腹話術人形けんちゃんの日記

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1979年(昭和54年)4月名護高校での担任(2年7組) 2013年6月1日(金)

2013-05-31 02:18:04 | 日記
 2年7組の45名と1979年の大部分を関係をもちながら過ごしてきました。私にとってもこの1ヵ年はいままでの人生中でも有意義な1年でした。本採用が決定した3月末。4月に7組の担任。
 5日に台湾へ。8月の東京へ。11月に体育祭。12月に教員住宅に入居。気まぐれ日記を38号まで出すことができたことも収穫だった。
 11月下旬にルーム長を中心にして私に意見をいいたいとのことで話し合いを持ったことも印象深い。対立しながら高次の段階に成長していく。私と生徒の関係も弁証法であってほしい。今の私にとって7組は生きがいのひとつです。
 楽しい時は共に喜び。苦しい時はと共に考えていきましょう。
 1980年も私と緊張の中にもなごやかなに頑張っていきましょう。次に旧役員と新役員の挨拶をお願いします。

愛読している本[沖縄宣教の課題 著者津波真勇]2013年4月30日(木)

2013-05-30 04:13:08 | 日記
 沖縄宣教の課題は、横書きである。文字も大きいです。発行年月日:2000年5月15日である。発行所:多摩ニュータウンバプテト教会です。
津波真勇さんとは首里高校2年の時以来のつきあいである。1964年以来です。現在は東京在住です。学年は1つ下です。
背はあまり高くないがガッチリしていて、見た目には牧師には見えません。労働者のような感じです。
 特に面白かったところは、143頁の[教科書に書かれていない沖縄のこと]です。
息子の通っている小学校で学級担任に沖縄のことを話して欲しいと頼まれて引き受けたそうです。
 7ページ書かれています。最後に[沖縄観光のお勧めは?]という質問に答えます。私の故郷は首里ですから沖縄県立博物館を訪ねてください。
そこで沖縄の歴史とか、文化とか、民族とか、大急ぎで沖縄のことを眺めて、それから各地を観てください。首里はいいところですよ。
沖縄県立博物館は現在は那覇新都心のおもろ町に移転しています。
 東京に行く時はいつも会っています。エネルギッシュな人物で自転車にのりながら、賛美歌を作ったりします。
沖縄には年に何回かきますが、泊まるところは、カプセルホテルです。
 私と知り合ってから49年になります。真勇のだいたいのことは知っています。皆さん
図書館に行けばこの本は手にはいります。是非読んで下さい。私は4回も読みました。



新婚旅行1980年(昭和55年)8月。2013年5月28日(火曜日)

2013-05-28 09:49:24 | 日記
 8月19日の午後1時に全日空のスーパージャンボに乗っていました。それから2時間後には羽田空港にいました。さっそく、新宿の近くの若夏荘に泊りました。24日(日曜日)の朝までそこにいました。
 その間にコマ劇場で島うらいよ倉千代子ショーや男はつらいよ(ハイビスカスの花)などを見ました。茨城県の日本原子力研究所も見学しました。紀伊国屋書店や秋葉原などにも行きました。24日の午後に新幹線で博多に行き、そこで1泊しました。翌日に特急で鹿児島に行きました。奇跡の人という映画を見ました。翌日の5時に琉球海運のプリンセス沖縄にのりました。お客さんは少ししかいませんでした。やはり客を飛行機に奪われているなーと思いました。翌日の3時に(27日)に那覇港に着きました。

3つに宗教が混在するエルサレムへの旅1997年No2(2013年5月25日土曜日)

