(前回からつづく)
「それについてご説明する前に、一つお知らせしておくことがあります。昨晩、久し振りに大規模な閉鎖空間と『神人』が発生しました」
古泉がハーフスマイルをやめ、急に真剣な顔になった。閉鎖空間と神人? あのハルヒが不機嫌になったりすると出現するやつか。
「そうです。そして、昨晩現れた神人は、暴れ方が尋常ではありませんでした。まるでダンスを踊るような感じで、派手に建築物を壊して回っていたのです。おかげで退治には相当手こずりました」
神人がダンスと聞いて、俺は思わず神人が5体揃って「ハレ晴れユカイ」を踊っている姿を連想してしまった。
「真面目に聞いてください」
どうやって俺の内心を察したのか、古泉が眉をひそめてそう言ってきた。他人の事言える立場かよ。サウンドウォーム(命名、俺)との戦いのとき、一番ふざけていたのはお前だろうが。気色悪いハルヒの物真似とかしやがって。
「そのことは分かりましたから、とにかく話を進めさせてください。昨晩、閉鎖空間と神人が発生した原因は、明らかに涼宮さんの「嫉妬」です」
嫉妬?
「昨日、長門さんがあなたに向かって歌ったあの歌は、僕から見ても真剣な愛の告白のように見えました。涼宮さんはそれを見て、あなたを長門さんに奪われる危険を感じたのでしょう。たとえ理性では単なる歌であると分かっていても、無意識的な感情を抑えるのは容易ではありません。おそらく、涼宮さんは昨夜、罰ゲームであなたに歌わせる歌のことを考えながら、無意識的にこみ上げてくる嫉妬心を必死に抑えようとしていたのだと思いますよ。それで涼宮さんは徹夜をして、その後今回の講堂での出来事でストレスを発散させ、そして自ら不快な記憶を抹消してしまうことで、ようやく精神の均衡を保つことができるようになったのでしょう」
ちょっと待て。たしかに、俺に掴みかかってきたときのハルヒに、何か嫉妬しているようなところはあったと思うが、それ以外のお前の説明はまるで理解できんぞ。仮に、長門が俺に向かって愛の告白をしているように見えたとしても、それを見たハルヒがなぜ嫉妬する必要があるんだ?
「なんと。涼宮さんがなぜ嫉妬するのか、あなたには理解できないというのですか!?」
古泉が、わざとらしく驚いた顔をして見せた。いくら驚かれたところで、俺が理解できないのは本当だし、俺としてはそれが不自然なことだとは思えん。ハルヒは、恋愛を精神病の一種だとかいう女だし、どう見たって俺のことは単なる下っ端の小間使いくらいにしか思っていないに違いない。そんなハルヒが、よりによって俺のことで嫉妬するなんて考えられないね。
「仕方ありません。解らないというのであればご説明して差し上げましょう。涼宮さんは、特にあなたのことになると、理性を失って自らの力で非日常的な現象を起こしてしまう傾向があります」
古泉の顔がニコニコスマイルに戻った。何それ。俺にはハルヒのそんな傾向には覚えがないけどな。
「例を一つ挙げてみましょう。僕たちは、去年の夏休み、8月17日から31日までの時間が無限にループするという事件に遭遇しましたが、あの時のことは覚えていらっしゃいますか?」
ああ、たしか15498回も同じ時間を繰り返したんだったな。よく覚えてるよ。
「あの事件を引き起こしたのは涼宮さんですが、なぜ涼宮さんがあのような事件を引き起こしたのか、あなたには解りますか?」
いや、正直なところよく解らん。俺が適当なことを叫んだことがきっかけで、8月31日に俺の部屋で急遽SOS団勉強会が開催されることになって、それで時間がループしなくなったということは覚えているけど、考えてみると何もかも謎のまま終わってしまった話だったな。
「実を言いますと、何が原因で涼宮さんがあのような事件を引き起こしたのか、僕には当時から解っていたのですよ」
ほう。とりあえず聞かせてもらおうじゃないか。
「正解をお教えする前に、小問1です。一万何千回もループした時間の終点である8月31日は夏休みの終わりですが、涼宮さんにとって、起点の8月17日は何の日だったですか?」
何の日って、市民プールに行った日だろう。俺が母親の実家から帰ってきた翌日にいきなり呼び出されて、嫌々ながら言われたとおり自転車で集合場所に行ったことは今でも覚えてるぜ。それと、俺がハルヒと長門を乗せてヒィヒィ言いながら自転車を漕いでいるのに、お前は朝比奈さんを乗せて悠々と自転車を漕いでいたよな。あのあまりに不公平な仕打ちとお前に対する恨みも、しっかりと覚えているぞ。
「かなり余剰な部分が多いですが、まあ正解としてよいでしょう。つまり、涼宮さんにとって、8月17日は、あなたが母親の実家から帰ってきた日の翌日であるということです」
古泉のその言葉に俺は意表を突かれた。えーと、その部分が重要なのか?
