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中河内砦(秋葉神社の砦) 近江国(余呉)

2018年07月27日 | 

お城のデータ
所在地:長浜市余呉町中河内 map:https://yahoo.jp/cQS0Gg
別 称:秋葉神社の砦(遺跡ウォーカー)
現 状:秋葉神社/山林
築城期:織豊期
築城者:
遺 構:主郭・矢倉台・堀切・帯廓・犬走り・竪堀
標 高:440m 比高差:20m
目標地:余呉町中河内バス停/本陣跡碑
駐車場:余呉町中河内バス停/本陣跡碑
訪城日:2018.7.22


お城の概要
北國街道(現国道365号)中河内集落の「秋葉神社が砦」である。
主郭・矢倉台・堀切・帯廓・犬走り・竪堀の遺構が綺麗に残る。
集落の神社で、草刈等されているため遺構は非常に確認できる。
お城の歴史
信長公記 巻六 元亀四年

13、刀根山合戦  刀根山の戦並に一乗谷攻破るの事
 信長公に先を越されて叱責を受けた諸将は、滝川・柴田・丹羽・蜂屋・羽柴・稲葉をはじめとして口々に信長公へ詫び言を申し上げた。しかしその中で佐久間信盛だけは、目に涙を浮かべつつ「左様に仰せられども、われらほどの家臣は中々持たれませぬぞ」と自讃混じりに抗弁した。信長公はこれを聞いてさらに怒り、「そのほう男の器量を自慢いたすが、何をもってそのように言う。片腹痛いわ」といって益々機嫌を悪くした。 信長公の読み通り、織田勢は退却する朝倉勢を追撃して多大な戦果を得ていた。信長公のもとへは追撃で得た首を持参する侍があとを絶たず、また信長公みずからも騎乗して敵勢を追った。
 敵勢は、中野河内口①と刀根山口②の二手に分かれて退却していた。織田勢はいずれを追ったものかとしばらく詮議していたが、「名のある者は、疋田・敦賀の味方城を頼りに退いていよう。されば刀根山を越え、疋田に向かうべし」との信長公の命に従い、刀根山口へ向かった。
 すると、案のごとくであった。朝倉勢は中野河内口からは雑兵を退かせ、朝倉義景以下主だった者達は刀根山から敦賀をさして退却していた。これを追尾した織田勢は刀根山の嶺で朝倉勢に追いつき、大波が浜の砂をさらうように次々と朝倉勢の首を斬獲していった。朝倉勢の中からも忠義の志厚い者たちが返しては踏みとどまって支えようとしたが、かなわずに一人二人と姿を消していった。敦賀までの十一里に及ぶ追撃戦で、討ち取られた朝倉勢の首数は三千余にのぼった。・・・云々
①現余呉村から栃ノ木峠を越え越前へ入る道筋 ②現木之本町から刀根山を越え敦賀に抜ける道筋(刀根山は敦賀市刀根)


参考資料:『信長公記』・遺跡ウォーカー
本日の訪問ありがとうございす。