四季の喜び

心穏やかに

白金台へお出掛け

2007年10月10日 19時06分16秒 | Weblog


久し振りの白金台ダンス、素的な紫のスカート・ポニーテール茶髪レディーと舞ってきた

              帰り道に、庭園美術館へ寄る・・



           芝生の庭園にて、シャボン玉遊びに戯れる親子


健康維持

2007年10月09日 21時20分54秒 | Weblog
先日の検査にて、不整脈ありとの事で24時間装着の心電図を・・

帰ってみると、模様替えして趣味の皮工芸に出かけていた。

私は医者、家内は好きな事と、お互いの健康管理に・・

違いがあり過ぎる、変った我が家である。



小雨ふる静かな祭日

2007年10月08日 13時46分02秒 | Weblog
              
              少し小ぶりな・いまどき珍しいヒマワリ



   ご近所のかたが丹精して作られた・ミニトマトどうぞ召し上がれとご親切に






             我が青春時代のように・今が盛りのサルビア





新宿芸術天国・2007

2007年10月07日 22時08分49秒 | Weblog
               日本大学吹奏学部




              ガンジスインダスドーダス(ヘブンアーティスト)



               中国雑技藝術団




              東海大学吹奏楽研究会




  シャルウィダン○、主演の草○○代さん、タクシーに生徒さんかな?


余命ゼロの友

2007年10月04日 22時55分17秒 | Weblog
          
      命が期限切れの友達の話を聞いて下さい

正確に言えば、私はガンです。渡部成俊さんの言葉です、現在も元気ですが痩せて
食欲がなくなってきたと、奥さんが言ってました。見た目は健常者と変りません。
 
僕は彼の独身時代から40年来の友達で現在直面している実際の話です
昨年十二月末で余命が終わると宣告され、しかし桜を見ることも、酷暑も乗り切り爽やかな秋を迎え、まだ丈夫で結構な事です。彼と僕は極貧の境遇から支え助け合い、事業を起こし、お互い多額の借り入れ金の保証人にも成りあったり、苦しい時代、人の何倍も働き借金の返済も終わり~
これから苦労をともに歩んだ、連れ合いと四人で旅行でもと思っていた矢先のこと運命とは神様とは酷いと恨み嘆き、彼は自暴自棄に自殺まで考えたとか、気持ちはよくわかります。僕も過労で脳梗塞で倒れ車椅子生活となり事業の借金、住宅ローン、家族の行く末等考え世の中真っ暗に、矢張り病院の屋上から飛び降り、自殺をと思いました。
彼の力で日本一のリハビリテイションに入院でき現在も後遺症は残っていますが、元気で生きています、有難い事です、この文字も左手だけで打ってます。東京都だよりを見て、渋谷こどもの城にて身体障害者の習字教室では口にくわえて書いたり頭に筆をとめるリングを、そこに筆をはめ書いている方もいて、その方々を見て感動し今まで悲観していた自身が恥ずかしく勇気、明るさ、幸せを戴きました。
彼と家族、友人、得意先、数多くの方の支えがあったからと感謝の毎日です

しかし今彼に何もして上げられない、歯がゆい・受けた恩を返せない
彼は強い、十時間の大手術にも耐え、余命尽きても立ち上がり人の為に尽くそうと
当区内の小、中、高校に命の大切さを70回以上講演し子供たちから2万通以上の・感謝文が彼の家にあり、私共夫婦も何回か学校の許可をいただき講演を、マイク・原稿なしで1時間も、生徒も体育館の床に身じろぎもせず涙して聞き入って、自宅まで感謝の訪問に来た生徒までいました。この様子はNHK、日テレ、テレ朝でも放映され各社の新聞にも何回か掲載、7月には大和書房から本も出版され、かなりの話題を呼び・・・・・
9月21日には区の諏訪善行賞(同賞は1974年9月、酒に酔った2人組の男にからまれる女性を助けようとして、刺殺された諏訪正人さん当時26歳の遺族が寄せた香典を元に設立された。青少年の健全育成や防犯、防災などへの献身的な活動をしている区民が表彰対象。)を2000年以来7年ぶり83人目の受賞者と、従来は2・3人対象者がこの度は彼1人との事、この期に初めて彼の偉大な活動力生命力に頭がさがります。
    彼が常々口にしている言葉
                   人は自分一人の力では生きていけない