「そうです。あの事件のとき、8月17日の早朝あたりがセーブポイントになっていました。つまり、涼宮さんにとっては、あなたと会える8月17日以降がやり直したい時間であって、あなたと会えない8月16日以前は、別にやり直したくない時間であったということができますね」
うーん、何となく釈然としないところはあるが、まあそうかも知れんな。
「では小問2です。夏休み最初の合宿が終わって、その8月17日が来るまでの間、涼宮さんはどのような気持ちで過ごしていたのでしょう?」
そんなこと俺の知ったことか。
「まあそう言わずに、これからヒントを差し上げますから、じっくり推理してみましょう。まずヒントその1ですが、夏休みの合宿初日、涼宮さんは朝比奈さんに指示して、あなたの寝顔と寝起き顔を撮らせていますね?」
ああ、たしかハルヒはSOS団の活動記録を後世に残すため、朝比奈さんをSOS団臨時カメラマンに任命して、俺がフェリーの中で寝ているとき、俺の寝顔と寝起き顔を撮らせたんだったよな。それで、俺の寝顔と寝起き顔のどこに資料的価値があるんだって聞いたら、たしか合宿の緊張感を持たずに間抜け面で寝てる俺の写真を晒すことによって後の世の戒めとするとか、よく意味の解らんことをほざいていたと思う。
「そうです。ところで、SOS団臨時カメラマンに任命された朝比奈さんは、あの合宿のとき、あなたの寝顔と寝起き顔以外の写真を撮っていますか?」
えーと、何か撮ってたっけ? そう言われてみると、俺の寝顔と寝起き顔以外、何も撮っていなかったような気がするぞ。
「そのとおりです。僕の記憶でも、涼宮さんはあなたの寝顔と寝起き顔以外何も撮らせることなく、カメラは涼宮さんの荷物の中にしまい込まれたままでしたね。そして、あなたの写真を晒して後世の戒めにするという涼宮さんの宣言は、実行されていますか?」
えーと、今のところ実行されてはいないな。SOS団のアジトもとい文芸部室に俺の写真が晒されることもなかったし、俺もあのときの写真を見たことはない。まあ、別に俺の寝顔が映ってる写真なんて見たくもないが。
「そうすると、涼宮さんは何のためにあなたの写真を撮らせて、自分の荷物の中にしまい込んだのでしょう?」
さあ。俺の寝顔が映った写真なんて売れるはずもないし、どうせろくでもないハルヒ的気まぐれじゃないか。
「涼宮さんは、非常に理性的で聡明な方です。そのように全く意味のないことをするとは思えません。僕の察するところ、涼宮さんはどうしてもあなたの写真が欲しくて、可愛らしい写真立てに入ったあなたの写真を枕元に置いて夜ごと「おやすみなさい」を言うためにあなたの写真を撮らせたのではないでしょうか」
古泉がいつもどおりニコニコしながらさりげなく放ったとんでもない暴言に、俺は思わず叫んだ。
「ちょ、ちょっと待て古泉! 朝比奈さんならともかく、あのハルヒがそんなことをするはずないだろう!」
俺のもっともな心の叫びから放ったツッコミを、古泉は平然と切り返した。
「では、それ以外の目的が考えられますか?」
えーと、他の目的として考えられるものは何だろう、と俺が必死に考えていると、
「まあ、夜ごと「おやすみなさい」を言うためかどうかはともかく、涼宮さんが夏休みの間中しばらくあなたに会えなくなることを見越して、何とかあなたの写真を隠し撮りする機会を窺っていたこと、撮られたあなたの写真が涼宮さんの部屋に飾られていることはおそらく間違いないでしょう。ではヒントその2です」
こら古泉、俺が考えている最中に勝手に話を進めるな。
「8月17日、皆で自転車に乗って市民プールに行ったとき、涼宮さんは行きも帰りも、あなたの真後ろにぴったりくっついて離れようとしませんでしたね。それも涼宮さん自身のご意志で」
えーと、それは客観的事実としては間違っていないかもしれないが、思いっきり語弊があると思うぞ。俺の自転車にはハルヒだけじゃなく長門も乗ってたし。
「そこは涼宮さんなりの、乙女の羞じらいというものですよ。自ら進んで自転車にあなたとの二人乗りを選ぶというのでは、いくら何でも露骨過ぎますからね」
