* ポール・ニューマン、83歳で死去
米俳優ポール・ニューマンが26日夜、長いがんとの闘病の末、コネティカット州
ウェストポート近くの自宅で死去した。
1969年にロバート・レッドフォードと共演したアメリカン・ニューシネマの西部劇
『明日に向って撃て!』は生涯最高のヒットを記録。マネー・メイキングスターの
1位に選出され、トップスターとしての地位を不動のものにした。
吸い込まれるような青い眼で世界中のファンを引きつけたポール・ニューマンの死去に、追悼の声が相次いでいる。端正な外見とは裏腹に、社会のはみ出し者や敗者を好んで演じたニューマン。その軌跡は、1960年代から70年代にかけて自問と内省を深めていったハリウッド、そして米社会そのものの変化とも重なっている。
公民権運動やベトナム反戦に揺れる米社会と同様、60年代のハリウッドも内省を深めていく。夢や希望、正義を掲げる従来の路線を離れ、反体制的な若者の心情を描く「アメリカン・ニューシネマ」の時代に入り、ニューマンは「明日に向って撃て!」
(69年)で強盗を繰り返すお尋ね者、「スティング」(73年)では詐欺師を演じた。
米紙ニューヨーク・タイムズは「ハリウッドの新旧交代の象徴だった」と位置づけ
る。AP通信は「ハンサムな外見とは逆に、反逆者や敗者を演じてきた。ハリウッ
ドの伝統からみれば、ヒーローとは反対の存在だった」と伝えた。
ハリウッドの派手な生活を嫌い、東海岸のコネティカット州に居を構えた。妻の女優、ジョアン・ウッドワードさんとはおしどり夫婦で知られた。
クリントン元大統領は「親愛なる友人を失った」とその死を悼み、シュワルツェネッガー・カリフォルニア州知事は「究極のクール・ガイ(イカした奴)だった」とコメントを寄せた。
ニューマンの財団のロバート・フォレスター氏は、「演技はポール・ニューマンの作品だった。カーレースは彼の情熱だった。家族と友人は彼の愛だった。そして彼の心と魂は、すべての人にとって世界がよりよい場所になるように捧げられていた」と語った。
アカデミー賞には俳優として9回ノミネートされ、1986年の「ハスラー2」で主演男優賞を受賞。
映画俳優・監督としてだけでなく、自動車レーサーや実業家としても成功を収め、
食品事業で得た収益を通じて世界各地の慈善団体に多額の寄付もしていた。
2007年6月、中西部オハイオ州ガンビアの母校ケニヨン大に対し、奨学基金の設立資金として
1000万ドル(約12億2000万円)の寄付を申し出た。寄付について「母校への個人的
愛情や恩義」と説明。奨学金は家庭の事情で学費が払えない非白人のマイノリティー(少数派)の学生らに支給されていくという。
2008年5月後半以降、健康状態について末期の肺がんで闘病生活を送っているとの
報道が相次いでなされ、マネジメント事務所は「元気でやっている」とだけのコメントを発表した。
その後報道は鎮静化、一時がんの化学治療のためニューヨークの専門病院に入院していたが、
かんばしくなく8月に退院し自宅治療に専念、現地時間の2008年9月26日、
コネチカット州ウェストポートの私邸に於いて逝去。83歳没。
今、世界は病んでいるように思える。誰もが、「明日」が見えない。
人が幸福に生きる為に必要なのは、目の前の金塊や権力では無く、
より豊かな、「明日」を信じて、自分の為、家族の為、友人達の為に
微力でも、出来る事をこつこつと積み上げていける、そういう、社会の空気では
無いだろうか?
ポール・ニューマンは、その演じた映画のキャラクターを通して、
八方塞がりに思える困難な状況でも、ユーモアを絶やさず、明日に向って
闘って行く勇気を示してくれた、と思う。
彼は、今日の米国の経済混乱に向って、「お前らのくだらなさには、もう
付き合ってれらんよ、勝手にやってくれ」と、笑いながら、決別のセルフを
残して、逝ったのかもしれない。