               相手の気持ちを思いやり聞き上手になること

                  反省、努力し人に尽くせること
               
               命は人間の存在そのもの


               私を支えてくれた友だちを大切に

      
               何人、何事にも感謝すること

               他人の為なら、がんばれる

               努力は絶対に無駄にならない

               自分一人の命ではない

               余命ゼロだって幸せです





彼は今年1月62才で、2005年5月に寿命は1年半と医者に宣告されました。膵臓ガンで、胃と大腸の一部、膵臓にある患部も切り取り、胃・肝臓・すい管を腸につなぎ合わせる、6人の医師が10時間もかかる大手術を順天堂病院でしました。まだ若いし体力があるので耐えられたのです。

全身麻酔から、その日の夜・目がさめた時成功した、生かされたと思い大喜びした
ところが手術は成功し悪いところは取ったが、しかしその前に目に見えないガンが
体中に転移し転移性肺ガンと説明された。肝臓、腎臓にもまわり手術は体力を落とすだけで、別のガン細胞がまた活動をはじめる。このガンはそういう性格なんですと説明されびっくりしたそうです

彼はまだ生きたい、どうしたら治るかと?抗ガン剤で進行を遅らせる延命治療・抗ガン剤治療は副作用がありつらいとか、いまはガンが神経にぶつかっていないので痛みはなく、やがて痛みがきたり他に転移したら、緩和療法のホスピスへ・どちらか選択するように言われ、もし何も治療しないと、あと一年半、先生の答えです。納得いかず,2つの大学病院を回ったが結果は同じで、その夜、奥さんと二人で朝まで泣き明かしたそうです。辛くて悔しかったと~
38と33才(現在)の息子さんも仕事の後を継ぎたいと親子で同じ目標に向かって・働ける楽しい夢のような日々もバブル崩壊と共にしぼんで良い事は長く続きません
その時、ウイスキーと睡眠薬をにぎりしめているのを見て~長男はお父さんの気持はよくわかるよ、家族みんながつらいんだよ・この言葉を聞いたとき思ったそうです。自分はあれだけ強く信念をもって生きてきた生きざまがゼロになる。自分が自分で命を絶つようなことがあったら、言ってきたこと、やってきたことが空論になる
その時迷いが消え、自殺を思いとどまることができた・でもまた弱虫になってしまうそうです。過去40年の付き合いで彼の生い立ちから全部知り尽くしている僕に見せたことのない一面です。

彼は小学5年の時、父を43歳でガンで亡くし、母は32歳。中1の兄、小3弟、そして2歳の弟、母も父の後を追おうと思った時、父の死の直前[この子供達を絶対に手放さないでくれ天国から見守るから]の言葉を思いだし道連れに死ぬこともなく育ててくれた母の姿を見て、兄と朝5時から新聞配達を、終わると2歳の弟のおしめと着替えを持ち教会へ預けに泣き叫ぶ弟の声を振り切って学校へ行ったと・・

兄弟3人で洗濯や掃除、弟の面倒見てお母さんの帰りを待っていたとか、話を聞いた時、小説ではなく実話とは信じられませんでした。
中学3年の時身長が伸び1年の時買ったトレパンは短くてみんなの前ではけず、新しいのを買ってもらえないのがわかっているので、忘れたと言いつづけ先生に叱られたそうです。
お母さんは昼間は病院の受付事務、夜は子供たちが裁断前の布をハサミで切り一枚ずつ重ねてあるスカーフの縁取りをしながら、学問は身についていなくても、人の恩とか、人に感謝する気持ちは持てるはず、それだけは忘れてはいけない・
と教えてくれたとか偉大なる母親の鏡だと思う。子供たちにいつも、ありがとうと言って感謝してくれたと語ってくれた、その顔は子供のように嬉しそうに輝いていた。でも限界にきて中卒と同時に屋根裏部屋みたいなアパートで一人生活を、豊かになり母も楽にさせたい、

