マッタリ家庭教師のポシライフ

豊かな暮らしを求めます!

一人の命と一人の命

2007年02月10日 23時51分16秒 | 
先日、痛ましい事故がありました。

自殺願望のある女性が,その想いを遂行すべく線路内に立ち入り,
それを交番勤務の警察官が助けに入り,2人共々電車にはねられ,
警察官は重体,女性は重傷とのこと。

↓探偵ファイルより
死を賭けた警察官がいる/BOSS

俺は自殺はいけない事だとは思いますが,それをしようと思う大人を止めようとは思いません。
冷たい人間と思われるでしょうが,止めやしません。
子どもの場合は話は別ですが・・・

死を選ぼうという決断に至るまで,どれだけの苦悩があったのか,外部の人間からは図り知る事はできないだろうからです。

色々と光を求めているが,一向に光は射さない。
射す気配もない。

「死ぬな,生きろ」
と言うのは楽だ。

じゃあ,どうやって生きるのか。
光明も無いままに,そして差し伸べる事もできないとしたら,そんな無責任なことは言えない気がするわけです。

「生きていたらきっといいことがある」

もちろん大半の人はそうなんでしょう。
しかし,そうではない人もいるのです。

その人が考えて考え抜いた結果,
耐えて耐え抜いた結果,
行き着く先がそこだとしたら止めようがないと思うのです。


自分の生死を選択する権利はあっても,他人の生死を選択してはいけないんです。


どうして,人を巻き込まないような方法を取らないのか。
例えそれが一番早い道だったとしても,巻き込む可能性のある方法を取るべきではないはずです。
今回の事故はまさにそうなんです。

世間で脚光を浴びるような警察官とは異なり,
周囲から愛されていて,他人のために命を張れる警察官を巻き込んでしまったのです。

憤りにも似た気持ちが芽生えました。


何とか警察官の方には生還することを祈るばかりです。



最後に,俺は自殺否定派ということを付け加えておきます。

生きたくても生きることができない人がいる。
必要とされていながらも生きることができない人がいる。

そう思うと自分は五体満足で生きている事に感謝しているし,
両親や家族、親友や友人たち、そして生徒たちがいる。

そんな人たちを差し置いてどうして自ら死を選ぶ事ができましょうか。


どんなに苦しい状況になったって,周りの人たちに助けられているのです。

そう思うと,そのような愚行をするわけにはいきません。


最後の灯火が消えるその日まで俺は生き続けます。

流される

2005年07月06日 14時11分05秒 | 
人は流される生き物だと思う。
楽か苦かと言われれば、楽を選びがちになるだろう。

私も目先の楽を選ぶ傾向にあるようだ。
自分に制約をかけても簡単に破ってしまう。

「ちょっとくらいなら・・・」

そんな気持ちだろうか。

目先に捉われている人間は大成しない。
もちろん目の前のことをクリアしなければならないのであるが、
今歩んでいる道がどこに続いているのか把握しているのか?

塾の生徒に
「成績をもっと上げたいのならば、犠牲にするものも必要だ」
と豪語している自分が情けない。

自分も何かを犠牲にしなければならないのに・・・

改善無き反省は単なる後悔
後悔役に立たず

それを思い起こして、一分一秒大切にしたい。
目標を夢で終わらせないためにも。

自分を正す

2005年04月24日 22時02分17秒 | 

最近、休日にやることと言えばパチスロです。
ギャンブルが好きなのか?と言われたら好きかもしれませんが、
結局の所、暇つぶしなのですね。

しかし、そんなパチスロに最近は現をぬかしすぎていました。
金額も張っていましたし、もはや趣味の域を越えていました。

パチスロで勝っても負けても残るのは虚しさだけな気がします。
何にも得るものはありません。

単なる時間の浪費と精神的な疲労だけが後に残ります。


今までに何回か辞めようとしましたが、
今回ほどそう思ったことはありません。

宣言することによって、退路を断ち、自らを正したいと思います。
暇な時間にこそ、もっと有益な時間の使い方を自分に叩き込んでいきたいと思います。


生徒には指導できるのに、自分を指導できない先生なんて上っ面だけですよね。
今日限りで、完全に身を引きたいと思います。

人間1人が生活するってお金がかかるものです。

2005年03月03日 02時16分20秒 | 

ふと考えました、給料の使い道を。
社会保険料等で差し引かれた手取りの内、

家賃
駐車場代
携帯電話代
固定電話代
インターネット代
電気代
水道代
ガス代

を支払わなければなりません。
更に

食費(1日1000円だとしたら3万円か…)

がかかり、

私の場合は

車の諸経費(ガソリン代、保険料や車検の積み立て)

もあるわけです。


学生時代は裕福でした。
それというのも仕送りのおかげでした。

今後自分が親になって自分の子どもに同じことをしてあげられるか?