何が露骨だというんだ。それと、ハルヒに乙女の羞じらいなんてものがあるわけないだろう。そもそも、俺との二人乗りでハルヒが羞じらう必要なんてどこにもないし。
「そしてヒントその3、これは先程申し上げたとおり、あなたと会えない8月16日以前の時間は、涼宮さんにとって繰り返したくない時間だったということです」
こら、人の抗議を無視して勝手に話を進めるな。
「これらのヒントを総合的に考慮すると、小問2の答えとしては、涼宮さんはあなたと会えない8月16日までの間、愛するあなたと会えないことで非常に寂しく辛い思いをしていたであろうという結論になります」
古泉、ヨタ話もいい加減にしろ。一体、今の話をどう総合的に考慮したらそういう結論になるんだ。
「そして小問3です。涼宮さんは、8月17日以降、盆踊りや花火大会など、何とか夏休み全ての日程をSOS団の活動で埋めようとしました。そして最後の1日がどうしても埋められなかった15497回にわたり、無意識のうちに時間を8月17日の早朝に引き戻してしまいました。それはなぜでしょう?」
なぜだと言うつもりだ。
「ここまで来れば答えは簡単です。涼宮さんは、残った夏休みのもはや1日たりとも、愛するあなたと会えない辛い日々を過ごしたくなかったのですよ」
古泉がニコニコ顔のままで連発するあまりの暴言に耐えかね、俺はまたもや叫んだ。
「何かと思って聞いてみれば、そんなめちゃくちゃな結論かよ!あのハルヒに限って、そんなこと断じてあるはずがない!」
そう叫んだ後で、俺はあることに気付き、こう続けた。
「それに、お前さっき、当時からその原因が解っていたとか言ってたな。原因が解っていたのなら、どうして俺に教えなかった!?」
的確と信じて疑わなかった俺のツッコミを、古泉はまたも平然と切り返した。
「だから申し上げたではありませんか。あなたが、涼宮さんを背後から突然抱きしめて、耳元でアイラブユーとでも囁いてはどうかと。実は、あなたが涼宮さんの熱い想いに素直に応えてあげることが、あの事件を解決する最良の手段だったのですよ」
古泉はウインクしながらそう言ってきた。気色悪い。
内心、藪をつついたら蝮が出てきてしまったと思いつつも、俺は全力で反論する。
「そんなわけあるか。大体お前の話はしょっちゅう変遷するし、とても信用できん。その台詞も、どうせその場の思いつきで言ったことを、後付けで勝手な理屈を付けて正当化しているだけだろう!お前の想像話は単なる嘘っぱちと相場が決まっているんだ!」
ちなみに、この相場は俺が今ここで決めた相場だ。だから、誰にも文句は言わせん。
古泉は、フッと溜息をついてからこう答えてきた。
「どうやら、理屈であなたを納得させるのは無理のようですね。こんなことなら、あなたが入院して気を失っているときの涼宮さんの姿を、ビデオカメラで隠し撮りしておくべきでした。あのときの涼宮さんの狼狽ぶりを見れば、いくら絶望的なまでに鈍いあなたでも、僕の言葉に納得せざるを得なかったでしょうから」
誰が鈍いって。
「もっとも、あなたが僕の言葉を素直に受け容れられない理由も僕には解りますよ」
お前に何が解るというんだ。
「あなたは涼宮さんに選ばれた存在です。ところが、お見受けしたところ、あなたは涼宮さんだけではなく、長門さんにも選ばれてしまっている。そして、あなた自身もそうした長門さんを憎からず思っている。違いますか?」
えーと、俺が長門のことを好きか嫌いかと言われれば、どちらかというともちろん前者だが、何だその、俺が長門に選ばれたっていうのは?
「以前、長門さんが引き起こし、あなたが遭遇したという不思議な事件のことを聞かせて頂きましたね。あの事件のことについては、もちろん僕よりあなたの方が詳しいと想いますが、長門さんはなぜ、あのような事件を引き起こしたとお考えですか?」
それは、長門にも感情が芽生えたからだろう。おかしな事件を起こしまくるハルヒの観察役なんて辞めて、宇宙人も未来人も超能力者も関係ない普通の世界で、普通の女の子として暮らしたくなったんだろうな。
「それだけですか?」
それだけとは?