所が現実は甘くなかった、知識を学ばないと社会の役に立てないと思って2年後定時制高校に、昼間は9時から5時まで働き・5時半から9時まで高校、夜10時から朝5時まで沖仲仕の仕事をと3時間の睡眠でまた働いて4年で卒業したそうです。こんな若さで信念が、僕は足元にも及びません。重労働に疲れ果てチンピラの友達の出入りする事務所へ彼の気持ちをわかってくれ安堵感があり救われる思いが、兄貴分の人が正業につかなければ、お袋を悲しませるもう来たって入れてやらないと追い出され悲しい思いをし、後で考えたら諭してくれた兄貴分に感謝でいっぱいですと語ってくれました。人との出会いにより、その人の言葉や生き方をどう受け止めるか、人生は変わると思います

高校を卒業する頃に、奥さんは彼のお母さんが勤めていた病院の検査技師でした
知り合った頃、19と23才当然奥さんの実家から結婚は反対されたとのこと
今まで知り合った女性の中でも特別な感情を真剣で、上司も応援して心配する両親を説得してくれ結婚でき、一生互いにいい相手に恵まれた、間違いなかった、そんな気持ちがつずくように努力して、妻にめぐり会えて本当に良かったと、本心で僕にも言い切ります。22才で結婚,23才で子供が生まれ、26才で独立死に物狂いで明け方まで働き、32才で[株式会社ワタベ]を設立したのです。

兄さんも定時制高校に働きながら通い、現在は厚木で会社を経営し剣道一家で、小中学校で仕事のかたわら教えています。僕が入院した病院も厚木なのでお世話になりました、3男はアメリカの船舶会社の神戸支店長、4男はシアトル市の不動産業界の副会長と皆さん努力し実を結んだのです。あの父・母ありてこの子ありです

それでもお母さんは[自分たちの努力だけでなく、多くのまわりの人たちに助けられ、その人達がいた事を忘れるな]と言うそうです。物への欲はきりがないから今ここにある幸せを有難いと思うことが大切だよと・・・

次世代の長く生きていく子供たちに喜びを感じ感謝の気持ちを忘れなければ[いじめ]は起らない。彼が講演をすると感想文を書いてくれる、それが喜びになりまた他の学校にもと思う、善は善を生んでいくと思うと言ってました。そして人が人として尊いのは人のために役に立つ事とも~余命宣告を受けて講演をすると、小、中、高校生もみんな真剣に話を聞いて共感し真面目に感想文をくれ、どれほど人間の真実を見抜く力を感じましたとも語ってくれました。

感想文で[人はつながって生きているんだ][人は一人じゃないんだ。自分一人の命じゃないんだ][自分が相手をたたいたらすっきりする]  [たたかれた相手は痛い]
[相手の立場になって考えてみた]とも書いてあり本当は、いじめなんて絶対出来ないと思いました、人をいじめたりしないで下さい。 君たちもいつかその気持ちを貰うのです。もしこの先君たちが[どうしても一歩も前にふみ出せない、もう生きていけない、命を絶ちたい]その時は渡部さんの言葉を思い出してください。
 
                 そんな軽い命なら私にください

2日の日も訪問し現在本当の心境は正直なところどうなのときいたら、一本の細い糸の上を綱渡りしているようだと
肺の腫瘍が5㎝にもなり終院治療をすすめられた程、痛みが出てきて1日30錠も薬を飲まずにはいられない時もあるとか・・・ 
                          渡部さんの部屋



                     ロスアンゼルスの新聞にも掲載されました 



       投稿文、途中・妹からの電話で渡部さんのことをTBSテレビで放映していました・