>黒斎クンにとっての雲さんとの交信がどのようなものであるのか、時間がある時にでも教えてください。
これについては、メインブログの方でも以前何度か説明してみようと試みたことがあるのですが、なんともはや、どうにも説明が難しくて……
それこそ「超個人的」なことで、僕の体感が、そのまま他の人にも当てはまるということでは無いような気がするんです。
また、それを言葉に置き換えた時に生まれる解釈の齟齬からも逃れられません。
だからこそ、「僕がどうなのか」よりも、実際に誰もが「それ」を体験できる何かを示したいんですけど、今のところ瞑想以外に「これ」と言えるものが見つからないんです。
で、その「瞑想」も、「神」と同じぐらい誤解の多い言葉ですからね。これすらも言葉で説明するのは困難です。
そうは言っても、その「言葉にするのが困難な事をどうやって言葉で伝えていくのか」というこのことこそが僕らの腕の見せ所ってことなのでしょうから、頑張ってみますか。(笑)
「交信」は、ある日突然、なんの前触れもなく始まりました。
プロローグ的なものは、僕のブログや本でお話させていただいた通りです。
それ以前に、宗教やスピリチュアル・精神世界に興味があって勉強していたワケではありません。むしろ、そういったアレコレを懐疑的に眺めていた側の人間です。
特殊な修行や、瞑想習慣があったわけでもありません。徳を積むというようなこともなく、慈悲深い人間でもありません。むしろ、精神や身体に悪い事ばかりをしてきた側の人間です。
そんな僕が、ある日突然、繋がっちゃいました。
「何と繋がったのか」ということも、ぶっちゃけ上手く説明できません。
一応「守護霊(雲さん)」ということにしていますが、「それ」をなんと呼ぶのが正しいのかも、正直よくわかりません。
ただ、明確にわかっていることは、「それ」は「僕以外の何か・僕とかけ離れた何か」ではないということです。
ですから、それを「交信」や「対話」と呼ぶのであれば、僕は、他ならぬ僕自身と交信・対話している、という事になります。
「じゃあそれはただの独り言じゃないか」となってしまうのですが、その時僕が得る情報は、僕の知り得なかった情報や、僕の想定外の返答だったりするので、明らかに「独り言」の範疇を超えてしまうのです。
「交信の相手」がいる、とも言えるし、いない、とも言える。
これが、言葉にしたときに生まれてしまう一つ目の「矛盾」です。
もう一つの矛盾は、以前お話したとおり、そのやりとりが、「時間の概念を超えている」ということです。
「やりとり」は一瞬の出来事なので、実際には「やりとり」ではありません。
「やりとり」には通常、「行程」や「時間」が必要となりますが、そういったものが一切ありません。
何も挟まない、クリアでダイレクトな体験です。
こういった話が、その体験をしていない方々に、いったいどれほど通じるものなのか、それが掴みきれないのです。
↑ 意味があると言えばあるし、ないと言えばない。でも押して欲しいというこの矛盾、掴んでもらえますか?
これについては、メインブログの方でも以前何度か説明してみようと試みたことがあるのですが、なんともはや、どうにも説明が難しくて……
それこそ「超個人的」なことで、僕の体感が、そのまま他の人にも当てはまるということでは無いような気がするんです。
また、それを言葉に置き換えた時に生まれる解釈の齟齬からも逃れられません。
だからこそ、「僕がどうなのか」よりも、実際に誰もが「それ」を体験できる何かを示したいんですけど、今のところ瞑想以外に「これ」と言えるものが見つからないんです。
で、その「瞑想」も、「神」と同じぐらい誤解の多い言葉ですからね。これすらも言葉で説明するのは困難です。
そうは言っても、その「言葉にするのが困難な事をどうやって言葉で伝えていくのか」というこのことこそが僕らの腕の見せ所ってことなのでしょうから、頑張ってみますか。(笑)
「交信」は、ある日突然、なんの前触れもなく始まりました。
プロローグ的なものは、僕のブログや本でお話させていただいた通りです。
それ以前に、宗教やスピリチュアル・精神世界に興味があって勉強していたワケではありません。むしろ、そういったアレコレを懐疑的に眺めていた側の人間です。
特殊な修行や、瞑想習慣があったわけでもありません。徳を積むというようなこともなく、慈悲深い人間でもありません。むしろ、精神や身体に悪い事ばかりをしてきた側の人間です。
そんな僕が、ある日突然、繋がっちゃいました。
「何と繋がったのか」ということも、ぶっちゃけ上手く説明できません。
一応「守護霊(雲さん)」ということにしていますが、「それ」をなんと呼ぶのが正しいのかも、正直よくわかりません。
ただ、明確にわかっていることは、「それ」は「僕以外の何か・僕とかけ離れた何か」ではないということです。
ですから、それを「交信」や「対話」と呼ぶのであれば、僕は、他ならぬ僕自身と交信・対話している、という事になります。
「じゃあそれはただの独り言じゃないか」となってしまうのですが、その時僕が得る情報は、僕の知り得なかった情報や、僕の想定外の返答だったりするので、明らかに「独り言」の範疇を超えてしまうのです。
「交信の相手」がいる、とも言えるし、いない、とも言える。
これが、言葉にしたときに生まれてしまう一つ目の「矛盾」です。
もう一つの矛盾は、以前お話したとおり、そのやりとりが、「時間の概念を超えている」ということです。
「やりとり」は一瞬の出来事なので、実際には「やりとり」ではありません。
「やりとり」には通常、「行程」や「時間」が必要となりますが、そういったものが一切ありません。
何も挟まない、クリアでダイレクトな体験です。
こういった話が、その体験をしていない方々に、いったいどれほど通じるものなのか、それが掴みきれないのです。
↑ 意味があると言えばあるし、ないと言えばない。でも押して欲しいというこの矛盾、掴んでもらえますか?