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気ままに生活してるシニアの残日録

2024京都旅行(その3)

2024年05月21日 | 街歩き

さて、2日目の昼食、市内中心部に行くと混んでいるし、車を停めるのに一苦労するので、今出川の同志社大学の学生食堂で食べようと思いついた

この今出川キャンパスには重要文化財の建物が5つあるというのをテレビで見たことがあり、その見物もかねて行ってみようと思った。

キャンパスには誰でも入れて、学食も利用できる。昼時の学食は学生で混んでいるので、先に校内を歩き、建築物を見学した。ほとんどの建屋がレンガ造りのしゃれた感じ。この日は、重要文化財となっているハリス理化学館が開放されており、中を見学していたら、係りの人から重要文化財のクラーク記念館と同志社礼拝堂(チャペル)も昼の30分だけ開放されておりぜひ見ていってくれと言われたので見学してみた、写真撮影も自由だった、いいものを見せてもらった。

その後、学食へ、トレーをもって自分が食べたい食事があるカウンターに行って注文、多くのメニューがあった、副菜も豊富だ、スイーツもある。その後レジで代金を支払い、テーブル席に。嫁さんと2人分で1,100円くらいだったが、おいしかった。

腹ごしらえした後は、今宮神社に行ってみた、神社の参道にある「あぶり餅」という名物を食べてみたかった。駐車場に車を停めると、短い参道があり、その両脇にあぶり餅の店が2軒ある、「一文字屋和輔」と「かざりや」だ、一文字屋の創業は平安時代、かざりやは江戸時代創業と歴史がある老舗だ。

売っているものは同じあぶり餅だが、二つの店が向かい合っている、両方とも同じくらい客が入っている、多分味付けなどが異なるのでしょう。

先に参拝を済ませ、一文字屋に入って1人前600円のあぶり餅をたのんだ。注文を受けてからすぐ近くの見えるとこで焼いている、煙が風情をそそる、きな粉をまぶしたお餅を親指サイズに千切って竹串に刺し、炭火であぶって香ばしい焦げ目をつけ、白みそだれを絡めて仕上げる

食べてみると、昼食直後だったが、あっという間に完食できた、おいしかった。

さて、この後は、それほど離れていない光悦寺に行ってみた、江戸初期の文化人・本阿弥光悦が1615年(元和1)徳川家康から与えられたこの地に草庵を結び、法華題目堂を建てたのが起こり、光悦の死後、寺(日蓮宗)となった。

境内には、大虚庵など7つの茶室があり、茶室大虚庵を囲むユニークな竹垣は「光悦垣」と呼ばれる有名なものだからぜひ見たいと思っていた

光悦がここに来た頃は、この場所は京都の洛外と呼ばれ、流浪の地と呼ばれてもおかしくないような寂し場所だった、その証拠にここの手前には御土居跡がある。この土居は秀吉が長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と,鴨川の氾濫から市街を守る堤防として築いた土塁である(写真を撮り忘れた)、 土塁の内側を洛中,外側を洛外と呼ぶ

光悦は、この付近にさまざまな分野の、町衆の文化人や職人、芸術家たちを集めて、独自の文化を築きあげたというからすごいものだ。本阿弥家は代々刀剣の鑑定と刀研ぎの仕事に従事していたが光悦はさらに書、絵画、工芸、陶芸などの創作にも従事していたようだ

入場料を払って中に入っていくと、いろんな樹木が植えてあり新緑がまぶしい、その木々の中に草庵が点在している、非常に落ち着いた雰囲気だ、順路をたどっていくと、京都市内が見渡せる場所があり、また、鷹ヶ峰、鷲ヶ峰が見えるいい場所がある、そして光悦垣の美しさに目を奪われた、写真で何回も見たところだが、ついに実物が見られるとは。


(光悦垣)

なお、光悦がここに移り住む前の京屋敷は、現在の上京区実相院町にあったとされ、そこには記念の石碑が建っている、そこは2、3年前に旅行に行ったときに偶然見つけて写真を撮ってあった、場所は楽美術館の近くだ

この後、次の予定まで時間があったので、寺町通の洋菓子店、村上開新堂に行ってみた、何度か来たことがある。

訪ねてみると先客はおらず、ロシアケーキ10個詰めを購入した、値段は忘れたが3,000円くらいか。缶入りクッキーが人気で、予約制、1か月以上前に電話で確認したら1年半先まで予約が入っていると聞いて、あきらめた。


(日本橋高島屋の諸国名品売場で売っているのを見たことがある)

ここには喫茶室があるが現在改装中、この後、続々と客が入ってきた、いいタイミングで買い物ができた、以前はこんなに混むことはなかったと思うが、また、村上開新堂は東京の半蔵門にもあるが、興味のある方は以前の投稿(こちら)をご覧ください

(その4)2日目の夕方から夜に続く