美意識を磨く 文田聖二の『アート思考』

twitterフォロワー50,000人。つぶやき140字では伝えきれないことをこのブログに残していきます。

Chapter7 人は人に磨かれる

2017年10月08日 11時38分52秒 | 日記
Chapter7 人は人に磨かれる
魅力(独自性)
 「自分しかしないこと・自分だからすること・何時間でも続けて
いられること」

 自分しかしなさそうなこと。例えば私の場合、子どもの頃から人が集まることと誰かのサポートをすることが好きでした。奉仕とかポランチィア活動をしたいということとは少し違って、自分自身あるいは家族のために行動していることでも結果的に人と人、人と何かの「橋渡し」に繋がっていくことに充実感を感じています。そんな人はたくさんいるでしょうが、デザイン&アートの分野で私の培ってきたことを使って、それも日本で…という具合に私のもっている条件をつけていくとその人数も絞られていくはずです。そんなことが自分のやりたいことへの自信にも繋がったりします。どんなことが自分の自信として思えるのかで、それぞれのモチベーションが決まってくるように思えます。
 自分だからしていること。その時代、周りの環境も大きく関わってくるのでしょう。その時やっていること(習慣)や行動範囲を客観的に見直してみると意識していなかった自分自身の姿が浮き上がってきます。著名人の行動、報道のあり方などテレビに向かって文句をいっている。流行に敏感。無意識に落書きをしている、喋っている。散歩が好き、暇であることが好き、嫌い。知らない人の中にいたい、集めたい…など。「普通」と思っていることが意外と独特でその人の持ち味の現れだったりします。自分の特徴を発見して、その力を発揮していきましょう。
 何時間でもやっていられる。「いつの間にか時が過ぎていた」という感覚を覚えたことはありませんか?自分に適していることに気が付かずに見過ごしているのかもしれません。「仕事と遊びは別」、でしょうか?そんな考え方をいつ、どこで植え付けられたのでしょう。学校では、休み時間が「遊び」の時間?教室で学習することが楽しく「遊ぶ」になっている授業もたくさん存在しているはずです。家族が囲む食卓が「楽しい一時を過ごす場」になっている家庭もたくさんあります。職場の「仕事で遊ぶ」ために出勤する人もいます。唐突ですが、私は雲が好きで、いい雲、つまらない雲と勝手に評価することで楽しんでいます。そんな時、その状況から何かを会得していると考えるので何時間たっても集中力が続きます。結果的にその場で過ごした時間に価値を感じ、その多くが記憶に残っています。記憶に残るということは、意識しようがしまいがその時が充実していたということです。逆に充実した時間を過ごすために何をすればいいのか再認識するためには、自分の記憶をたどってみるのも一つの方法でしょう。

“人は人に磨かれる”のつぶやき

2017年10月08日 11時15分25秒 | 日記
“人は人に磨かれる”のつぶやき


『瞑想するために瞑想するのではなく』
好きなことに集中して 時の流れを忘れるように
自然に瞑想状態になる習慣をもてるといい。

『自分という人間は自分だけ』
続けられることが実力。
癖は魅力。
好きなことが才能。
磨かれた感覚が、本質を見抜く。
人のために想うことが、自分らしい幸せを見つけ出す力になる。

『自信がなくてもいい』
人ひとりの影響力を信じればいい。
「そこにいることで、周りに自分がつくられていく」のではなく
「自分がそこにいることで、周りがつくられていく」
と考えて行動していた方がどんなことにも価値をみいだせて、
断然楽しい。

『好きなこと、好きなもの、好きな人から本質や真実を体感する』
そんな時間を過ごすほどに感覚が磨かれ、
感受性が高まっていく。

『道ばたの草木や石ころに心を引かれる人もいる』
「そんなことで?」
でも、その人にとっては幸せなのである。
心が揺さぶられるものも人によって違う。
絶対的な美の定義となるお手本はない。
些細な幸せを拾い集めて見える化されたものが、美。

『主人公とは』
「本当の自分=主人公」といった意味をもつ禅語。
中国の唐時代、瑞巌(ずいがん)禅師は 毎日座禅をする時に
いつも独り言で「主人公よ!」と自分に呼びかけては
「目を覚ましているか?」「だまされるな」などと問い
「はい」と自ら返事をしていた。いつも主人公でいること。

『皆が同じことをできなくてもいい』
劣等感を感じると空しくて悔しくて、辛いものですが、
そんな対象が具体的に存在しているほど
競って無理して乗り越える必要はなく、
自分にできることをよく見直してみる機会にすればいい。

『不思議なこと、嬉しいこと』
地元や近所だけではなく旅行先でも道を聞かれる。
国内だけではなく海外でも道を聞かれた時にはさすがに驚いた。
初めての場所や知らない人たちの中にいることが好きで
どこにいてもぼ~っと考え事をして
郷里のように落ち着く。大抵、同じ気分、その所為だろうか。

『小学生の息子が洗濯物を取り込みはじめた』
洗濯物をいっぺんに運ぼうとして両手が塞がっているので
サッシを足先で器用に開けながらベランダと部屋を往復している。
段取りが悪く、じれったいといえばじれったくもどかしいが
けなげといえばけなげ。
いずれにしても一生懸命は観ていて感動する。