2013-05-25 07:20:26 | 日記
 飛行機の中で隣りの席の人にタクシー料金の事を聞いていたので、これは高いと思った。

バックの中から取るものがあるとあると言って強引にトランクからバックを取って急いで空港に戻った。

乗合タクシーが待機していた。私が乗って8人になったので出発した。料金は10US$だった。旧市街のヤッホオの門の前で降りて、

アテネでBさんに聞いていたPetraホテルを探した。

すぐに見つかった。1泊20シケア(680円)だった。

ユースホステルのようなところである。その3階には、バス、トイレ付きの個室もあって1泊5000円(日本円)。

3日目はそこに泊まった。城壁に囲まれたところをエルサレム旧市街と言っているが、

約800メートル×800メートルの広さで2時間もあれば、ほとんどを回ることができる狭いところである。

 夜が明けたのでホテルを出た。少し歩くと[嘆きの壁]が目の前に現れた。朝早いせいか祈っている人はいない。しかし数十人の機関銃を持った兵士が警備をしている。[嘆き

の壁]のすぐ近くにマホメットが昇天したと言われている[岩のドーム](イスラム寺院)がある。イエスが十字架にかけられ、磔刑に処せられたゴルゴダの丘の上に立つ

ー聖墳墓教会ーも城壁の中にある。

 Petraホテルに3日間宿泊している間になんども城壁の中を歩いたが、危険をかんじたことは一度もなかった。

 7月の末に爆弾テロがあったイエフダ市場は城壁の外にあってPetraホテルから歩いて30 分のところにある。そこに行った。破壊されたところを修理していたが、多くの買

い物客で賑わっていた。何箇所かに機関銃をもった兵士が立っていた。機関銃を持った女性の

兵士を見かける時もあった。ガリラヤ湖に行くためにバスに乗った時にも数人の機関銃を持った兵士と一緒になったこともある。

 城壁に中には、2箇所の[いんホメーションセンター]があって観光客に様々な情報を提供している。

 イスラエル滞在4日目に下痢をした。テルアビブのファストフード店でターキー朝食というものをたべた。ホットドッグみたいなものであるが、

ソーセイジの代わりにいろんな野菜からなにから入っている。それを食べた後、調子が悪くなった。その日から翌日まで、ずっとホテルの部屋で過ごした。

次の日にはエジプトのカイロに向けて出発した。

 ファストフード店の名前はSUBWAYだった気がする。下痢には正露丸が一番いいそうですね。



3つの宗教が混在するエルサレムへの旅(1997年)No1.(2013年5月25日)

2013-05-24 21:19:43 | 日記
高校2年の時に映画[十戒]を見てから、ユダヤ民族の歴史に興味を持った。又

 その頃キリスト教に興味をもっていたので、聖書の歴史の舞台になったエルサレム

を訪ねて見たいと思っていた。

 その思いを1997年の夏に実現した。HISで沖縄とウイーンの往復切符を買って7月27日

に那覇をソウル経由で出発した。(アシアナ航空で)ウイーン空港に到着しました。夜中

でした。ウイーンで1泊しました。翌日列車でベニスに行きました。1泊しました。翌日列車でローマに向けて出発しました。ローマで3泊しました。その後、ギリシアのアテネに

いった。そこの格安きっぷをあっかっている旅行社で、アテネーテルアビーカイローアテネ

の切符を5万円で買った。偶然にもそこで中城村出身のAさんみに会った。Aさんと一緒にアテネ市内を歩いている時に神戸出身のBさんが声をかけて来た。

2人とも30代後半で、私達は意気投合して一緒にパルテノン神殿に行った。

幸いなことに、Bさんはイスラエルとエジプトを1ヶ月間かけて旅行をしてきたばっかりだったので、

私はイスラエルについての貴重な情報を得ることができた。遅くまで酒を飲みながら話をした。

2人に出会って話を聞くことができただけでも今回の旅を計画してよかったと思った。

 8月5日の夜8時にオリンピック航空でアテネを離陸して、90分後にベンブリオン空港に

到着した。空港でヘブライ文字を見た時に、ついに来た!と実感した。アテネの離陸が予定

より1時間も遅れたので空港をでた時には夜の10時半を過ぎていた。エルサレム行きの

乗合タクシーを探していると若い青年が話しかけて来た。[もう遅いからエルあサレム行き

の乗合タクシーはない。自分の車に乗らないか]私は彼について行った。バックを彼の車のトランク中に入れた。[料金はいくらか?]と尋ねた。[80US$]と彼は答えた。