adlibrary

余波文庫
(↓移転中)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/rss

 最期の謎 ~ ある時ふと、誰かのことを思いだす ~

2005-02-24 16:30:00 | Diary
 
 最期の謎 ~ ある時ふと、誰かのことを思いだす ~
 
── 「ある時ふと、誰かのことを思いだす。この現象はなにか?」
 ヒトに関する数々の不思議のなかで、最後の謎は“記憶”ではないか
という提言である。 ── 利根川 進:テレビ・シンポジウムより
 
>>
 
 平井正穂さん93歳(ひらい・まさお=英文学者、東京大名誉教授)
2月24日、肺炎のため死去。葬儀は5日午後2時、東京都新宿区大久
保1の14の14の日本福音ルーテル東京教会。自宅は非公表。喪主は
長男正樹(まさき)さん。
著書に「ルネサンスの人間像」、訳書にスウィフト「ガリヴァー旅行記」
など。(毎日新聞) - 2月28日19時9分更新
 
 平井正穂氏(ひらい・まさお=英文学者、東大名誉教授)2月24日
午後4時30分、肺炎のため東京都世田谷区の病院で死去、93歳。熊
本県出身。葬儀・告別式は5日午後2時から東京都新宿区大久保1の1
4の14、日本福音ルーテル東京教会で。喪主は長男正樹(まさき)氏。
 英国詩を中心に研究、数多くの翻訳を手がけた。
著書に「イギリス名詩選」、訳書にミルトン「失楽園」、デフォー
「ロビンソン・クルーソー」、スウィフト「ガリヴァー旅行記」など。
(共同通信)
 
<<
 
 Defoe,Daniel 作家 1661‥‥ London  17310504 70 /1731-0424-0426 71
 平井 正穂 英文学 19111210 熊本 東京 20050224 93 /福岡
 吉田 健一 英文学 19120327 東京   19770802 65 /1977-0803/茂(首相)の子
──────────────────────────────── 
── 吉田 健一・訳《ロビンソン漂流記 19590930 新潮文庫》P087
── 平井 正穂・訳《ロビンソン・クルーソー(下)19911005 岩波文庫》P187
── 平井 正穂・訳《ロビンソン・クルーソー(上)19671016 岩波文庫》
── 《The life and strenge surprising adventures of Robinson Crusoe, 1719》
 1660墓碑1661生家の看板/ムアフィールズの隠れ家で0426没
 生没点描/架空暦 1660Julius~17310426Julius0415,享保16/0320

 
 前日、門脇邦夫氏への誕生メール:マーティンの消息?
 イギリス人のユーモア:マーティンのいたずら「ヤッホー」(別稿)
 ロビンソンのユーモア:熊のエピソード
 
 あざとく日の丸を立てた“お子様ランチ”だった。(Let'199606..)
 もう一度読めるなら(世界の書物)。
 漱石の下宿主人は《ロビンソン・クルーソー》の名を知らなかった。
 
(未完)2005-02-24 16:30:00 <0228

 石原語録“ババァ”発言裁判判決!

2005-02-24 13:15:00 | Diary
 石原語録“ババァ”発言裁判判決!
 
>>
 
 2001年11月「週刊女性」誌上で石原都知事は「女性が生殖能力
を失っても生きているのは無駄で罪です」「女は閉経してしまったら子
供を生む力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きて
るってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって」と発言しました。
1年後の2002年12月、131人の女性が、石原「ババァ発言」の
撤回と謝罪・損害賠償を求めて裁判に立ち上がりました。
 それから2年、10回にわたる口頭弁論で12人の原告が、自らの、
母の、子どもの人生を振り返りながら、石原発言がいかにひどい言葉の
暴力であったかを明らかにしてきました。被告石原都知事は、発言をし
たこと、謝罪をしていないことを認めながら、一度も法廷に現れること
なく、「原告等の被害は法的保護の対象ではない」と無視し続けていま
す。石原発言以降、政治家たちの差別発言は続き、世の中がとても「暴
力的」になってきた今、いよいよ石原裁判の判決を2月24日に迎えま
す。
 判決を前に、なぜ「めくじらをたて」て裁判訴えたのか、裁判で明ら
かになったものは何か、いま急速に暴力化している世の中にあって裁判
の意味は、などを皆さんと語る「提訴2周年判決直前のつどい」を行い
ます。ぜひご参加ください。
 