責任を感じました。

最近忙しいと自分に言い訳をして

2005年02月25日 01時07分24秒 | 

ポシィことをしていないことに気がつきました。

ポシィって何?って思われた方・・・
正常です。
だって私と友人で編み出した造語ですもの。
意味をお知りになりたい方は当ブログの最初の方の記事をご覧ください。
書いているはずです(ちゃんと飛ばせよな)

このままではこのブログのタイトル『マッタリ家庭教師のポシライフ』が嘘になってしまう!!
(塾に勤め始めたおかげで家庭教師の比重はかなり少ないし、忙しい忙しいとかまけてマッタリでもない。そしてポシくない)

次の日の自分のことを考えてつい守りがちになってしまっていました。
お恥ずかしい限りです。

仕事だけなら誰でも出来る。
遊びだけなら誰でも出来る。
だったらガツンガツン働いて、思い切り遊ぼうというのが自分のモットーじゃないのか。

ついさっきハッとしました。
せっかく思い出したこの感じを忘れたくないのでココに記しておきます。

ひとまず今年達成することを挙げときます。

・事業を立ち上げること(友人と水面下で計画を煮詰め中)
・宮崎に行くこと(47都道府県で行ったことがない唯6のうち1つの県、残りは全部東北)
・資格をとること(これについては昨年から勉強していますがあえて何かまでは書きませんね)


『人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり 
  一度生を受け 滅せぬ者のあるべきか』


信長も好んだ敦盛の詞を心に再び刻もう。

従妹が事故に遭いました

2005年02月10日 01時38分26秒 | 

この前の土曜日のことです。
祖母の五十日祭(仏教に当たる四十九日)が行われ、無事納骨が終わりました。
父方の祖母だったので、父方の伯父さん伯母さんたちが集まり宴となりました。
また母方の伯父さんも来てくれました。

母方の親戚とは、かなり親しく付き合っているので話も弾みました。(父方の親戚には申し訳ないが…)

法事が終わると、残った人で宴会が始まりました。
もう激しくお酒が飛び交っていました。
私は人を送るという任務があったので一滴も飲みませんでしたが…

宴会→カラオケが終わって、皆それぞれに就寝しました。
母方の伯父と私と弟と3人で離れで床につきました。

私は仕事があったので、2人が寝た後も黙々と作業していました。
午前3時過ぎだったでしょうか、伯父の携帯が鳴りました。

しかし、熟睡しているため伯父は気がつかなかったようですし、私も迷惑電話だと思い気に留めませんでした。
再び電話がかかってきました。
今度は伯父も気づき寝ぼけながらその電話を取ったのですが、様子が一変しました。

会話を聞いていると、従妹が事故に遭ったというものでした。

電話が終わり、内容を聞くと従妹が事故に遭って今病院にいる。
同乗者の1人が意識不明らしい、ということでした。

伯父はすぐに帰ろうとしたのですが、酒を飲んでいたこともあるので、もう少し休んでから帰るよう促しました。

早朝、伯父は帰りました。
帰る前に伯母に連絡を取ったところ、病院には事故にあった従妹の他に伯母、従兄、従妹の3人が行っているということでした。

私たちはどうすることもできません。
ただただ安否を祈るばかりでした。

伯父が出て2時間くらいたって、伯父から連絡がありました。
内容は
・事故に遭った従妹は全身を打撲しているが、異常はないということ
・意識不明の同乗者の方はICUに入っていること
・車はもう見る影もなくグシャグシャになっていたこと
でした。

