阿雲の呼吸

 
阿部 敏郎 と 雲 黒斎

かわいいオヤジの、怪しい交換日記

好き嫌い

2010年03月28日 | 雲 黒斎
ども。

「パテックフィリップ」がわからずに、リアルにググってしまった黒斎です(笑)。


阿部さん、心配はご無用です。

僕、たぶんお金持ちになってもこの時計は買わないと思います。

いや、別に清貧を気取っているわけじゃなくてね、単に「カシオ」とか「シャーク」の方が好みなんだもん(あ、まじでドンキ派だ。笑)。

だからその分の差額は阿部さんへのチップに回せるかも(笑)。

その際は、5千円では物足りないようなので、5万円札でお渡しすることにします(勿論僕のオリジナルデザインです)。

阿部さんなら、素直に喜んでくれますよね?


ねっ、


ねっ!!



それにしても、この「好み」って不思議ですよね。

勿論後天的な教育による「好き嫌い」ってのもあるんでしょうけど、そんなのとは全然関係ないレベルの、先天的な「好き嫌い」ってありますよね。

ものの好みだけじゃなくて、「味」だとか「薫り」だとか、いろんなところに。

何かを食べて「おいしい」って感じるのは何でですかね。

で、自分が食べておいしいものも、「うわ、まずい」って思う人がいるのはなんでですかね。

「おいしい」って言葉の意味するところは、みんな共通して「おいしい」のはずなんですよ。

でも、同じ一つの料理や素材を、「おいしい」と思う人と「まずい」って思う人がいる不思議。


自分が「おいしい」って思うのは、別に誰かに決められたワケでも、自分で「おいしいと思うようにしよう」って決めたわけでもなくて、なんでだか「おいしい」って思ってる。

これ、いったい誰の判断なんだろう。

だって僕、これを「好きってことにしよう!」とか「嫌いリストにいれておこう」とか、そんなこと決めた覚えないですもの。

なのに、何かを前にしたとき、「これ好き」とか「嫌い」とか「どっちとも言えない」とか、いろいろ判断できるの。

この基準って、僕じゃないのだとしたら、誰が決めたものなんだろう…。


あはは。こんなこと言ってると、やっぱり変な人って思われるのかな。

でも最近、この「好き嫌い」ってことが、正直よくわかんなくなってきてるんですよ。


「好き嫌い」に理由ってあるんですかね。

それとも理由なんかなくて、たんに「好き」だったり「嫌い」だったりなんですかね。

僕ね、最近どうも後者の様な気がしてるんです。


最近ね、自分のブログや阿部さんのブログのコメント欄を見て思うんですよ。

「阿部さんが好きです」とか、逆に「阿部さんが嫌いです」とか言われることあるじゃないですか。

で、それについての理由なんかも同時に書かれますよね。

「本当の事を話してくれるから阿部さんが好きです」とか、「人を惑わせて怪しげな瞑想を勧めるから阿部さんが嫌いです」とか。

これね、こういう風に書かれていたりするけど、きっと「好き嫌いの理由」じゃないと思うんです。

そうじゃなくて、理由なんて関係なくて、まず先に「好きか嫌いか」があって、「阿部さんが好き」だったら好きなところを探そうとする、「阿部さんが嫌い」だったら、嫌いなところを探そうとする。そういう順序なんじゃないかって思うんです。

「理由」って、先立つものじゃなくて、後付けの言い訳みたいなものじゃないかって、そういう気がするんですが…


阿部さんはどう思います?


 

↑ 好き?嫌い?

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