小学校がなくなったら阿波は廃れてしまう。
10年後は400人。
20年後は300人。
30年後は200人。
もうあばむらではない。
津山市阿波になってしまう。
「阿波むら」がなくなっていいのか
先人たちに申し訳なくないのか
子々孫々にはずかしいと思わないのか
この歴史ある「阿波むら」が廃れてもいいのか
先祖から引き継いだ美しく、綺麗な「阿波むら」がなくなっていいのか。
私たちの世代で廃れてしまう舵取りをしてていいのか。
5年後は12人になるので、加茂小と統合するという。
12人でも残っている小学校は全国でには沢山あるのに。
馬鹿にされたものだ。
阿波の人はものわかりがいいと。
そしてなぜ納得する。
だって世の流れだから。
年寄りだから。
いたわり、やさしく慰められて、少しやさしくされるから。
あまり困らないから。
子どものためだから。
競走しなければ子どもが育たないから。
少ないとかわいそうだから。
戦後、子どものため都会に出ろと子どもを残さなかった。
いい学校に行って、大きな会社に勤めて、それでよかったのか。
競争社会に投げこまれ、小さなさな家を建て、核家族にさせられて、そして使い捨て。
子どもは幸せになったのか。
ふるさとにも帰れない、根無し草。
そして自分は・・・
ひとりで阿波むらで生きていく。
くやしいてしかたないが、自分が我慢をすればいいと必死に気持ちを抑える。
「わしらの気持ちがわかるか」とつぶやきながら。
だからなんだっていうんだ。
いいわけして、ごまかすのか!
多くは林業もそして農業さえも放棄した。
これじゃ、食えないと。
山は荒れ、田んぼさえも放棄した。
川も土も汚れ、人も荒れ、寂しく死んでいく。
誰も責任を取らず、見たくないものは見ずに、みんな仲良しで暮らしていくとラク。
しかし、阿波人としての少しでも誇りがあるなら、取り戻したいのなら、
見たくないもの、現実を見なければならない。
もし、誇りある生き方を取り戻したいのなら、
必死に生きなければならない。
深いキズを追うことを覚悟で前に進まなければ成らない。
闘うとはそういうこと。
生きるとはそういうこと。
愚痴なら墓場で言えばいい。
敗戦のどん底から日本の再興を築きあげたあなた方なら、その魂をどこかに残している。
ふと見たテレビの「リーガルハイ」と言う番組。
村人に化学工場と闘う気持ちを呼び込ます弁護士のセリフを「阿波むら」にあてはめた。
エンヤコーラ ドッコイセ
ウントコセーノ サッサ♪
足を踏み鳴らそう。
阿波で子どもを育てたいと言う人がいる限り、小学校は残そう。
子を絶やすな。
阿波の山が田んぼがそう言っている。