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歴史好きで、近江の山城💗!

箕作山城

2020年07月09日 | 山城
箕作山城(みつくりやまじょう)は、観音寺城から中山道をはさんで南東側の正面にある清水山山頂に位置す
る。
小脇山・太郎坊宮・箕作山と尾根続きであるが、清水山の隣りの箕作山山頂には城郭遺構は認められないと
されている。

 城の記録では、まず、応仁の乱後の混乱した近江で、六角高頓に対抗するため、
幕府側が擁立した佐々木正克が近江へ攻め入った際に龍城したのが清水城で、これが箕作山城の前身とされるが定かではない。

つぎに六角義賢が永禄五年(1562)に家督を子の義弼に譲り、
 自身は承禎と名乗り箕作城に移ったとあり、これは箕作山城の北側山麓に伝えられる箕作館であると思われる。

そして、明確な記録で登場するのが永禄十一年(1568)に織田信長が近江へ侵攻した際である。
このとき六角氏は観音寺城に加え、和田山城・箕作山城の防御を固め、迎え撃とうとした。
このとき、箕作山城の守りには六角氏家臣の建部源八郎と吉田出雲守が入ったという。戦いは九月十二日午後四時に佐久間信盛・木下藤吉郎・丹羽長秀らが攻め上った。
六時問におよぶ戦闘の末落城し、これを受けて和田山城からも兵が退去し、観音寺城にいた六角承禎・義弼父子も夜陰にまぎれて甲賀郡に逃れた
という(『信長記』『総見記』)。

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