「あなたの話によると、SOS団のメンバーのうち、涼宮さんと僕は、北高ではなくわざわざ男女共学の進学校に変えられた光陽園学院に転入させられ、朝比奈さんはあなたには手の届かない存在にされ、唯一長門さんだけが、文芸部室であなたを待っていた。長門さんは、なぜこのような世界を望んだのだと思いますか?」
えーと・・・。なぜだろうな。
「答えは簡単です。長門さんは、邪魔な涼宮さんその他を追い払って、愛するあなたを独り占めにしたかったのですよ。しかも、不幸なことに、自分の情報操作能力をもってすればそれも充分可能だった。そして、長門さんが自分の能力を使ってあなたを独り占めにしたいという誘惑に耐えられなくなったのが、事件が起こったという去年の12月18日なのでしょうね」
ちょっと待て。仮に長門の望みが俺を独り占めにしたいとかだったら、なんで問答無用で世界を変えてしまうのではなく、わざわざ俺に選択権を委ねたんだ?
「だから、長門さんがあなたを愛するが故ですよ。長門さんにとっては、愛するあなたに、自分と二人っきりの普通の学園生活を選ぶか、それとも涼宮さんや朝比奈さんや僕もいる、謎と不思議だらけの学園生活を選ぶか決めてもらいたかったのでしょうね。これは僕だけでなく、おそらくあなたの話を聴いた人のうち10人中8人くらいはそのように解釈するのではないかと思いますよ」
俺は二の句が継げなかった。実を言うと、俺も古泉の言うことに気付いていなかったわけではなく、ひょっとしたらそうじゃないかと思いつつも、実際には違うかもしれないし、仮にそのことに気付いたところで今更俺にはどうしようもないから、敢えて保守的解釈にこだわっていたのだ。あのな古泉、世の中にはたとえそれが真実であっても、言ってはいけないことというものがあるんだぞ。誰々さんは日本共産党員ですといった類のな。
「さて、あなたはどうなさるんです?日本の法律では二重婚は犯罪ですよ」
お前も国木田一派か。
「まあ、この問題については、焦らずとも時間が解決してくれることもあるでしょう。それでは、僕はこれで失礼させて頂きます」
そう言い残して古泉は去っていった。あの野郎、俺に散々長話を仕掛けてきたのは、結局俺をからかいたかっただけか。
なんか、今日はいろいろなことがあってものすごく疲れた。正直、真剣に考えようとすると、とても受け容れられないようなことばかりで、とても俺の精神が保たん。敢えて例えるなら、何かのバグでまだレベル15くらいなのに突然ラスボスに遭遇してしまったような気分だ。あと何年かすれば、あるいは俺も今日起きたようなことに対処できるようになるのかも知れないが、今の俺にはとても無理だ。
だから、ここ数日のうちに起こったことについては、俺は基本的に忘れることにする。仮に覚えていても、単なる悪夢だったということにする。それしかない。
そういえば、長門が俺の帰り際にこんな台詞を言っていたような気がする。
「本日、大きな情報爆発が観測できた。情報統合思念体に報告する。関係者の記憶のうち、問題のあるものは私の判断で抹消しておく。問題ない」
おそらく、俺達の記憶は長門によって大半が抹消されることになるだろう。だから、今回の話は、俺の語る今後の話には一切反映されないかもしれん。
特に、俺自身はこんな事件の記憶を抱えたままでは、到底精神が保たないから、かなり完璧な記憶抹消措置を受けるに違いなく、おそらく今回の事件のことはほとんど忘れてしまうことになるだろう。
でも、俺にとって一つだけ忘れてはいけないことがある。
俺は、SOS団唯一の良心なのだ。
俺が、仮に良心の道を踏み外したときには、何かよく解らないけど大変なことが起こるらしいということは、今回の事件の教訓として記憶に留めておかなければいけない。
まあ、判断するのは長門だ、そのへんのことは上手くやってくれるだろう。
(おわり)
全体が約44000字余りなので、5~6記事に納めるつもりでしたが、区切り方が悪かったせいか、全7回になってしまいました。自分でも、こんなくだらない小説をブログで公表してどうなるんだろうと思うのですが、不可思議な命令電波の命じることなので仕方ありません。
なお、黒猫は以前から執筆を依頼されている本の仕上げに取りかかる必要があるので、今後ブログの更新は10月上旬くらいまでお休みする予定です。それでは、皆さんごきげんよう。
「それについてご説明する前に、一つお知らせしておくことがあります。昨晩、久し振りに大規模な閉鎖空間と『神人』が発生しました」
古泉がハーフスマイルをやめ、急に真剣な顔になった。閉鎖空間と神人? あのハルヒが不機嫌になったりすると出現するやつか。
「そうです。そして、昨晩現れた神人は、暴れ方が尋常ではありませんでした。まるでダンスを踊るような感じで、派手に建築物を壊して回っていたのです。おかげで退治には相当手こずりました」
神人がダンスと聞いて、俺は思わず神人が5体揃って「ハレ晴れユカイ」を踊っている姿を連想してしまった。
「真面目に聞いてください」
どうやって俺の内心を察したのか、古泉が眉をひそめてそう言ってきた。他人の事言える立場かよ。サウンドウォーム(命名、俺)との戦いのとき、一番ふざけていたのはお前だろうが。気色悪いハルヒの物真似とかしやがって。
「そのことは分かりましたから、とにかく話を進めさせてください。昨晩、閉鎖空間と神人が発生した原因は、明らかに涼宮さんの「嫉妬」です」
嫉妬?