伯父が無事に帰ったことと従妹が無事だったことからホッとしましたが、
それよりも重体の方の安否が気になりました。

従妹は仲の良い友人を送ろうとしているときの事故でした。


今日、手伝いをしに行った母から連絡がありました。
車はもうスクラップしたように潰れていて、生き残ったのが奇跡のような感じだった、と言っていました。
意識不明の方の状況は以前変わらず、従妹も検査を続けているようです。

事故の詳細も聞きました。
従妹が友人を送ろうと停車しているところに、車が突っ込んできたそうです。
従妹が運転席にいて、助手席の人がちょうど降りようとしている時に事故に遭ったようです。
助手席の人は奇跡的にカスリ傷程度で済み、従妹は全身打撲。
後部座席に乗っていた人が重体になりました。

突っ込んできた車の運転手も怪我はしたものの命に別状はないそうです。


はっきり言って、運転手はどうでもいいと思いました。
明らかに突っ込まれた従妹側は被害者なのです。
本音は「何でそいつは助かっとんねん」です。


私は何もすることが出来ません。
重体の方の快復を祈るばかりです。


仲が良い人がいなくなるなんて考えたくないですもの。


私も車を運転します。
改めて自分だけではなく同乗者の命も預かっていることを意識しました。
事故を起こすのも巻き込まれるのも絶対に嫌です。

従妹は責任感が強い人です。
それだけにショックも大きいでしょう。
私は従妹以外の人とは全く面識がありませんが、
3人でこの日のことを昔話として語れる日が来ることを心の底から祈ります。

人のために働きたい、力になりたい

2005年01月31日 23時26分52秒 | 

こういうセリフをよく聞く。
しかし、その前に尋ねたいことがある。

「お前は頑張っているのか?」


確かに「人のために・・・」みたいに誰かのためにと言うと耳心地はいい。
しかし、自分のために頑張れないような奴が
他人のために頑張ることなど到底無理だと私は思うのである。

その他人からすると余計なお世話であることも多そうだ。

逃げ口上でついつい口にする人もいるでしょうが、
一歩立ち止まって「自分は頑張っているのか?」と考えてもらいたいものです。

自己満足でもいい、自分で「頑張っている」と胸を張れたとき、
「他人のため」に頑張ってください。

疎遠になっていた人から

2005年01月07日 00時07分48秒 | 

以前親しかった女性から最近メールが来るようになった。
ただメールが来るだけなら問題無いのだが、その内容に問題があるのです。

親しく関係していた時よりも、その内容は・・・

うれしい気持ちもあるが、今になってどうしろというのだ。

ホント、タイミングって重要だと思いました。

自戒と希望

2004年12月12日 19時19分02秒 | 

今回の記事は、UPしても皆さんには全くの有意義な情報をもたらしませんが、
私、access4126の自戒の意をこめて書き記しました。



もう、無理だと半ばあきらめていました。
あの時の情熱はどこかに消えかけていました。

押しても手応えがないし、会いたくても遠い。
そして仕事柄時間も合わない。

もうメールを送ることもやめてしまった12月。
仕事に生きると開き直った12月。

そんな今日、もう聞くこともないだろうと思っていた着メロが突然流れました。

クリスマスは仕事できっと会えないけれど、時間を作ります。
数時間でも時間を作ります。

日曜日ライブだってね。
誘ってくれてありがとう。
日曜日も仕事があるけれど、絶対見に行くよ。

2004年12月07日 17時38分18秒 | 

アントニオ猪木氏の有名な詩、『道』。
みなさんご存知でしょうか?
ご存知ではない方は、下記のURLより飛んでみてください。

http://rui.adam.ne.jp/inoki/poem1.shtml


今、私は自分の道を切り開こうと暗中模索の日々です。
はたからみれば単にうごめいてるにすぎないのかもしれません。
日々、順調満帆と思ってる方もいるでしょう。
でも苦悩の日々を送っている、と自分では思っています。
家に帰った時、色々なアイディアが頭をよぎります。
色々やりたいことがあります。

でも、なかなか一歩が踏み出せない自分。

自分の前に道はなくとも、自分の後に道ができればいいじゃないか。

絶えず臆病な自分はいるけれども、それは危ぶんでいるだけだと信じて
自分の信じる道を築き上げたい。