■中国・アメリカとの戦争
第一次世界大戦後、世界大恐慌が起き、主要国はブロック経済体制をとり、植民地を持たない日本とドイツはより大きな不況に苦しむことになる。これを解決する方法として日本がとったのは満州進出で、清朝の最後の皇帝を迎えて傀儡政権を作った。そのおかげで満州は豊かな国になり、結果的には日本の統治は欧米先進国も認める善政であったが、問題は、これらが日本の軍部の独走で始まり、それを政府が止めることができないと言うことだった。これは単に陸軍の横暴と言うだけでなく、日本の政府や軍と言う官僚組織の弊害が強く出てしまい、この影響は、その後のアメリカとの太平洋戦争につながってしまうことになった。
日本と中国が戦争状態になったのは盧溝橋と言う場所で撃たれた一発の弾丸が引金だが
(国民党軍からのものか共産軍の挑発かは今となっては分からないが)、反撃した陸軍の動きを日本政府は統制することができず、ずるずると中国との戦争に入り込んでしまった。
さらに、日本はこの中国との戦争でいくつかの問題を有していた。
一つはプロパガンダでは全く中国に負けていたこと。そのために、外国の支持が中国に廻ったことだ。当時の日本は、日露戦争当時の危機感のあった時の外交とは問題にならないぐらい劣ってしまっていて、外国に対する宣伝や情報収集と言うことを重要視しなくなっていた。
もう一つは、日本の政府が場当たり的な対応をとったことだ。陸軍の横暴に引っ張られ、何もかも追認状態になり、さらに国際的な観点がなく、問題先送りに終始してしまったことだ。維新の元勲はすでにこの世を去り、当時の政府や軍部の中に真のリーダーがいなかったことだ。最後には終戦すら天皇の自分の身を挺したお言葉がなければ、これも実現できなかったぐらいだ
アメリカとの開戦については、石油の禁輸による締め付けの上に、中国からの撤退を条件に突き付けられてしまって、当時の陸軍は自分たちのメンツから中国から引き上げる判断ができなり、追い詰められて、結果的に戦争をせざるを得ない状況になってしまった。
ただ、第三者的に見ると、この日本の置かれた状況は、同情すべきところはある。だから戦後マッカーサーがアメリカ上院で、今回の戦争は「日本の自衛のために戦争だった。」と擁護した。
しかしそうなるような外交をしてしまったこと。メンツのために後戻りできない体質。負けたと言うこと認めることができない体質。これらについて日本の政府と指導的立場にあった日本の軍部の責任は非常に大きいと言える。
真珠湾攻撃によって始まった太平洋戦争は、日本のほとんどの都市の崩壊で幕を閉じた。
原爆投下も含めて、これは市民を対象とした虐殺に他ならないが、日本はこのことに対して、アメリカや連合国を非難するようなことはしなかった。これは戦争だった。戦後、広島や長崎の原爆資料館を訪れたアメリカ人は、彼らの行った非人間的行為についての非難展示があることを予想していたが、実際には事実をありのまま伝え、このような惨事を日本が最後になることを願う内容に驚き、ケネディ前駐日大使もオバマ前大統領に広島に行くように強く勧めたのはこの日本人の戦争に対する考え方に共感したからだ。ただ、この経験が日本人にとって、戦後の日本に良くも悪くも大きな影響を与えることになった。
第一次世界大戦後、世界大恐慌が起き、主要国はブロック経済体制をとり、植民地を持たない日本とドイツはより大きな不況に苦しむことになる。これを解決する方法として日本がとったのは満州進出で、清朝の最後の皇帝を迎えて傀儡政権を作った。そのおかげで満州は豊かな国になり、結果的には日本の統治は欧米先進国も認める善政であったが、問題は、これらが日本の軍部の独走で始まり、それを政府が止めることができないと言うことだった。これは単に陸軍の横暴と言うだけでなく、日本の政府や軍と言う官僚組織の弊害が強く出てしまい、この影響は、その後のアメリカとの太平洋戦争につながってしまうことになった。
日本と中国が戦争状態になったのは盧溝橋と言う場所で撃たれた一発の弾丸が引金だが
(国民党軍からのものか共産軍の挑発かは今となっては分からないが)、反撃した陸軍の動きを日本政府は統制することができず、ずるずると中国との戦争に入り込んでしまった。
さらに、日本はこの中国との戦争でいくつかの問題を有していた。
一つはプロパガンダでは全く中国に負けていたこと。そのために、外国の支持が中国に廻ったことだ。当時の日本は、日露戦争当時の危機感のあった時の外交とは問題にならないぐらい劣ってしまっていて、外国に対する宣伝や情報収集と言うことを重要視しなくなっていた。
もう一つは、日本の政府が場当たり的な対応をとったことだ。陸軍の横暴に引っ張られ、何もかも追認状態になり、さらに国際的な観点がなく、問題先送りに終始してしまったことだ。維新の元勲はすでにこの世を去り、当時の政府や軍部の中に真のリーダーがいなかったことだ。最後には終戦すら天皇の自分の身を挺したお言葉がなければ、これも実現できなかったぐらいだ
アメリカとの開戦については、石油の禁輸による締め付けの上に、中国からの撤退を条件に突き付けられてしまって、当時の陸軍は自分たちのメンツから中国から引き上げる判断ができなり、追い詰められて、結果的に戦争をせざるを得ない状況になってしまった。
ただ、第三者的に見ると、この日本の置かれた状況は、同情すべきところはある。だから戦後マッカーサーがアメリカ上院で、今回の戦争は「日本の自衛のために戦争だった。」と擁護した。
しかしそうなるような外交をしてしまったこと。メンツのために後戻りできない体質。負けたと言うこと認めることができない体質。これらについて日本の政府と指導的立場にあった日本の軍部の責任は非常に大きいと言える。
真珠湾攻撃によって始まった太平洋戦争は、日本のほとんどの都市の崩壊で幕を閉じた。
原爆投下も含めて、これは市民を対象とした虐殺に他ならないが、日本はこのことに対して、アメリカや連合国を非難するようなことはしなかった。これは戦争だった。戦後、広島や長崎の原爆資料館を訪れたアメリカ人は、彼らの行った非人間的行為についての非難展示があることを予想していたが、実際には事実をありのまま伝え、このような惨事を日本が最後になることを願う内容に驚き、ケネディ前駐日大使もオバマ前大統領に広島に行くように強く勧めたのはこの日本人の戦争に対する考え方に共感したからだ。ただ、この経験が日本人にとって、戦後の日本に良くも悪くも大きな影響を与えることになった。