『なぜ』
子供のつぶやく「ヨイショッ、ヨイショッ」は心を揺さぶる。
絶対的に応援したくなる。応援したくなる人にある魅力が
「けなげ」「無垢」「無心」「ひたむき」「可能性」なのか
そんなところにある。

『中2と小6になった息子たちと良く話をする』
というか息子が自分の話をしてくれる。
たまに「お父さんはどうだった?」と聞いてくれる。それが嬉しい。
息子たちには将来、よく話しかけられる人、
道端でもよく道を尋ねられるような人になってほしい。

『好きなことや人とできるだけ長い時間を過ごすことで』
自分を活かせる思考力や感覚が磨かれていく。
その時に、できることややりたいことを見付けて
楽しめた時間や物や人たちは
生涯の財産になる。

『家族との時間』 2009年 文田聖二

『性に合わない人たちとも付き合い』
性に合わないことも経験していくと
心の中にある違った側面がたくさん刺激され、
やがて心が少しずつ頑丈になっていく。
そう自分にも言い聞かせて、不快を快に変えている。

藤田嗣治

『モモはあらゆる人々に必要とされる』
特別なことができるわけではなく、ただただ頼ってきた人たちを受け入れ、話を聞いてあげるだけ。それだけで沢山の人々がモモのところに集まってくる。モモの魅力は、そもそも人が諸問題を自分で解決し、立ち直れる力を持っていることを気づかせてくれることにある。

モモ

『脳は、主語を判別していない』
だから、いつも周りの人にやさしく、
信頼し褒められる人は、自信に満ちている。

『侍は、敵である武将までもリスペクトしていた』
だから、自分を磨き上げることができた。
人との接し方が、人格をつくっていく。
相手ではなく自分を磨いていくことで、周りも磨かれていく。

『好きなことをたくさんやることで』
自分を活かせる感覚が磨けるから、
学問や誰かから与えられることだけではなく、
自分がやりたいことを見付けて楽しむことも大切。

『実際に世の中が輝いてみえている』
色や影の違いが4、5段階しか意識しなかったのが絵を描くなどして
観察眼を鍛えていくと10段階以上みえるようになる。
色の微妙な見分けも同じで、画家が綺麗な風景を絵に描くのは
技法によるものだけでない。

『筋を通す人』
頑固で融通が利かない人ではなく、
思い描いた目的に向かってぶれずに行動している人。
真実や現実、問題に直視し、まずは具体的な理想のビジョンを思い描く。
その将来像に至るまでの筋道を立てる。
そして、他者と協働しながら問題を解決していくために
筋を通した生き方をする。

『自分で気づいたこと、実感できたことが身についている』
「学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、なお残っているもの、それこそ教育だ。」 アインシュタイン

『個性とは』
環境と選択して収集してきた情報で構築されていく。
画家オディロン・ルドンは植物学者アルマン・クラヴォーと知り合い、
顕微鏡下の世界に魅せられ、その出会いが画風にも影響していく。
クリエイターの発想の源にジャンルの隔たりはない。

ルドン

『それぞれの想う未来が大切』
個人的に明るい希望がもてる未来が正しい。
まずは自分の体と気持ちを大切にする人が、周りの人のためにもなれる。

『競争、比較することで劣等感や不幸を感じてしまいがち』
どんな状況でも「今の自分よりも少しでも成長しよう」
といった向上心が幸福感を持続させる。
劇団四季の座長が「隣の時計をみない」とそれぞれのペースで成長していく大切さを語っていた。

『優しくて強い人』
貢献でも犠牲でもなく、大らかで深い愛情、沸き起こる想いで
体が動いている人には敵わない。

ゴーギャン

『何事も上手さというよりは』
「誰かのために」といった想いの現れで親切、
丁寧になることが大切だと感じる。

『素直な人は、伸びる』
素直さは、迎合とは違う。
変化を受け入れて試行錯誤していける人は、
順応し進化している。

『癖にはエネルギーがある』
癖はその人を象徴するシンボルとなる。
癖がある人ほどいなくなると寂しくなる。

ダリ

『絵を描くことを生涯、修行ではなく楽しみ続けた画家』
印象派の巨匠、病床のピエール・オーギュスト・ルノワールは
最後にアネモネの絵を描きました。
「ようやく何かがわかりかけた気がする。」という言葉を残し、
その夜に亡くなったそうです。78歳でした。

『アネモネ』

『画家ゴッホと弟テオの墓は寄り添っている』
ゴッホの遺作『花咲くアーモンドの枝』 情熱的な絵を描き苦悩し続けているゴッホをいつも支えていた弟テオ。 彼の生まれたばかりの息子のために春を待つかわいい希望の花を最後に描き残して亡くなった。


『イライラや怒り憎しみで落ち着かないのは』
その対象に依存してしまうほど増していく。
見返りではなく与えるつもりで寄り添っていれば、
心が穏やかでいられる。

『がんばらなくていい』
新しく取り込む情報は少しだけでいい。
これまで選択してきたもの、すでに身につけていることを見直して、
これまでとは視点を変えた新鮮な組み合わせで十分に使いこなしていけば、
他にはマネできないものに成長する。