「昨日、長門さんがあなたに向かって歌ったあの歌は、僕から見ても真剣な愛の告白のように見えました。涼宮さんはそれを見て、あなたを長門さんに奪われる危険を感じたのでしょう。たとえ理性では単なる歌であると分かっていても、無意識的な感情を抑えるのは容易ではありません。おそらく、涼宮さんは昨夜、罰ゲームであなたに歌わせる歌のことを考えながら、無意識的にこみ上げてくる嫉妬心を必死に抑えようとしていたのだと思いますよ。それで涼宮さんは徹夜をして、その後今回の講堂での出来事でストレスを発散させ、そして自ら不快な記憶を抹消してしまうことで、ようやく精神の均衡を保つことができるようになったのでしょう」
ちょっと待て。たしかに、俺に掴みかかってきたときのハルヒに、何か嫉妬しているようなところはあったと思うが、それ以外のお前の説明はまるで理解できんぞ。仮に、長門が俺に向かって愛の告白をしているように見えたとしても、それを見たハルヒがなぜ嫉妬する必要があるんだ?
「なんと。涼宮さんがなぜ嫉妬するのか、あなたには理解できないというのですか!?」
古泉が、わざとらしく驚いた顔をして見せた。いくら驚かれたところで、俺が理解できないのは本当だし、俺としてはそれが不自然なことだとは思えん。ハルヒは、恋愛を精神病の一種だとかいう女だし、どう見たって俺のことは単なる下っ端の小間使いくらいにしか思っていないに違いない。そんなハルヒが、よりによって俺のことで嫉妬するなんて考えられないね。
「仕方ありません。解らないというのであればご説明して差し上げましょう。涼宮さんは、特にあなたのことになると、理性を失って自らの力で非日常的な現象を起こしてしまう傾向があります」
古泉の顔がニコニコスマイルに戻った。何それ。俺にはハルヒのそんな傾向には覚えがないけどな。
「例を一つ挙げてみましょう。僕たちは、去年の夏休み、8月17日から31日までの時間が無限にループするという事件に遭遇しましたが、あの時のことは覚えていらっしゃいますか?」
ああ、たしか15498回も同じ時間を繰り返したんだったな。よく覚えてるよ。
「あの事件を引き起こしたのは涼宮さんですが、なぜ涼宮さんがあのような事件を引き起こしたのか、あなたには解りますか?」
いや、正直なところよく解らん。俺が適当なことを叫んだことがきっかけで、8月31日に俺の部屋で急遽SOS団勉強会が開催されることになって、それで時間がループしなくなったということは覚えているけど、考えてみると何もかも謎のまま終わってしまった話だったな。
「実を言いますと、何が原因で涼宮さんがあのような事件を引き起こしたのか、僕には当時から解っていたのですよ」
ほう。とりあえず聞かせてもらおうじゃないか。
「正解をお教えする前に、小問1です。一万何千回もループした時間の終点である8月31日は夏休みの終わりですが、涼宮さんにとって、起点の8月17日は何の日だったですか?」
何の日って、市民プールに行った日だろう。俺が母親の実家から帰ってきた翌日にいきなり呼び出されて、嫌々ながら言われたとおり自転車で集合場所に行ったことは今でも覚えてるぜ。それと、俺がハルヒと長門を乗せてヒィヒィ言いながら自転車を漕いでいるのに、お前は朝比奈さんを乗せて悠々と自転車を漕いでいたよな。あのあまりに不公平な仕打ちとお前に対する恨みも、しっかりと覚えているぞ。
「かなり余剰な部分が多いですが、まあ正解としてよいでしょう。つまり、涼宮さんにとって、8月17日は、あなたが母親の実家から帰ってきた日の翌日であるということです」
古泉のその言葉に俺は意表を突かれた。えーと、その部分が重要なのか?
