お城のデータ
所在地:長浜市(東浅井郡浅井町)北野町 /池奥 map:https://yahoo.jp/p5HrQ9
現 状:森林(山頂)
区 分:山城(砦)
築城期:
築城者:
遺 構:堀切・曲輪・低土塁
標 高:204m 比高差:60m
目標地:北野町墓地
駐車場:北野町墓地の駐車場
訪城日:2018.5.20
お城の概要
北野集落の東背後に通称西山は、小谷山から東に伸びる枝状尾根の先端部に北野砦は位置する。
北野集落の東背後に通称西山には2ケ所にピークあり、この尾根南端の削平地があるが古墳に空堀状の凹地ある。頂部(主郭)の間ぼ斜面には、2本の登り土塁状地形が存在し、平行するよう竪堀状がある。鞍部あり鋭く深い堀切が設けられている。主郭部はなだらか地山で中央には方形平削地と小平削地(犬走り)状と集落側に低土塁が存在する。北端には「こじき坂」堀切は3mの深さがある。主郭へ向かう斜面に方形の削平地とそれを帯郭・段築で取り巻いている。さらに西のピークはこ灌木等で見学不能である。
お城の歴史
まったく不明であるが、北の北野スミス砦と共に、大依山砦と小谷城の繋ぎ砦であったようだ。
天正元(1573)年に織田信長の攻撃により小谷城が落城した際に、浅井長政の妻であったお市の方と三人の姫たちが城から落ち延びたと思われるルートをちょうど反対に辿り、小谷城祉まで登り行くコースである。
小谷城の城下町や城の正面にあたる追手道、それに平時における長政や家臣団の屋敷が建ち並ぶ清水(きよみず)谷など、いわゆる城の表側はすでに信長軍によって占領されており、「お市の方らが落ちていくとすれば、城の搦め手にあたる月所丸からであったろう」というのが大方の推量である。もちろん、脱出ルートに関する正確な文献は残されていない。
こじき坂堀切(北野砦の東側)
北野砦(遠望)
堀切=切通し(池野村から北野村)「こじき坂」・・・説明板には、「浅井の侍女たちはは三姉妹の身分をかくす為、池野町(村)の民家で古い野良着に着替させて北野町(村)に降りた、もの山道を「こじき坂」と呼ばれている。
「五先賢の館から、すぐの田んぼの中にある小さな四輪塔である。元々五輪塔であったものだが、一つ失われて四輪塔となっている。
祀られている四輪塔は、お市の方と三人の姫たちが小谷城から落ち延びていく際に、乳飲み子であった三女のお江を抱いて逃げた浅井家の侍女の墓であると地元では言い伝え。
城の南東にある実宰院という寺院まで無事に姫たちを送り届けた侍女は、すでに小谷城が落城して城に戻ることができず、この地で浅井家の菩提を弔い続けたのだという。その侍女の墓と伝えられているのが、この四輪塔である。落城にまつわる悲話。・・・・・須賀谷温泉のブログ(一日回峰行同行記)より」
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、須賀谷温泉のブログ(一日回峰行同行記)より」
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