プログラム
原告陳述書の朗読アクション 竹森茂子さん他
弁護団報告「石原裁判でみえてきたもの 勝ち取ったもの」中野麻美さん
みんなで語ろう 会場から
参加費:500円
 
石原都知事の「ババァ発言」に怒り、謝罪を求める会
連絡先:3940-3904
────────────────────────────────
石原「ババァ発言」裁判判決 傍聴をお願いします!!
2月24日 午後1時15分 東京地裁627号室
 
 石原裁判 提訴2周年 判決直前のつどい
 もうたくさん! 石原都知事
 今すぐ「ババァ発言」を謝罪して 去れ!
 
 とき :2005年2月4日(金)午後6時半~9時
 ところ:文京シビックセンター 3階会議室1&2
     地下鉄丸の内・南北線「後楽園」下車3分
 
http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-January/000279.html
 
<<
 
2005-02-24 13:15:00

 水谷修先生の夜回り日記

2005-02-24 02:43:00 | Diary
 水谷修先生の夜回り日記
 
第54回 明日の夢さえあれば
 
 先週は、長崎で筑紫哲也さんとの仕事でした。緊張の連続でしたが、筑紫さんの優しさと思いやりでまずまずの仕事はできたと思います。ところで、長崎では二晩、夜回りをしました。私が夜回りをした日は、長崎のランタン祭りで、大変な人混みでした。そして、夜遅くまで多くの若者たちが街角で固まっていました。

 一組一組と、ていねいに話し合いながら、数時間の夜回りをしました。うつろにビルの階段に座り込む女子中学生たちは、なかなか帰ってくれませんでした。「どうせ、親は心配してないよ。あきらめてるよ」。哀しい言葉でした。

 歯を見ると、すでにシンナーで溶けてしまっている10代の少年たち。私のシンナーの害についての話を神妙に聞いていました。病院と、薬物依存症者のリハビリ施設「ダルク」を紹介しましたが、行ってくれるのやら。

 駆け寄ってきた一人の母親は、少年院から戻ってきたばかりの自分の17歳の娘の覚せい剤乱用について、必死に相談してくれました。長崎でも、シンナーを中心として覚せい剤まで、広く薬物が子どもたちの間に広まっていました。哀しいことでした。

 初日の夜回りは、午後11時半過ぎから午前2時ごろまで、思案橋付近を広く回りました。街角のあちらこちらにたむろする若者たち。その側を何の違和感もなく、足早に通り過ぎる大人たち。哀しい風景でした。

 今、日本中のどの町で夜回りをしても、若者たちが必ずたむろしています。しかも、うつろにさびしげに。本来なら、昼の世界で、太陽の下で、明るく明日を夢見、明日のためにいきいきと活動しているべき子どもたちが、夜の町に沈んでいます。道にたむろする若者たちが、夜の町の当たり前の景色にまでなってしまっています。

 それに対して、東京都は厳しい警察による取り締まりで排除に。私の住む神奈川県は、深夜業の店舗への法規制や指導要請で対処しようとしています。

 長崎で夜、出会った若者たちは一様に言いました。「もういいんだ。どうせ、昼の世界は相手にしてくれないから」。

 夜の世界の子どもたちは、明日の夢を失っている子どもたち。明日の夢さえ、昼の世界で作ることができれば。だれが子どもたちに明日の夢を作るべきなのでしょう。大人の責任です。

 2005年2月23日

【プロフィール】1956年横浜市生まれ。上智大学文学部哲学科卒業。83年横浜市立高校の教師になり、98年から市立戸塚高校定時制社会科教諭、04年4月から市立横浜総合高校教諭。同年9月、横浜市の高校教諭を辞職。中・高校生の非行防止と更生、薬物汚染の拡大防止のために、夜の繁華街をパトロールする。薬物防止の講演では全国を駆け回る。03年東京弁護士会第17回人権賞受賞。著書は、「夜回り先生」(サンクチュアリ出版)、「夜回り先生の卒業証書」(日本評論社)など。
 
 バックナンバー 一覧

2月23日 第54回 明日の夢さえあれば
2月16日 第53回 「先生は、さみしくないんですか?」
2月 9日 第52回 うれしいメール
2月 2日 第51回 投薬
1月26日 第50回 過去に苦しむ人たちへ