最近は忙しくて、この交換日記も、つい間隔が空いてしまうけれど、お互い無理なくいこうね。
今回の話は、「へえ、そうなんだ」っていう新しい発見がありました。
それは、黒斎クンと雲さんとの交信が、時間の中で生起しているものではなく、瞬間の中で捉えているという件(くだり)です。
それならば、理解できます。
雲さんとの交信と言われた時、僕の中で多少の違和感がぬぐえなかったのは、もし「やりとり」であれば時間経過の中での経験であり、時間経過の中での経験であれば、それは思考が作り出している世界だからです。
雲さんという存在が、思考の産物であれば、黒斎クンの既知以外の情報は得られません。
でも黒斎クンのブログを読むと、人智を超えた説得力があります。
それが何なのか、興味がありました。
そうか、瞬間的な体験か。
だったら、僕も似ているかも。
黒斎クンとの違いは、頻繁にそのような体験(交信)があるのではなく、25年前に一気に全部受け取って、それを長期間かけて、少しずつダウンロードしているような感じがあることです。
その情報を、僕の判断や思考を挟まずにダウンロードできた時は、とても滑らかで美しい文章になります。
それはもはや自分が書いているとは言えません。
何かの力が、僕を媒体にして、流れ出てくるようなものです。
もしかしてこれも交信でしょうか。
であれば黒斎クンが言うように、誰にでもある能力ですね。
「時間を超えた情報」という一言で、ずいぶんと理解できた気がします。
それは違う言葉でいえば、瞬間的な閃きのようなものですか。
あらゆるアイデアは思考を超えた次元からやってくるわけで、各々が自分の雲さんから受とっているのかもしれませんね。
音楽も似ていて、作詞や作曲なども、彼方なるところから届けられます。
もしそれが思考の産物であれば、人の心を感動させることはできません。
いわゆる「頭で作った歌」になってしまいます。
そう思ってみれば、この人間界は、彼方から届けられた情報で満ち満ちていますね。
もしかしたら、人間は何もやっていないのかも。
ことは起きているのだと思います。
そんなわけで黒斎クン。
忙しいだろうから、無理なくね。
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今回の話は、「へえ、そうなんだ」っていう新しい発見がありました。
それは、黒斎クンと雲さんとの交信が、時間の中で生起しているものではなく、瞬間の中で捉えているという件(くだり)です。
それならば、理解できます。
雲さんとの交信と言われた時、僕の中で多少の違和感がぬぐえなかったのは、もし「やりとり」であれば時間経過の中での経験であり、時間経過の中での経験であれば、それは思考が作り出している世界だからです。
雲さんという存在が、思考の産物であれば、黒斎クンの既知以外の情報は得られません。
でも黒斎クンのブログを読むと、人智を超えた説得力があります。
それが何なのか、興味がありました。
そうか、瞬間的な体験か。
だったら、僕も似ているかも。
黒斎クンとの違いは、頻繁にそのような体験(交信)があるのではなく、25年前に一気に全部受け取って、それを長期間かけて、少しずつダウンロードしているような感じがあることです。
その情報を、僕の判断や思考を挟まずにダウンロードできた時は、とても滑らかで美しい文章になります。
それはもはや自分が書いているとは言えません。
何かの力が、僕を媒体にして、流れ出てくるようなものです。
もしかしてこれも交信でしょうか。
であれば黒斎クンが言うように、誰にでもある能力ですね。
「時間を超えた情報」という一言で、ずいぶんと理解できた気がします。
それは違う言葉でいえば、瞬間的な閃きのようなものですか。
あらゆるアイデアは思考を超えた次元からやってくるわけで、各々が自分の雲さんから受とっているのかもしれませんね。
音楽も似ていて、作詞や作曲なども、彼方なるところから届けられます。
もしそれが思考の産物であれば、人の心を感動させることはできません。
いわゆる「頭で作った歌」になってしまいます。
そう思ってみれば、この人間界は、彼方から届けられた情報で満ち満ちていますね。
もしかしたら、人間は何もやっていないのかも。
ことは起きているのだと思います。
そんなわけで黒斎クン。
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