『100年もの長い時間』
絵に置き換えられているものは日常の中の一瞬のきらめき。
そのきらめきにルノワールが気づいたからこそ絵が生まれた。
ピエール=オギュスト・ルノワールが描かなければ、
その一瞬のきらめきを私達が観ることはなかった。

ルノワール

『世の中のほとんどがコピー&ペースト』
だから、自分で考える。惑わせられないために
自分の視点、判断に自信を持つために感覚を磨くことが大切。
自分が好きなことを楽しむことで、感覚を磨ける。

『怖がりは、恐怖の本質にたどり着いている』
弱虫は、強さを知っている。
勝敗にこだわらない人は、競争のない世界を造ることができる。
自分を大切にする人は、周りの人も大切に想う。

『好きになったとき』
その意味なんて関係なかったバベルの塔。
この絵を初めて観たのは小学校の教科書。壮大で、日常と幻想のハイブリットなので速攻でわくわくした。 横山光輝作『バビル2世』で親近感もあったので一目でその世界観の虜にされた。

ブリューゲル

『帰宅をすると』
「おかえりなさい。お仕事の匂いがする」と玄関まで出てきてくれて
「おやすみなさい」と寝る前に声をかけてくれて
いつも疲れを癒してくれる息子。
「お便りがきた」とトイレに駆け込み、「大自然と友達になりたい」
と言っていた息子が
今日、小学校を卒業式した。
素直に育ったな~

『名探偵のモデルは医者』
卓越した観察力で面識のない外来患者の症状や習慣、趣味や職業までも 立て板に水を流すような話し方で言い当てていた外科教授ジョセフ・ビル博士。
この業に医学生だったアーサー・コナン・ドイルは魅了されていた。
この博士が「名探偵シャーロック・ホームズ」のモデル。

名探偵シャーロック・ホームズ

『何者にもこびないで生きている』
聡明で文化レベルの高い人たちがたくさんいる。
中央やトップにいると思い込んでいる人ほど
そのことに気づいていない。
田舎や自然、現場で生きる人たちの中に入り、
現実を直視することで、それが分かる。

『過去の後悔も将来への不安も』
自分だけの勝手な思い込みの評価。
周りには今、行動している姿しか見えない。
今、やっていることしか説得力がない。
今、やれることがすべて。後悔は必要ない、
将来への漠然とした不安も大半は思いこみ。
がんばるな。
今、自分のできることをやっていれば上等。

『些細なことへの気づきで、美を創造できる』
本人が捉えている自分の印象と他人が捉えている印象とは違う。
内面から磨いていく美しさ、魅力がある。
文化に触れることで、物事や自身の捉え方まで繊細になり
見えていなかったことに気づきだす。
自分自身の捉え方が変わるだけで、美しくなれる。

『墓地の孤児』 ドラクロア

『磨かれた感覚が』
幸せを感じられる力になる。
誰もがやっていること、できることでも
自分らしい新鮮な組み合わせで
相対性を実感し、充実した時間を過ごせる。
自分という人間は自分だけ、自分らしく流れる時間がある。

『実家の庭』 2003年 文田聖二

『誰かの出した答えを目指す必要はない』
答えはいつも自分で創造していくもの。
過去に惑わされず、明るい未来を思い、今を活かす。
分かりやすく、素直な答えがいい。



『わからない、間違うことは恥ではない』
夢の途中、わかっているふり、できるふりでも
努力しているのであればそれでいい。
いつでも、周りが動きやすくなることを考えて行動できる人は賢い。
尊敬できる。

『印象がいい人』
人との接し方、物の扱い方、任されたこと、話の聞き方、捉え方、考え方
すべてにおいて丁寧。
信頼できる人は、何事も一生懸命、責任をとる、人を信じている、情熱がある。
相手を認められる人は、自分に自信が持てるようになる。

『好きなことが才能』
続けられることが実力。癖は魅力。

『もう亡くなってしまったが』
大好きだった叔父の笑い声と笑顔をずっと覚えている。
そんな叔父の口癖が「上等、上等、偉いなあ」、
いつも人を褒めていた。
母方の7人兄弟の長男で戦時中に幼い兄弟たちを抱えて満州から帰国し、
その後も兄弟の世話をしながら大変な苦労をしてきた強くて優しい大人。

『車の運転中に』
信号機のない横断歩道に子どもとママさんが
横断しようとしていたので停車したら、
子供が手を上げてママさんがお辞儀をしながら足早に渡っていった。
ごく当たり前の風景だが、助手席の妻が
「お辞儀をして渡るのって日本人だけで、外国の人は驚くらしいよ。」と
日本人って、いいね。

Chapter8 自分を褒めて見直す

2017年10月08日 10時54分58秒 | 日記
Chapter8 自分を褒めて見直す
手段・持続(スキル:他者への説得力)
 「イメージを表現できる方法、テンションが上がる行為、性分」



