あばABAブログ

津山市阿波の情報をみんなに提供します。
どんづまりで何もない村ですが、自然が残っています。

限界集落と言われ消滅したところは1つもない!

2012-01-31 21:36:24 | 日記


効率性の悪い地域には消えてもらったほうがいいのか。

何をもってある地域を効率的と考え、また別の地域を非効率と判断できるのだろうか。
効率性をひとまず経済性とするなら、国際競争に勝てるような経済力を国民に貢献しうる地域が効率性の高い地域ということになる。

一見、絶対的真理のように見える効率性の論理も、どこか危ういものを持っていることに気づく。
都会は残し、田舎はなくす。

高齢者は無駄だし、子どもは不要。
病人はいらないとでもいうつもりか。
「あたが生きているのは世間にとって無駄なので、早いうちになくなってはいかがですか」というつもりなのか。

発言しているその人自身は、自分自身の存在を、世間に対して有意義なものであると胸を張って言い切ることができるのだろうか。

「グローバル経済下の戦いの中で、日本という国家の現在の経済性のために、負担になる地域はなくなってもらった方がよい」

それに対しては「うちの地域は今後とも存続するつもりだし、そのように努力したい」という答えで十分。

なぜならば、
過去何百年と同様に、今後も安定して続く農産漁村があってこそ、グローバル化の時代のなかでも安定した国民社会が築かれるのだから。

高齢化→集落の限界→消滅が進行した事例はない。
高齢化率の高い地域は山村に限ったものではない。
しかし、手をこまねいていれば、遅かれ早かれ、予言どおりに現実が進行しうるであろう問題である。

とくに「戸数が少ない、子どもが少ない集落」が、危ない。
地域を引き継ぐべき次世代確保の難しい地域が、消滅の可能性のある地域なのである。

人々の「ここに生きる」意志と努力は、多くの人間が考えているより、はるかに強く深い。
集落はそう簡単に消滅するものではないようである。

しかし、いまいる人々がいなくなったら終わるのではないか。
そんなあきらめが始まっている地域もある。
このこともまた事実である。

国民自身が自分自身の生活をどう考えているのか?
どういう幸せを築きたいのか?
どういう価値観を持つのか?

どういう社会が望ましいのかを問うことにつながる。

守るべき価値ある地域にすみ続けてきたひとびとの「ここに生きる哲学」に目をやれば、逆に都会の貧困がみえてくる。

「のあっく」のこどもたち

2012-01-30 19:55:19 | 日記
土曜の午後、おおすぎ自然学校をのぞいた。
子どもたちが雪のなかで遊んでいる。
大阪から来た子どもたち。

元気である。
やめろと言わなかったらずっと遊んでいるのだそうだ。
何もプログラムはいらない。
自然学校とはそんなとこ。

子どもは雪が大好きである。
今は雪が降ってもテレビゲームをやっているとラジオで言っていたが、ここ阿波にはそれはない。

子どもは他に面白いものがないから、テレビゲームをするのだろう。
都会には自然という子どもに近いものがなくなっている。
しかし、阿波にはその自然がある。



「来てくれ」では誰も振り向かない!

2012-01-28 08:42:23 | 日記
自分たちが何者なのか?
どういう考えを持っているのか?
自分たちが寄って立つものは何かーー?

これだけ情報が溢れた世の中、
人々のアンテナに引っかかる可能性は少ない。

外に向いているべクトルを内に向けて、
自分たちのアイデンティティーを改めて問い直すべき。

あば村を出て、町にすみたいという人もいるが、
町からあば村に来られる人もいる。
そんな人を大事にしたい。

裏を返せば、自分たちの足元を見つめ直し、アイデンティティーを表明することしか、地域の未来はないのである。

助け合いのむら
どぶろくのむら

築300年の民家のあるむら
600歳の山桜のむら

鬼がすみ、天狗がかけ、龍が泳ぐ阿波むら

まさに阿波むらは、エコビレッジというにふさわしい。