あばABAブログ

津山市阿波の情報をみんなに提供します。
どんづまりで何もない村ですが、自然が残っています。

原風景の中に静かに身を置きたい!

2010-10-23 09:46:17 | 日記
わらぐろの風景を見つける。
阿波ではすっかり亡くなった。
津山市になって津山をみつめると阿波の失ったものも見つかる。

村の風景は百姓仕事の表現ではないか。
田舎の風景が美しいということは、そこに変わらぬ百姓仕事が行われていることを表現しているのではないか。

一定程度の所得が確保されているから、生きることができるのではありません。
まず生きていくのです。
田舎で百姓しながら生きていくとはそういうこと。
お金の心配はいりません。

自分の住む世界の表現ですから、
自分たちで守るしかない。
百姓仕事を守ることは、風景を守ることと同じ。
そして、風景も立派な農業生産物。

棚田が美しいのは畦が美しいから。
無意識に畦の手仕事による手入れをいいと思う感性がある。
都会からやってきた人が、その風景を、たたずまいをいいと思うのは、
そこで仕事をして暮らしている生き方に共感しているから。

それは都会人が経済的な発展や生産効率を最優先させる「経済成長路線」(近代化)のうんざりしているから。
自分は抵抗できないけれど、田舎で飲み込まれずに生きている百姓に救いを求めているのかも。
そんな気づきを宇根豊は『農は過去と未来をつなぐ』の中で書いている。

昔は百姓が9割であったという事実と共に。