 アートの授業で、「どんなアートをしたいですか?」という問いに対して、「写真、絵画、映画、彫刻…がしたい。」など、ほとんどの学生が「イメージ・モチベーション」ではなく「限定された制作手段」を答えてしまいます。「どんなことがしたいですか?」と質問をかえると「冒険がしたい。日頃訪れない場所を探索したい。`基地`をつくりたい。物語をつくりたい。話題のもの、場所を調査したい。何かの役に立ちたい…」などの返答が出てきます。それこそアートの活躍の場になっていくはずなのに答えた本人にそんな認識がない。
以前、パリ在住のアーティストたちと現代美術交流としてパリ市内に滞在(アーティスト・イン・レジデンス)し彼らと生活を共にしました。そのときに彼らの生活と密着した美術意識、社会でのアートの重要性、アーティストの存在の必要性、一般市民の芸術への理解や関心の高さを体感しました。日本では、芸術教育の影響なのか、芸術に対する認識の浅さの現れなのか、一般的に芸術の鑑賞や表現の幅を限定し、しかも「表現手段」は音楽、写真、絵画、映画、彫刻 といったものの枠内で考えてしまう人がたくさんいます。ガーデニングも料理、手紙、手編みのセーターも遊びで造った土だんご、砂の城、壁の落書き、収納など日常の中に「デザイン&アート」が溢れています。
例えば、散歩は日常的な行為だが、何か明瞭な「イメージ・モチベーション」あるいは「衝動」をもった場合、それは「表現(パフォーマンス)」となりえるでしょう。私たちは生活を営むことですでに「デザイン&アート」に関わっているのです。あなたがやりたいと考えていること(衝動)が「デザイン&アート」の表現になりえるのです。
 「デザイン&アート」とはそれを表現する手段のことではないと述べてきましたが例外的な見方ができる場合もあります。例えば「無形文化財」に指定されている「技」などがそうです。「技」そのものが芸術といえることがあります。旅行にしても人とのコミュニケーション方法にしても目的達成(結果)を優先すれば、その手段(過程)は重要ではない。しかし、その過程(工程)にこだわるとしたら、その選択した工程そのものが「芸術」となるのだろう。なぜなら、たくさんの工程を重ねて制作される「漆塗り」などは日本の伝統工芸の「職人技」自体が芸術となる行為(表現)といえるからである。
 では、デザイン&アートの「手段」は何を選べばいいのだろうか?結論をいえば「衝動」に素直になればいいのだが、その「素直になる」ことがけっこう困難なのである。「パートナー」みたいなもので、その選択は難しい。出会い(運命的なもの)もあれば、目的達成のために相性の合うものを探し吟味して選択する必要があるのかもしれない。いづれにしても常に自分が自然体で素直に振る舞えることが大切で、更にあきないで続けるほどにテンションが上がっていくものを選べるといいのだろう。ありがちですが、最初から道具や手法、技法にとらわれない方がいいでしょう。そのためには、まず自分自身を「知る」必要があります。「自分」とはどんな存在で、どんな習性をもった「生きもの(表現者)」なのかがわからないと相性の合った「手段」はみつかりません。また、自分を知る様にその「手段」のことも末永く”共存”していくために少しは知っておく必要があるでしょう。その「手段」があなたの「パートナー」になったとしたら、生涯を通じてきっと心強い存在になってくれるはずです。

“自分を褒めて見直す”のつぶやき

2017年10月08日 10時34分16秒 | 日記
“自分を褒めて見直す”のつぶやき
 

美の追求ではなかった古代エジプトの伝える絵。 一見、稚拙な表現にみえるが、生物学者が納得するほど正確な特徴が描かれていて 生息を証明する重要な資料になっている。 古代から絵を描くことは日常的な伝達手段、記録手段として活用されていた。


絵を描くことは、脳を活性化させるための手先の運動と考えた方がいい。体を動かした方が喋りやすかったり、考えがまとまったりする。絵を描くことで手先と脳とが連動して活発に機能していき、 新鮮な発想が浮かぶ脳のストレッチになる。

静謐、郷愁、謎、幻惑、困惑、不安など、かたちがないものを初めて絵に描いたシュルレアリスムの画家ジョルジョ・デ・キリコ。 「時計は、正午に比較的近い時刻を示しているのに影がひどく長い」 「走る汽車の煙はまっすぐ上に向かっている」

古典絵画は下地があって ベース、中間層、描画層といくつかの層に分かれている。それぞれの層(段階)で対象物(モチーフ)の観方(視点)が変ってくる。 デッサンも例外ではなく 光と影、グラデーション(色調、色幅)、質感、奥行、立体感(ボリューム)をつくるとき、いくつかの層を重ねていく。


日々の絵日記。未発表コラージュ作品集 コラージュ(仏: 英: collage)とは現代絵画の技法の1つ。 フランス語の「糊付け」を意味する言葉。

法王も高貴な僧侶も紫色をまとう。黄色は中国で最も高貴、アメリカではゴールドラッシュ、キリスト教では裏切り(ユダ)の色。世界的に勝負色は赤。青は貴重で誠実な色。日本では青、アメリカでは黄色のパッケージが売れる。欧米では赤い絵が売れる。

