わる頃には、集団最後尾まで落ちてしまった。
2010は最初の逃げを作ろうとアタックしまくっていたのに、
位置取りで負けて下がってしまう事はなかったのに、今は
集団最後尾が指定席なのか…。
あの頃と何が違うと言うのだ…。

<4~6周目>
3周目終了のホームストレートで、ボ~っとしていたのか?、
何故か千切れた。
完全に意味不明。
自分でもビックリした。
そこから、3周は個人TTモードで集団を単独追走。
6周目の心臓破りで集団に連結。
ここで無駄に脚を使った影響で、すぐに脚がツった。

<7~9周目>
集団最後尾でヒラヒラしていたが、9周目の心臓破りで脚が
一杯一杯になって脱落。

<10~12周目+13周目途中>
イナーメGoさんと合流。
グルペットの勢力を拡大しつつ、3周走ったが、11周目の
心臓破りでグルペットからも遅れてしまった。
そして、13周目の中途半端な所で、バイク審判にDNF宣告。

グルペットでのペース作りや先頭交替の精度を上げて行く
必要がある。
グルペットを上手く走るためではなく、次のレースに向けて
活用するため。
グルペットの走りは、逃げの走りに通じるものがあるはず。

それにしても、落車が多かった。
国内トップカテゴリのJPTに昇格してから、こんなに落車の
多いレースは初めてだった。
群馬CSCの寒さとシーズン序盤の不慣れさが原因だろうか?

同行していたチバポンズItoさんが落車骨折で入院。
U23ジャージを着ていた上村くんも落車で救急車。
早期回復を願います。

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<使用機材他>
 車輪 - (前輪)Easton:EC90 Carbon Tubular, 38mm
     (後輪)Easton:EC90 AERO Carbon Tubular, 56mm
 歯車 - 53/39T・多分12-25T(10s,Campagnolo)
 タイヤ - Michelin:Service Course 28"x21mm, 750kPa
 服装 - 袖無インナー+半袖ジャージ,レーパン
 シューズ - DMT:PRISMA2.0
 ヘルメット - BBB:FALCON ←しもふさクリテで壊したので新品
 補給 - カーボショッツ
 体重/体脂肪 - 最近測っていないけれど、61.0kg位

[JPT] 南紀白浜TTT&クリテ

2012-04-13 | 実業団BR-1
●南紀白浜チームTT…半分までで千切れてリタイア(最初に脱落)
パールイズミ・スミタ・ラバネロとしては、5位入賞。
ゴールしたのは、上村くん・陣くん、藤岡くんの3名。
上村くん・陣くんの2名の引きが強く、入賞につながった。

ディスクホイールとTTヘルメットをサポートしていただいたのに、
本当に情けない。
脚がない上に、DHバーも用意せず、スキンスーツ(ワンピース)も
なしでは、戦力になれない所か、完全に足手まといだった。
車で1,000km/13時間もかけて来たのに、何をやっているのだろう…。

結果的に、4位のシェルボからは0.26秒落ちだったので、自分が
次の周まで残っていたら…とか考えてしまい、責任の重さで…。


●南紀白浜クリテリウム…予選2組予選落ち
パールイズミ・スミタ・ラバネロとしては、陣くん6位、上村くん
15位、藤岡くん41位、大知さん46位。

予選1組目で序盤からの逃げが決まっていたので、それを見た予選
2組目では逃げは厳しいだろうとは思っていたものの、集団内の
位置取りやラストのスプリントではどうにもならないと思えて、
一か八かの逃げを打ったが、駄目駄目だった。
その後は、最後尾付近で走るブリッツェン増田さんをマークして
いたが、上がっていく増田さんに付いて行けるはずもなく、最終
コーナーの位置取りで前に上がれず、スプリントで下位に沈んだ。

逃げは、序盤に集団が向かい風で緩んだ所で、本気で飛び出して
1周半逃げたのだが、本気度が伝わらなかったのか、協調者が出て
きてくれなかった…。
要するに、判断ミスをして無駄脚を削っただけ。

今までに、クリテリウムの予選を突破したのは、2011宮田クリテ
だけだが、その際には、急峻な登りで勝手に人数が絞れていって、
気付かぬ内に22番手になっていた。
平坦系の純粋なクリテリウムでは、予選突破したことがない…。

位置取りとインターバルと最高速が問題なのだが、上達しない。
何とかしなければ…。


まず、6月のヒルクライム月間に向けて、現状の62.0kgから57.0kg
まで、一ヶ月半で5.0kg減量する。
一週間毎に1.0kgずつ減量する。
昼食夕食は炭水化物を抜く。
相変わらず朝食は薄皮つぶあんパン…。

4/21群馬CSCでは少しでも多くのポイントを取る。 最低20位以内。

登りでポイント取れなきゃ、チームをファイアードだろうな…。
クビかぁ…。

ここまで追い込まれているのに、平日練習出来ないんだよな…。

[JPT] しもふさクリテ反省

2012-03-13 | 実業団BR-1
 第1回 JBCF しもふさクリテリウム JPT(Jプロツアー) 第1戦
 Jプロツアー予選1組 予選落ち (落車後に一応走って予選27位)

スタートの並びからして、移動が遅れて最後尾なのが不味かった。
今回のコースは、立ち上がり加速で脚を削られる直角コーナーや
急峻な短い登り等がなくてコースの難易度が低く、脚の差が出ずに
最後まで集団のままゴールするタイプのレースとなった。
抜けるポイントが裏の広い区間しかなかったが、その先のクランク
的な部分で位置取りをキープするのが難しかった。

位置取りの競り合いが非常に重要で、この冬の実走不足・レース
レベル集団走行不足の自分は、集団走行技術や度胸が足りなかった。
2010開幕戦の熊谷クリテでは、コース幅が広く、また、集団が強風を
嫌った事もあってか、自分の意志で先頭に出るのは簡単だったが、
今回はどうにもならなかった。
直角コーナーの多い福島いわきクリテは脚質的に苦手だが、別の
意味で千葉しもふさクリテも苦手だ。
もしツール・ド・北海道の札幌モエレ沼公園がTTじゃなくてクリテ
だったら、完走は厳しかったかも知れない。

集団後方にいるだけなら脚も心肺も余裕があり、ペースは遅いと
感じていたのだが、前に出てキープする位置取りが出来なかった。
脚を残して集団後方で落車に絡んで終了なんて最低のパターンだ。
同じ予選落ちでも、無駄に先頭を突っ走った2010熊谷クリテの方が
良かった。
そう、あの頃は集団走行が怖かったら、無駄足を使ってでも先頭
付近をキープする積極的な走りをしていた。

この悔しさを次戦に繋げなければならない。
まずは、身体を治す事に専念して、早く練習を再開しよう。
(まだ4/7-8南紀白浜TT&クリテの参戦は未定。)

兎に角、実走を増やさなければならないが、今朝も雪だった…。