「そうです。あの事件のとき、8月17日の早朝あたりがセーブポイントになっていました。つまり、涼宮さんにとっては、あなたと会える8月17日以降がやり直したい時間であって、あなたと会えない8月16日以前は、別にやり直したくない時間であったということができますね」
うーん、何となく釈然としないところはあるが、まあそうかも知れんな。
「では小問2です。夏休み最初の合宿が終わって、その8月17日が来るまでの間、涼宮さんはどのような気持ちで過ごしていたのでしょう?」
そんなこと俺の知ったことか。
「まあそう言わずに、これからヒントを差し上げますから、じっくり推理してみましょう。まずヒントその1ですが、夏休みの合宿初日、涼宮さんは朝比奈さんに指示して、あなたの寝顔と寝起き顔を撮らせていますね?」
ああ、たしかハルヒはSOS団の活動記録を後世に残すため、朝比奈さんをSOS団臨時カメラマンに任命して、俺がフェリーの中で寝ているとき、俺の寝顔と寝起き顔を撮らせたんだったよな。それで、俺の寝顔と寝起き顔のどこに資料的価値があるんだって聞いたら、たしか合宿の緊張感を持たずに間抜け面で寝てる俺の写真を晒すことによって後の世の戒めとするとか、よく意味の解らんことをほざいていたと思う。
「そうです。ところで、SOS団臨時カメラマンに任命された朝比奈さんは、あの合宿のとき、あなたの寝顔と寝起き顔以外の写真を撮っていますか?」
えーと、何か撮ってたっけ? そう言われてみると、俺の寝顔と寝起き顔以外、何も撮っていなかったような気がするぞ。
「そのとおりです。僕の記憶でも、涼宮さんはあなたの寝顔と寝起き顔以外何も撮らせることなく、カメラは涼宮さんの荷物の中にしまい込まれたままでしたね。そして、あなたの写真を晒して後世の戒めにするという涼宮さんの宣言は、実行されていますか?」
えーと、今のところ実行されてはいないな。SOS団のアジトもとい文芸部室に俺の写真が晒されることもなかったし、俺もあのときの写真を見たことはない。まあ、別に俺の寝顔が映ってる写真なんて見たくもないが。
「そうすると、涼宮さんは何のためにあなたの写真を撮らせて、自分の荷物の中にしまい込んだのでしょう?」
さあ。俺の寝顔が映った写真なんて売れるはずもないし、どうせろくでもないハルヒ的気まぐれじゃないか。
「涼宮さんは、非常に理性的で聡明な方です。そのように全く意味のないことをするとは思えません。僕の察するところ、涼宮さんはどうしてもあなたの写真が欲しくて、可愛らしい写真立てに入ったあなたの写真を枕元に置いて夜ごと「おやすみなさい」を言うためにあなたの写真を撮らせたのではないでしょうか」
古泉がいつもどおりニコニコしながらさりげなく放ったとんでもない暴言に、俺は思わず叫んだ。
「ちょ、ちょっと待て古泉! 朝比奈さんならともかく、あのハルヒがそんなことをするはずないだろう!」
俺のもっともな心の叫びから放ったツッコミを、古泉は平然と切り返した。
「では、それ以外の目的が考えられますか?」
えーと、他の目的として考えられるものは何だろう、と俺が必死に考えていると、
「まあ、夜ごと「おやすみなさい」を言うためかどうかはともかく、涼宮さんが夏休みの間中しばらくあなたに会えなくなることを見越して、何とかあなたの写真を隠し撮りする機会を窺っていたこと、撮られたあなたの写真が涼宮さんの部屋に飾られていることはおそらく間違いないでしょう。ではヒントその2です」
こら古泉、俺が考えている最中に勝手に話を進めるな。
「8月17日、皆で自転車に乗って市民プールに行ったとき、涼宮さんは行きも帰りも、あなたの真後ろにぴったりくっついて離れようとしませんでしたね。それも涼宮さん自身のご意志で」
えーと、それは客観的事実としては間違っていないかもしれないが、思いっきり語弊があると思うぞ。俺の自転車にはハルヒだけじゃなく長門も乗ってたし。
「そこは涼宮さんなりの、乙女の羞じらいというものですよ。自ら進んで自転車にあなたとの二人乗りを選ぶというのでは、いくら何でも露骨過ぎますからね」