世界の中で、日本人は絵が上手い民族。 日本文学も俳句もビジュアル的な言語。 生け花も茶道もビジュアル的な文化。 日本の文化は映像文化。 日本人はビジュアル人間。 ビジュアルを巧みに操る民族。 だから日本アニメや漫画は世界から支持される。 そのDNAをもっと教育や仕事に活かすべき。

オフィーリア 背景に描写される草花には象徴的な意味が込められている。 ヤナギは見捨てられた愛、イラクサは苦悩、ヒナギクは無垢、パンジーは愛の虚しさ、首飾りのスミレは誠実・純潔・夭折(ようせつ:若死に)、ケシの花は死を意味している。


人を信用できない人は悲しい。 自分だけでやろうとするから不安になる。 イライラ、いつも不安で心が穏やかでない人は、人を信頼できない人。 すべてにおいて勝る必要はない。自分がやるべきことをしっかり責任を取って 周りの人の力を褒めて、みんなの力に頼ればいい。認める勇気を持とう。

息詰まったら全く違うことに切り替えることで、脳が解放される。 次々と新しい視点で美術作品を生み出し 天才と呼ばれたピカソのアトリエには いつも表現手段の違う絵画、彫刻、陶芸など制作途中の作品が並べられていた。一つの制作に執着しないことで、いつも新鮮な目でそれぞれに集中できていた。

探すのではなく、気づいていく。 すり込むのではなく、引き出す。 要求するのではなく、提供していく。 自分の想いだけを押し付けるのではなく、 相手の想いも受け入れる姿勢に信頼感が生まれる。

西洋絵画の色ルール 赤=慈愛・殉教・権力 黄=異端者・邪悪さ 白=純潔・無垢 黒=禁欲・死 緑=希望・恋 青=誠実さ・悲しみ 多色、縞=社会の規範を乱す者


絵は、見えないものまで可視化することができる。 「リュートは聴覚、パンは味覚、巾着は触覚、花は嗅覚、鏡は視覚」 モチーフのそれぞれが人の感覚機能のメタファー、目には見えない五感を象徴して描かれている。 バロック時代の静物画は、物の意味の要素が濃く 人生の寓意画として描かれている


絵や音楽、言葉を使う最大の目的は、人の心に開放感をあたえること。 思い込みに縛られないように新鮮な情報を伝え続ける お互いを理解して、自分らしく生きるためには 絵や音楽、言葉の文化交流が必要。

感覚や創造性を磨くことが現代社会で見直されてきている。 「デッサン力」があるということは絵の上手い下手の違いではなく 情報を収集する力や伝達する能力 物事の本質や構造を見極められること 構想している計画や企画を伝えられる能力のこと。

すり込むのではなく、引き出す。 要求するのではなく、提供していく。 自分の思いだけを押し付けるのではなく、 相手の思いを受け取る姿勢に信頼感が生まれる。

最も小さく描かれているのは子供ではなく、奴隷。 古代エジプト壁画では、身分が高いほど大きく描かなくてはいけないといった三千年のルールがあった。


クロッキー制作の参考になるワイズ・バッシュ。 この人は銅版画での表現などドローイング作家と言えるアーティストで、オーケストラの演奏者など動きのあるものをモチーフとしている。 クロッキーは短時間に人や動物の動きや特徴を捉え描くこと。


感覚や創造性を磨くことが現代社会で見直されてきている。 「デッサン力」があるということは絵の上手い下手の違いではなく 情報を収集する力や伝達する能力 物事の本質や構造を見極められること 構想している計画や企画を伝えられる能力のこと。

絵は、脳を活性化させるための手先の運動と考えた方がいい。 体を動かした方が喋りやすかったり、考えがまとまったりする。 デッサンは本番に失敗しないための練習ではない。 手先を動かした方が、脳が活発に働いて新鮮なアイデアも浮かぶ。 アイデアを絵に描くことで、具体的になり行動できる。

脳や身体を最も成長させる体験。創作することは一気に色んな感覚を連携して使う。真実は教えられるものではなく、体験することでしか理解できない。
闇の色 「色は光によって見える。」といったニュートンにとって、闇とは単なる光の欠如。ゲーテにとって、光と共に色彩現象の両極をになう重要な要素として、闇がある。 光と闇の中間にある「くもり」の中で色彩は成立するとゲーテは論述している。


「色は光によってみえる」 現在、主流の色彩学は物理学者ニュートンが実証した。 その後、バウハウスのヨハネス・イッテンがまとめた色彩論が有名。対立して ゲーテは「闇にも色がある」と経験や感情、精神の視点から研究した色の理論が 面白い。

新鮮に感じたり、元気をもらえたりするものは正しい。当たり前すぎて、見過ごしている奇跡を拾い集めてかたちにしている人たちがクリエイター。埋もれている情報を新しい視点で組み合わせて価値転換を起こしている。活かし方で無駄なものはなくなる。

