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 中国の歴史書"史記”の文章は口調がよいのですか

2005-05-27 16:54:00 | goo blog A
[教えて!goo] 「中国の歴史書"史記”の文章は口調がよいのですか。」という質問について


 2005-05-27 16:54:00 中国の歴史書"史記”の文章は口調がよいのですか


質 問

No.1412975 質問:
「中国の歴史書"史記”の文章は口調がよいのですか。」という質問について
質問者:awayuki_ch  先ほど「中国の歴史書"史記”の文章は口調がよいのですか。」の回答文を作りましたが、投稿する最中にちょうど締切りされました。よろしければ、もう一度ご投稿お願いします。回答したいと思います。よろしくお願いします。
05-05-27 14:05
困り度3:直ぐに回答ほしいです
回答件数:1件

この質問に対する回答は締め切られました

最新から表示 | 回答順に表示
回 答

No.1
 goo OKのルールやシステムを遵守するなら、同じ質問を、同じ人が
再質問したり、同じ質問を(別の質問にみせかけて)別の人が投稿する
ことは、おすすめできません。あとから閲覧する人が混乱するからです。
 
 いったん閉じられた質問に追記できないのは、goo OKの欠点ですね。
 この(わたしの)「回答に対する補足」として、あなた自身の意見を、
たっぷり書きこむことならできます。
 
 せっかくですから、わたしの感想も書いておきましょう。
 われわれの幼児期の経験では、声をあげて読むことが先で、あとから
文字を教わったものです。これは逆ではないか、と思うのです。
 
 古代の漢字(表意文字)は黙読が主体であり、後のローマ字や和仮名
(表音文字)から、ようやく音読が主流になったはずです。
 黙読と音読に分ければ 韻文の口誦は、散文よりも新しいのです。
 
 つぎの一節など、もっとも簡潔で理にかなった文体だと思います。
「一死一生、乃知交情。一貧一富、乃知交態。一貴一賎、交情乃見。」
── 司馬 遷《史記列伝(四)第六十 19751016 岩波文庫》P298
 
 かくなる名文に、日本人が七五調のフシをつけて詠みたくなる衝動は
理解できますが、アグネスチャンの(香港なまりの)中国語で聴きたい
とは思いません。しからば、どっちが原文の趣きに近いのでしょうか。
回答者:bilda
2005-05-27 16:54:00
種類:補足要求
どんな人:一般人
自信: なし
--------------------------------------------------------------------------------
参考になった数:0件

   参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1410155
回答に対する補足
 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1410155の質問者様へ。

 こんにちは。

 『史記』を丸暗記ということなのでしょうか。感心しますね。『史記』は全部で百三十巻、五十二万余字です。

 私は中国人です。学生時代に(だいたい中学校、高校、大学のあたり)、国語の教科書に『史記』からとる文章を習ったことがあります。重要な段落は暗記までもしました。『史記』は文語です。今使っている中国語と大変違います。それを理解するために、文語の文型、漢字の昔の意味なども勉強しなければなりません。『史記』は大学入試の題材として採用されることも多いです。ある程度文語の知識がある中国人であれば、大体の意味が読み取れると思います。

 日本語を勉強する時に、中国語の文語と同じ意味の日本語の単語によくあいます。たとえば、「走る」の「走」という字は、中国語の現代語には、歩くという意味ですが、文語には、ちょうど日本語の走ると同じ意味です。このような例はほかにもたくさんあります。中国語の文語の知識は私の日本語の勉強に役立ちました。(本当です^^)
 
 『史記』は文学的価値も歴史学的価値もあり、非常にすばらしい作品です。魯迅は『史記』に「史家之絶唱,無韻之離騒(中国語)」という高い評価を与えました。これは歴史書には、『史記』にかなう本がありません。文学性に富み、『離騒』という作品と肩を並べることが出来ます。という意味です。参考URLで、『史記』をネットで読むことも可能です。

 http://www.guoxue.com/shibu/24shi/shiji/sjml.htm

 『史記』の現代語版もいろいろありますが、これは後代の人が『史記』を理解しやすいために、文語である『史記』を現代語に訳す版です。でも、普通『史記』の勉強というと、文語である『史記』のことと私は思います。

 文語に簡潔ではきはきしているなどの特徴があります。古代の人と同じように昔の言葉を使って文章を作るべきというわけではなく、古代の人がどのように段落に分けて文章を書くのは、勉強すべきことだと思います。また、現代語の文章は、たまには典故なども引用するので、文語の知識があればその時に助かりますね。中国語の文語の勉強は作文と読解に役立つと言えると思います。

 しかし、『史記』の口調をまねして、全部実際の会話の中に使ったら、やたらになりけりあらんやを使って、分かるような分からぬようなことを言うような気がします。ちょっとだけなら、知識の豊富な人という印象を相手に与えますが、使いすぎると、やはりおかしいと思われますね。

 以上ご参考までに。少しでもご参考になれば幸いです。
回答に対するお礼
 bildaさん、ありがとうございました。ルール違反ですね。教えて!gooにご迷惑をおかけしました。申し訳ありませんでしたm(_ _)m


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