何が露骨だというんだ。それと、ハルヒに乙女の羞じらいなんてものがあるわけないだろう。そもそも、俺との二人乗りでハルヒが羞じらう必要なんてどこにもないし。
「そしてヒントその3、これは先程申し上げたとおり、あなたと会えない8月16日以前の時間は、涼宮さんにとって繰り返したくない時間だったということです」
こら、人の抗議を無視して勝手に話を進めるな。
「これらのヒントを総合的に考慮すると、小問2の答えとしては、涼宮さんはあなたと会えない8月16日までの間、愛するあなたと会えないことで非常に寂しく辛い思いをしていたであろうという結論になります」
古泉、ヨタ話もいい加減にしろ。一体、今の話をどう総合的に考慮したらそういう結論になるんだ。
「そして小問3です。涼宮さんは、8月17日以降、盆踊りや花火大会など、何とか夏休み全ての日程をSOS団の活動で埋めようとしました。そして最後の1日がどうしても埋められなかった15497回にわたり、無意識のうちに時間を8月17日の早朝に引き戻してしまいました。それはなぜでしょう?」
なぜだと言うつもりだ。
「ここまで来れば答えは簡単です。涼宮さんは、残った夏休みのもはや1日たりとも、愛するあなたと会えない辛い日々を過ごしたくなかったのですよ」
古泉がニコニコ顔のままで連発するあまりの暴言に耐えかね、俺はまたもや叫んだ。
「何かと思って聞いてみれば、そんなめちゃくちゃな結論かよ!あのハルヒに限って、そんなこと断じてあるはずがない!」
そう叫んだ後で、俺はあることに気付き、こう続けた。
「それに、お前さっき、当時からその原因が解っていたとか言ってたな。原因が解っていたのなら、どうして俺に教えなかった!?」
的確と信じて疑わなかった俺のツッコミを、古泉はまたも平然と切り返した。
「だから申し上げたではありませんか。あなたが、涼宮さんを背後から突然抱きしめて、耳元でアイラブユーとでも囁いてはどうかと。実は、あなたが涼宮さんの熱い想いに素直に応えてあげることが、あの事件を解決する最良の手段だったのですよ」
古泉はウインクしながらそう言ってきた。気色悪い。
内心、藪をつついたら蝮が出てきてしまったと思いつつも、俺は全力で反論する。
「そんなわけあるか。大体お前の話はしょっちゅう変遷するし、とても信用できん。その台詞も、どうせその場の思いつきで言ったことを、後付けで勝手な理屈を付けて正当化しているだけだろう!お前の想像話は単なる嘘っぱちと相場が決まっているんだ!」
ちなみに、この相場は俺が今ここで決めた相場だ。だから、誰にも文句は言わせん。
古泉は、フッと溜息をついてからこう答えてきた。
「どうやら、理屈であなたを納得させるのは無理のようですね。こんなことなら、あなたが入院して気を失っているときの涼宮さんの姿を、ビデオカメラで隠し撮りしておくべきでした。あのときの涼宮さんの狼狽ぶりを見れば、いくら絶望的なまでに鈍いあなたでも、僕の言葉に納得せざるを得なかったでしょうから」
誰が鈍いって。
「もっとも、あなたが僕の言葉を素直に受け容れられない理由も僕には解りますよ」
お前に何が解るというんだ。
「あなたは涼宮さんに選ばれた存在です。ところが、お見受けしたところ、あなたは涼宮さんだけではなく、長門さんにも選ばれてしまっている。そして、あなた自身もそうした長門さんを憎からず思っている。違いますか?」
えーと、俺が長門のことを好きか嫌いかと言われれば、どちらかというともちろん前者だが、何だその、俺が長門に選ばれたっていうのは?
「以前、長門さんが引き起こし、あなたが遭遇したという不思議な事件のことを聞かせて頂きましたね。あの事件のことについては、もちろん僕よりあなたの方が詳しいと想いますが、長門さんはなぜ、あのような事件を引き起こしたとお考えですか?」
それは、長門にも感情が芽生えたからだろう。おかしな事件を起こしまくるハルヒの観察役なんて辞めて、宇宙人も未来人も超能力者も関係ない普通の世界で、普通の女の子として暮らしたくなったんだろうな。
「それだけですか?」
それだけとは?