文化に触れることは簡単。 競争で勝ち抜くことが文化ではない。 特別な優遇もなく、お金を使わなくても らしいこと、好きなこと、楽しいこと、大切と思えることで 日々、暮らしていけることが、どれだけ幸せなことかを 気づくために文化がある。

毎日を新鮮に向かえること。 脳や身体を最も進化させるのは創造性。見つけた物や気づいた事を絵にしたり文字にしたりする創造は、一気に色んな感覚や体の機能を連携して使う。 どんな仕事だって、脳と体の連動と新しい視点や考え方の展開が必要。
時代、文化圏は違っても安定感に関しては、共通しているらしい。 日本の金閣寺もギリシャのパルテノン神殿も黄金比率。 北斎、モナ リザ、ミロのビィーナス、ピラミッド…、


『最後の晩餐 』 ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に 描かれている一点透視図法を完璧に実証している絵。 その消失点であるキリストのこめかみには穴が空いている。 ダ・ヴィンチはこの穴からひもを引っ張り作図した。

本質を見抜くための必要最低限の基本技能(絵画技法だけではなく)は、エッジ・スペース・相互関係・光と影・形態(ゲシュタルト)の5つ。だから絵を描くことは世の中の物事を読み解く能力を磨くことに繋がっていく。


ピカソが、幾つかの作品を並行して制作する習慣を見習って 掃除のやり方を変えてみた。 気になっていた工具箱とチェストの引き出しの整理、 ベランダの掃除とPCデータ整理と一つのことに執着しないで 整理のアイデアが行き詰まったら別の整理に移る。 なるほど、新鮮な発想と集中力が持続した。

色は光によってみえる」 現在、主流の色彩学は物理学者ニュートンが実証した。
その後、バウハウスのヨハネス・イッテンがまとめた色彩論が有名。対立して ゲーテは「闇にも色がある」と経験や感情、精神の視点から研究した色の理論が 面白い。

手紙の匂い。
メールと手紙とは、使う感覚が違う。 ールよりもアナログの手紙の方が、五感を使っていたことを思い出す。 手紙を開くときの音、読むときに指先で感じる紙の質感と匂い、目に飛び込んでくる手書きの文字や便箋の印象。 五感を使うことの脳や体へ及ぼす、良い効果が実証されてきた。

誰でもできることで自然治癒力をアップ
「早起きする」「日光をたくさん浴びる」「体を温める」「誰かと比べない」「よく観る」「続ける=成長する=繰り返しではない」「大きなことより、小さなことを大切にする」。

鉛筆で絵を描く。鉛筆の芯は「濃い~うすい」ではなく「硬い~柔らかい」。グラファイト(黒鉛)と媒体(粘土)との割合で芯の硬さが変わり、太さも違う。 鉛筆デッサンは、芯の硬さの違いを用途に合わせて使い分けると良い。筆圧も意識すると良い。

印象派絵画の色が輝いているわけ。筆で絵具を引っ張らずにのせている(塗るのではなく置いている感覚)。パレットの上で混色しすぎないでキャンバスの上で重ねながら色を造っているので純色に近い発色を保っている。光と色にこだわっていた絵描き技。

手紙もそうだが、描く絵にはその人の気持ちが表れる。 誰かのために絵を描くことは、思いを伝えるために意外なほど効果がある。 本人が気にするほど上手さ(技巧)はそれほど問題ではなく、 言葉で説明するよりも親切に感じる。 自分のために手描きの絵を描いてもらったら 想像以上に嬉しいもの。

西洋は光と影にこだわり、その表現に幅がある。画家が魅力的な光と色で風景を絵に描くのは技法によるものだけでなく実際に観えている。 西洋では日が暮れてもなかなか明かりをつけない。薄明りの中で過ごす時間が多い人ほど明暗の感度が敏感になる。

画力とは決して「写実力・描写力」の範囲に止まるものではなく、 むしろ「リサーチ力・構築力・伝達力」といえる。 この能力は、デザイン・アート系の特殊な職業だけではなく、 日常生活や一般的なすべての仕事にも必要で大切なスキルといえる。
見上げさせるための彫刻。 巨匠ミケランジェロ作 ダヴィデ像。見上げる位置にセッティングすることを考え、胴体に対して顔を大きく首を長く制作し下から見た時にプロポーションが自然にみえるように造られている。遠近法は絵画だけの技法ではない。


画力とは決して「写実力・描写力」の範囲に止まるものではなく、 むしろ「リサーチ力・構築力・伝達力」といえる。 この能力は、デザイン・アート系の特殊な職業だけではなく、 日常生活や一般的なすべての仕事にも必要で大切なスキルといえる。

中二の息子が秀才の友達から勉強法を聞いて、やる気を出した! 「まずは、文字ではなく図版など画像をよく観ること。画像をよく観てから文字を読んだ方が理解もできるし記憶しやすい。この勉強法は頭が良い、悪いは関係ない。」とやる気スイッチが入ったようだ。 この時期の友達からの影響は大きい。

「色は光によってみえる」 現在、主流の色彩学は物理学者ニュートンが実証した。 その後、バウハウスのヨハネス・イッテンがまとめた色彩論が有名。対立して ゲーテは「闇にも色がある」と経験や感情、精神の視点から研究した色の理論が 面白い。

