バックアップ

日常のバックアップ。

0925~0929

2013年10月14日 01時02分23秒 | 雑記

父方の祖母が老衰で亡くなったので通夜・葬儀のために帰省した。親から連絡があるのはだいたいが良くない報せがあったときだと分かっているので、祖母の死は携帯電話に母の名前が表示されたときに真っ先に想像した範疇の出来事だった。過去に何度か金の無心をされたが(未だに一部しか返済されていない)、実家にいる弟が昨年就職したことから金銭の話は除外できた。となると、9月25日(水)のこの電話は誰かの不幸しかない、と考えたのだ。

祖母の訃報を受けて真っ先に考えたのは9月26日(木)と9月27日(金)の平日を忌引き休暇で休めるのかということ。この月は2週連続で月曜が祝日の3連休で、しかもその後半の3連休は金曜日に有給を使って4連休にしていたので4連休明けの週にまた上司に休暇を申し出ることに心理的な抵抗を感じた。結局、次の日は通常通りの時間に家を出て、休暇を拒まれても出社できるように会社の近くの喫茶店から上司に電話をかけ、無事休暇の了承を得ることができた。

祖父が亡くなった時もそうだが、祖父・祖母にはあまり親しい感情を持っていない。特に不遇にされたわけでもないし、寧ろ可愛がってもらったはずで(特に祖母には)、真っ先に休暇のことを考え、さらには帰省するのがめんどくさいとか、金曜日のかせきさいだぁのライブに行けなくなるのが残念だとか、ついでにどこかで観光しようなどと思ってしまうのは薄情かもしれないが、そういう人間なのでしょうがない。

結果的に、通夜・葬儀に出たのはいい経験になった。それは、通夜・葬儀を通して今までどれだけ祖母に可愛がられたかを振り返ったり、列席者との話の中から、所謂「死者は生者の心の中で生きている」ことを実感できたというわけではない。通夜の後、葬儀場内の祖母の棺を置いた部屋で線香と蝋燭の番として父や弟と一夜を越したこと(葬儀場までピザを頼んだり、朝は近くの喫茶店で喪服を着ながらモーニングを食べたりした)や、ドライアイスで冷やされた死者の冷たい肌に触れたことや、開かれた火葬炉の熱気や、焼き終わったばかりの熱を帯びた骨を骨壺に詰めたことや、時間に追われながら慣れない手続きを進める伯母や父の姿を眺めて大変だなと思ったことだったり、どういう繋がりか分からない親族と喋ったり、どうやら浄土真宗は読経に木魚を使わないと分かったことだ。

言葉は悪いがなんだか楽しかった。流石に若くして亡くなったり、不慮の事故で亡くなっていたらそんなことは言えないが。


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