「あなたの話によると、SOS団のメンバーのうち、涼宮さんと僕は、北高ではなくわざわざ男女共学の進学校に変えられた光陽園学院に転入させられ、朝比奈さんはあなたには手の届かない存在にされ、唯一長門さんだけが、文芸部室であなたを待っていた。長門さんは、なぜこのような世界を望んだのだと思いますか?」
えーと・・・。なぜだろうな。
「答えは簡単です。長門さんは、邪魔な涼宮さんその他を追い払って、愛するあなたを独り占めにしたかったのですよ。しかも、不幸なことに、自分の情報操作能力をもってすればそれも充分可能だった。そして、長門さんが自分の能力を使ってあなたを独り占めにしたいという誘惑に耐えられなくなったのが、事件が起こったという去年の12月18日なのでしょうね」
ちょっと待て。仮に長門の望みが俺を独り占めにしたいとかだったら、なんで問答無用で世界を変えてしまうのではなく、わざわざ俺に選択権を委ねたんだ?
「だから、長門さんがあなたを愛するが故ですよ。長門さんにとっては、愛するあなたに、自分と二人っきりの普通の学園生活を選ぶか、それとも涼宮さんや朝比奈さんや僕もいる、謎と不思議だらけの学園生活を選ぶか決めてもらいたかったのでしょうね。これは僕だけでなく、おそらくあなたの話を聴いた人のうち10人中8人くらいはそのように解釈するのではないかと思いますよ」
俺は二の句が継げなかった。実を言うと、俺も古泉の言うことに気付いていなかったわけではなく、ひょっとしたらそうじゃないかと思いつつも、実際には違うかもしれないし、仮にそのことに気付いたところで今更俺にはどうしようもないから、敢えて保守的解釈にこだわっていたのだ。あのな古泉、世の中にはたとえそれが真実であっても、言ってはいけないことというものがあるんだぞ。誰々さんは日本共産党員ですといった類のな。
「さて、あなたはどうなさるんです?日本の法律では二重婚は犯罪ですよ」
お前も国木田一派か。
「まあ、この問題については、焦らずとも時間が解決してくれることもあるでしょう。それでは、僕はこれで失礼させて頂きます」
そう言い残して古泉は去っていった。あの野郎、俺に散々長話を仕掛けてきたのは、結局俺をからかいたかっただけか。
なんか、今日はいろいろなことがあってものすごく疲れた。正直、真剣に考えようとすると、とても受け容れられないようなことばかりで、とても俺の精神が保たん。敢えて例えるなら、何かのバグでまだレベル15くらいなのに突然ラスボスに遭遇してしまったような気分だ。あと何年かすれば、あるいは俺も今日起きたようなことに対処できるようになるのかも知れないが、今の俺にはとても無理だ。
だから、ここ数日のうちに起こったことについては、俺は基本的に忘れることにする。仮に覚えていても、単なる悪夢だったということにする。それしかない。
そういえば、長門が俺の帰り際にこんな台詞を言っていたような気がする。
「本日、大きな情報爆発が観測できた。情報統合思念体に報告する。関係者の記憶のうち、問題のあるものは私の判断で抹消しておく。問題ない」
おそらく、俺達の記憶は長門によって大半が抹消されることになるだろう。だから、今回の話は、俺の語る今後の話には一切反映されないかもしれん。
特に、俺自身はこんな事件の記憶を抱えたままでは、到底精神が保たないから、かなり完璧な記憶抹消措置を受けるに違いなく、おそらく今回の事件のことはほとんど忘れてしまうことになるだろう。
でも、俺にとって一つだけ忘れてはいけないことがある。
俺は、SOS団唯一の良心なのだ。
俺が、仮に良心の道を踏み外したときには、何かよく解らないけど大変なことが起こるらしいということは、今回の事件の教訓として記憶に留めておかなければいけない。
まあ、判断するのは長門だ、そのへんのことは上手くやってくれるだろう。
(おわり)
全体が約44000字余りなので、5~6記事に納めるつもりでしたが、区切り方が悪かったせいか、全7回になってしまいました。自分でも、こんなくだらない小説をブログで公表してどうなるんだろうと思うのですが、不可思議な命令電波の命じることなので仕方ありません。
なお、黒猫は以前から執筆を依頼されている本の仕上げに取りかかる必要があるので、今後ブログの更新は10月上旬くらいまでお休みする予定です。それでは、皆さんごきげんよう。
同人誌にして出版してはいかがでしょうか?
黒猫先生の才能を発揮するには法曹の世界は些か不釣合いかも知れません。オリジナル作品を執筆して電撃小説大賞にでも応募してはいかがでしょう。
>その後になって,こうした受験に失敗して二流の大学にしか入れないと,
>その後の人生もたかが知れているという現実を思い知らされるような現象に
>直面してしまうと,なんかいたたまれない気分になってきます。
早くお医者さんへ行ったほうがいいです。
先生も無理しないでください。
神田のコスキャバでハレハレ踊りましょう!!