働いた方が面白い。 一人でいるよりも人の中に入った方が面倒に決まっている。
けど、後々ひとりの悩みは軽くなる。 人はコミュニケーションで活かされ生き物。
だからコミュニケーション力を磨くと人は魅力的になる。

言葉の記録
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。マザー・テレサ

芸術の本質は、人に開放感をあたえること。
思い込みによる閉塞感が人を不安や不幸にしていく。だから清流のように新鮮な情報を伝え続ける絵や音楽、違う言語の文化交流が人には必要。

「考えるのをやめる!」 脳はずっと動いている。だから意識して休ませないと疲れてしまう。
ぼ~とするだけで情報が整理され、解決の糸口まで見つかっていく。忙しく働いている時よりもボーっとしている時の方が、数倍の速度で脳が機能しているらしい。

疲れていたら、5分、10分でもとりあえず寝ることにしている。
「どうしよう?」と思うと不安になってくるから 何事も「どうしていこうかな!」と思うことにしている。
分からないことは考えて悩むのではなく、まずは調べる。 分からなかったことは知ることで、思ったより簡単なことに気がつく。

本質を見抜くための必要最低限の基本技能(絵画技法だけではなく)は、
エッジ・スペース・相互関係・光と影・形態(ゲシュタルト)の5つ。
だから絵を描くことは世の中の物事を読み解く能力を磨くことに繋がっていく。

失敗は恥ずかしくない。
その時点での間違いを発見し受け入れられた方が未来につながる
できていないことが自分の伸びしろ。できていないことの発見が成長につながる。
その時々、忘れることも大切。今日も一つ学んで一つ思い出したから、それで上等。

我が家のゴミ捨ては父親の仕事になっている。
今日は、ゴミ箱の周りを散らかしていた息子と一緒にゴミ捨てをした。
「ゴミ捨てをすれば、気づくことがある。」ことを分かってくれた。
相手の立場に立つ」口先だけの教えではなく
コミュニケーションを丁寧にとることでしか伝わらないことがある。

「デッサン」は、モチーフを単に写し取るだけの表面的な描写の作業ではない。
「デザイン」という言葉の語源と同じラテン語のdesignare(デシネーレ)。
計画を記号に示す、図案、設計図、意匠の本質を捉える意味がある。

絵(デッサン)を描くときにも「よくみる」ことが基本ですが、これは「必要な情報を見極め、的確に捉える。
物事を理解する」ということです。何かを理解するときに五感を使って知覚することは重要な役割をはたします。
これまで文明社会や学校教育でないがしろにしてきたことが現代人、現代社会に影響している。
「直観は聖なる授かりものであり、理性は誠実なる従者である。私たちは従者を敬う社会をつくり、授かりものを忘れてしまった」 byアインシュタイン

脳に備わる本当に大切な能力は「知覚・直感・創造力」

相手の思いや意見を否定するのが話し合いではない。
相手の意図も自分の意図もよく見直して、 最善の解決策を共にみつけていくのが話し合い。

いさぎよい絵
日本の絵は、漫画・日本アニメのルーツ シンプルなイラストは明快で分かりやすい。
簡単に描くということではなく無駄な線を省いている。
的確に情報を伝えられる線をみつけ最小限の必要な線だけで 印象や特徴を明快に描いている。

目的に前向きな明快な生き方。
ポテンシャルの高い人は、どうやら余計な心配や悩んでいる時間が少なく
不安な点や分からないことは迷う前にすぐ調べて、
集めた情報で洞察し予測し行動計画を設計する。
後は迷わず問題を解決するための工夫を繰り返す。


最近、荒れている海を泳いでいる感がある。
だから、うまく波の動きを捉えてスピードに乗れた時には 成長の加速を感じて、
幸せを感じられる。穏やかな海に揺られていたいけど 荒れた海も捉え方によっては、
常に新鮮な気分を楽しめて面白い。自分次第で、荒れた海でも穏やかな気持ちでいられる。

アニメーションには「命を吹き込む、活気」といった意味がある。
イラストレーションは「分かりやすくする(もの)」という意味がある。 デッサンを学ぶことで企画力、設計力、造形力、伝達力、思考力、創造力がつく。 絵本、漫画、アニメ、イラスト、写真…、ビジュアル創作にはデッサン力がいる。

デッサン力があるということは、絵の上手い下手の違いではなく情報を収集する力や伝達する能力、ものごとの構造を見極められることや構想している計画や企画を具体的に展開していく能力。 頭の中のイメージ(ビジョン)を絵に描き出す感覚を磨くことが、日常生活や一般的な仕事で見直されてきている。

何か才能や技術がないと創作、表現をすることが出来ないと勘違いをしている方がたくさんいる。絵にしても小説にしても遊びにしても大切なのは突き動かす衝動であり、その衝動を誰かに伝えたいという欲求があること。

思い出す色。 宮崎駿アニメの動き、色にはこだわりがある。色に関して言えば、特に森など風景の緑へのこだわりを感じる。緑色の色幅、色数からみてもその情報量がリアルな表現に繋がる。「リアル」とは上手い下手ということより、情報の「量と質」。

