戦争の記憶

2009年08月06日 | Weblog


8月6日は、広島に原子爆弾が投下された日
その昭和20年から、今年で64年の歳月を刻んだ。
昔の人間の寿命なら、人間の一生を超えるような歳月なのだ。

私の戦争に関わる唯一の記憶は
夜、おしっこに起きて見たのだろうか
西の方の空が、夜中なのに赤々と燃えていたのだ。

これは後になって知ったことで
新潟県の中央部に位置する長岡という町が
空襲を受けて街が燃えていたのだ。

その記録を今、Googleで調べてみると
この長岡の空襲は、昭和20年8月1日の午後10時30分から
約1時間40分にわたって焼夷弾の攻撃を受けたとある。

それはその年だったか、もっと後だったか定かではないが
父に連れられて、空襲で瓦礫になった長岡の町を歩いた記憶がある。
赤レンガの崩れかけた建物の脇を通ったりした。

そこでなぜか、銀紙に包まれた丸いチョコレートを父に買ってもらったのだ。
世の中に、こんなに甘いお菓子があるのか、その強烈な感動が
不思議と今も残っている。

アメリカは、日本を攻撃するには
日本の家屋が木と紙で出来ていることを熟知し、それを攻撃するに
もっとも効果的な焼夷弾を開発したのだという。

日本上空の制空権は完全にアメリカに支配され、
日本の反撃する力は、まったく残っていなかった。
まさに刀折れ、矢尽きた状態だった。

もはや焼夷弾でも充分すぎるほどだったのに
アメリカは、決定的な殺人兵器・原子爆弾をもって
日本にとどめをさした。

この年の記憶はもうひとつある。
それは4月16日、ちょうど五泉の八幡神社の
春祭の翌日のこと、大火事があって、約1000戸の家屋が焼失
我が家も焼けてしまったのだ。ただ大きな2階建ての小屋だけが焼け残り、
長岡の空襲を見たのも、この建屋からだった。

写真は空襲で焼野原になった長岡(長岡市のHPより)

にいがた

朱鷺メッセより