静岡県こども県議会

2022年08月19日 | Weblog

静岡県議会こども県議会が3年ぶりに開催されました。

これは、静岡県議会の主催で県議会の本会議場を使用して全県の全市町から選ばれた中学2年生議員が

俗に言う「ひな壇」に並んだ、知事以下静岡県幹部職員と県議会議長に県政に関する提言をするというものです。

毎年静岡県の誕生日である8月21日におこなわれていたんですが、コロナ禍でこの2年間中止されていましたので、

今年は久々の復帰です。・・・なお今年は21日が日曜日なので前倒して本日19日の開催です。

我々議員は本会議場議席後方に特別にイスを持ち込んで傍聴です。

今年は10名程度の傍聴がありました。

 

本会議は本物同様に選出された中学生議長、副議長による進行で行われ、

代表者数人が質問に立ち、知事、副知事以下関係部長が答弁に立ちました。

質問に登壇しない議員は開会後ひとりひとり登壇し、自己紹介と「どんな静岡県にしたいか」

という思いをそれぞれ1分程度でしっかりと全員が語ってくれました。

傍聴した我々議員には全員が書いた提言作文が配布されましたが、どれも読み応えがあり

なるほどなあ、と唸るものもあり、『ちゃんと受け止めました!』とこの場をお借りして申し上げます。

 

質問の質疑応答のあと、全議員に自由に発言する時間が設けられていましたが、

挙手制で議長の呼びかけに答えて何人もの中学生たちが堂々と発言していたのには感銘を受けました。

・・・本来の私の席周辺には、たまたま浜松市と湖西市の中学生たちが座っていましたが、

開会前に緊張する彼らに『おじさんはこの席のひとだよ』と言いながら『議席はねえ、当選回数順で前から座ってるんだよ』

『おじさんは最後列では一番若いんだ』とか、学校のことや部活のことを聞きながら、開会前の時間を過ごしました。

で、最後に、質問登壇機会がないという彼らには、最後にある自由発言でがんばって手をあげなよ、

と言っておいたのですが、最後の最後にそのなかの一人が勇気をふりしぼって挙手をしてくれました。

震える声で発言したくれた内容は、

「いままで政治のこと考えたことなかったけど、今日県内の同級生のみんなの話を聞いて、

いろいろなことを知りました。私ももっといろいろ考えないといけないんだと感じました。

未来をつくるのは私たちだから、私たち自身が考え、行動しないといけないと思っています。」

・・正確な表現ではないかもしれませんが、このような趣旨の発言をしてくれて、本当に心に響きました。

 

この発言が最後の発言になり、「こども議会宣言」を採択して議会は閉会されましたが、

振り付けされたり、仕込みをされたわけではない、中学生たちの真剣なやりとりに感動を覚えました。

本物の議員である私としては、必ず期待に応えなければと気合いを入れ直した今日の傍聴となりました。

 

中学生議員のみなさん、ありがとうございました。勉強になりました!

今日の経験が、みんなのこの夏の思い出、人生のひとつのきっかけになってくれるといいな、と祈っています。

身体に気をつけて、これからもがんばってください!

 

追伸

最後に、このこども議会を準備運営をしてくれた議会事務局のみなさまにも感謝申し上げます。

本当に復活できてよかった。内容も全員が発言できるしつらえにしてくれてあったし、工夫の成果です。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 


大文字送り火

2022年08月16日 | Weblog

京都の大文字送り火、正式には「五山送り火」が3年ぶりに開催されました。

日本の夏の風物詩ですね。

BS放送で中継がありましたので、映像を通してですがリアルタイムで少し拝見することができました。

私は京都人ではありませんが、日本人の一人として、夏の風物詩の開催はやはり嬉しい限りです。

 

コロナ第7波はまだまだ継続しています。

しかしながら、「withコロナ」も定着してきて社会活動に大きな制約がないなかで、

注意を払いながらの社会活動が続きます。

この状況下では、医療関係者のみなさまや俗に言うエッセンシャルワーカーのみなさまのご労苦は厳しく、

心からの御礼と敬意を表したいと思います。

 

京都五山の送り火はご先祖様への感謝を込めての送り火ですが、

今年は、さまざまなお立場で社会活動をお支えいただいているみなさまへの感謝も込めて、

静かに闇を照らしてくれているよね、と、

映像の向こう側の炎に語りかけながら見つめた今夜の送り火です。


平和をつくるための政治

2022年08月15日 | Weblog

今年も終戦記念日を迎えました。

戦後77年。

戦没者追悼式に参列し、英霊の御霊の安らかならんことを祈る今日でありました。

『あの戦争は遠くなりにけり。しかし平和を希求する思いは変わらない』

「なぜ戦争などするのだ。我々のような遺族を増やすだけだ』

という、絞り出すようなご遺族の言葉に、胸が締め付けられる思いでいっぱいになった今日でもありました。

 

ウクライナにおける戦争は長期化の様相を帯びています。

ウクライナにとっては、やりたくてやっている戦争ではないことは明白です。

では、なぜ世界はあの戦争を止められないのか。

苦々しい思いも胸をよぎる。

 

いまの世界を支配する国際政治の理論を、アメリカの政治学者ジョン・ジョセフ・ミアシャイマーは

「攻撃的現実主義(オフェンシブ・リアリズム)」と呼んでいる。

これは恐ろしいほど的確であると私は思っています。

わかりやすく言うと、

「危険な世界のなかで国家が生き残ろうとするには、それぞれがパワーを求めて競い合うしか選択肢はない」

という、「攻撃は最大の防御」「国を守るためには力を持つしかない」という、恐ろしいまでの弱肉強食の論理である。

だが、悲しいかなこれが現実であることは、国際政治を学んできた者にとっては否定できない事実である。

 

この理論に基づけば、中国の台湾侵略というシナリオも現実味があることを覚悟しなければならない。

隣国には北朝鮮もいる。

日本は内政で混乱している余裕はないのでは、と国政担当者やジャーナリズムのみなさまには申し上げたい。

いまはいかに外交に取り組むか。日本が世界のなかで果たすべき役割はなにか。

それを明確にし、世界平和のための外交を展開すること。

アメリカにも、内政の混乱、分断を治め、世界平和の秩序回復に努めることを働きかけること。

中国には、アジアの隣人としてアジア諸国とともに、「世界のリーダーのひとりにならんとされよ」と説くこと。

 

悲しくむなしい戦争の歴史を人類は何度繰り返したことか。

これを繰り返さないために、微力ではあるが努力を続けてゆきたいと誓う、今日8月15日です。

 

最後にひとつだけ。

静岡県のおこなっている地域外交は、微力でもこんな国際社会のなかには必ず必要なことであるんだ、

ということは強調しておきたいと思います。