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歴史好きで、近江の山城💗!

陣屋の馬場城 近江国(長浜市 湖北町上山田)

2019年02月19日 | 
お城のデータ
所在地:長浜市高月町上山田 map:https://yahoo.jp/b53DAF
現 状:山林、山頂(雨森三角点一帯)
築城期:織豐期
築城者:織田信長軍(阿閉氏が)
遺 構:低土塁、平削地
標 高:360m 比高差220ma
目標地:和泉神社(湖北町上山田)
訪城日:

お城の概要
上山田集落の和泉神社の背後の登山口から、尾根まで登り尾根道を西に20分程下ると「雨森三角点」へ。この一帯が「陣屋の馬場城」です。
尾根道が低土塁で、北側が平削地(兵士の宿営地)。

お城の歴史
戦国における覇権争いにより、歴史的にその名が知れている小谷城の攻防で、山田山の雨森三角点(陣屋の馬場城)から西部山域の上山田城、下山田山城に織田軍が布陣し、朝倉勢の小谷への援軍を阻止、これを足掛かりに浅井包囲網ができあがり、20日後に浅井長政の自刃で織田軍の勝利となった、という顛末(信長公記)に関係する場所です。信長公記 巻六 元亀

信長公記 巻六 元亀四年
11、決壊  阿閉謀叛の事

 8月8日になり、江北の土豪阿閉淡路守貞征が信長公へ内通してきた。すると信長公は夜中にもかかわらず岐阜を出陣し、そのまま敵城月ヶ瀬城①へ攻め寄せ、翌晩までに開城させてしまった。そして10日には旗下の諸勢を大嶽北方の山田山②に集結させ、越前への主通路を遮断した。このため越前から出陣してきた朝倉義景の二万の援軍は小谷に近付くことができず、余呉・木之本・田部山③方面に布陣しなければならなかった。
 また近年になって浅井久政は大嶽山麓の焼尾という地に砦を築いて浅見対馬に守らせていたが、この浅見も阿閉貞征にならって信長公へ通じた。
 ①現滋賀県虎姫町月ヶ瀬 ②現浅井町・湖北町間 ③現余呉町~木之本町 
 



参考資料:『滋賀県城郭分布調査』『信長公記』、遺跡ウォーカー「陣屋の馬場城」、写真は「山響さんの山田山」からお借りしました。

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