絶望名人カフカの人生論・頭木弘樹 編訳・新潮文庫・152ページと153ページからの転載です。
文学者としてのぼくの運命は、非常に単純だ。
夢見がちな内面生活を描写することが人生の中心となり、
他のすべてのことを二の次にしてしまった。
ぼくの生活はおそろしくいじけたものになり、いじけることをやめない。
内面生活の描写以外、他のどんなことも、ぼくを満足させられないのだ。
しかし今や、描写をするためのぼくの力は、まったく当てにならず、
おそらく永久に失われてしまったようなのだ。
-日記ー
「他のすべてのことを二の次にしてしまった」というのは、たしかにその通りです。
勤めもおろそかになりましたし、結婚もうまくいかず、家庭をもつこともできませんでした。
にもかかわらず、そこまでして人生の中心にすえている「夢見がちな内面生活を描写すること」
が、「まったく当てにならず」それどころか「おそらく永久に失われてしまったようなものだ」
というのですから、まったく絶望的な告白です。
でも、この日記が書かれたのは、1914年の8月のことです。
これ以降にカフカは、「訴訟(審判)」「城」などの重要な長編小説や、「流刑地にて」
「田舎医者」「万里の長城」などの数々の名作短編を生み出していきます。
これは絶望が間違っていたということではありません。
人は絶望からも力を得ることができるし、絶望によって何かを生み出すこともできる、ということです。
文学者としてのぼくの運命は、非常に単純だ。
夢見がちな内面生活を描写することが人生の中心となり、
他のすべてのことを二の次にしてしまった。
ぼくの生活はおそろしくいじけたものになり、いじけることをやめない。
内面生活の描写以外、他のどんなことも、ぼくを満足させられないのだ。
しかし今や、描写をするためのぼくの力は、まったく当てにならず、
おそらく永久に失われてしまったようなのだ。
-日記ー
「他のすべてのことを二の次にしてしまった」というのは、たしかにその通りです。
勤めもおろそかになりましたし、結婚もうまくいかず、家庭をもつこともできませんでした。
にもかかわらず、そこまでして人生の中心にすえている「夢見がちな内面生活を描写すること」
が、「まったく当てにならず」それどころか「おそらく永久に失われてしまったようなものだ」
というのですから、まったく絶望的な告白です。
でも、この日記が書かれたのは、1914年の8月のことです。
これ以降にカフカは、「訴訟(審判)」「城」などの重要な長編小説や、「流刑地にて」
「田舎医者」「万里の長城」などの数々の名作短編を生み出していきます。
これは絶望が間違っていたということではありません。
人は絶望からも力を得ることができるし、絶望によって何かを生み出すこともできる、ということです。