絵は、楽しみながら思考力、感覚が磨かれていく。 絵を描くことで、それまで見えなかったことが見えるようになってくるから 楽しくて、ものごとへの理解や実感が速い。 受動的にすり込まれるのではなく、能動的に気づくことで自信、実力になる。
脳や身体を最も進化させる体験。 創作することは一気に色んな感覚を連携して使う。どんな仕事だって脳と身体の連動と進化が必要。 真実は教えられるものではなく、体験することでしか理解できない。

じっくりやればいい。 よく観てテキパキと動くことと慌てて動きが雑になることとは違う。 慌てればミスをするし、ミスをすればゆっくりやるよりも時間のロスが増える。 十分によく観て感覚を研ぎ澄まして、じっくりやればいい。

花を育てたり、絵を描いたり、歌ったり、小説を書いたり、運動したり、散歩したり…、「あらゆる楽しみの根底には、感覚的知性を磨くという真面目な一面がある。」とレオナルド・ダ・ヴィンチは提唱していた。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、あらゆる楽しみの根底には「感覚的知性」を磨くといった真面目な目的があると提唱していた。本を読んだり、庭いじりをしたり、絵画を学ぶことやイラストやマンガを描くことも、そういった感性を磨く「楽しさ」のひとつ。

あたり前のこと。 1.人の話をちゃんと聞く。 2.ちゃんと話を聞き取り、誤解をしない。 3.頭の中でよく咀嚼して、ちゃんと整理する。 4.相手には分かりやすく誤解のないように話す。 あたり前のことができないと孤立する。


いっぺんにたくさんできることが偉いわけではない。 「今日はこれができたから、それでいい」「明日はこれだけやればいい」。 一日、何かやりたかったことを一つでもできれば、それで上等。 一つ一つ実現していくことが大事。

音楽を聴いたり楽しんだり、 絵を描いたり観に行ったり、 詩や庭を造ったり、 寄席で笑ったり、 本を読んだりする時間やお金を無駄と思う方がいますが、 人は文化的なことから 本当に満足するもの、望んでいることを手に入れています。

イギリスでは、招待客をスマートに中へ招待するためにドアが内側に開く。 日本では、心理的な区別をするから外側もしくは横にスライドする。親しい人は靴を脱いで家に上がるのは、玄関先はまだ外と同じ扱いにしているため。
豪よりも柔。 実は、可愛いらしい、かよわい、幼い…が最強。 敵意ではなく、好意を引き出す力がある。 強引に支配しようとする力より愛嬌で包み込み良心を引き出す力は凄い。


三千年続いた古代エジプトのアート ・理解するための表現(knowledge=art) ・幾何学性が強い ・ディテールへのこだわり ・正確性 ・規則性(パターン化) その時代の人が造りだしたものすべてがアート。 だからアートから、その時代の人がみえてくる。

過去に向かうな、未来に向かって 今を生きていく。 現実を直視し、新鮮な想いを具現化していくクリエイターは 心が開放され、明るい希望に向かっている。だから美術館や画廊でクリエイターが創造してきたものたちに触れるだけで 心が開放され、優しくなれたり強い気持ちになれたりする。

思い通りに物事が進まないことを 周りの人や物、環境のせいにしていると 不満やイライラがループして前進できない。 できないことや分からないことは 人に頼ってもいい。 その場、その時で自分にできることは責任をもって丁寧にやれば 自分の中に目標が生まれ 不満やイライラの要因はなくなる。


「永遠」という言葉を最も好んだ民族といわれる古代エジプト人は、死後の世界に対して独特の関心を持っていた。かれらの死後の世界を描いたのが「死者の書」。のちのユダヤ教、キリスト教の「最後の審判」に影響をあたえた。

文化的な日常を過ごす。 心が満たされる生活とは、 高いお金を使って物質的な贅沢をすることではなく、 いつでもどこでも 心の贅沢ができる感覚が、 いつの間にか磨かれていく日常を過ごせていること。 本当にほしいもの、求めているものは、文化的な日常で身につけられる。

自分の選んだことを信じて いやなことから全力で逃げろ。 いやなことを我慢する必要はなく 嫌いなことや自分を傷つける人に合わせる必要もない。 選択肢を狭める人に惑わされないようにする。 誰にでもたくさんの選択肢がある。

絵を描くことは過酷な修行ではない。楽しみ(感覚的知性)を磨くこと。 基礎から順番に長い時間をかけて学んでいくのではなく、自分の目的に合わせて必要なアプリを集めていく感覚でアートのファンダメンタル(基本要素)を組み合わせていくとよい。

忘れていたこと。 小学生の頃、クラスの男女全員ひとり一人に毎回、絵を描いて暑中見舞いと年賀状を送っていた。それが普通だと思って絵を描いていた。そのせいかわからないが学校生活が楽しくて、辛いことはあったが嫌いな人がいなかった。

光と影の魅力に引き付けられ開花した画家 絵画で光と影の演出革命を起こしたカラヴァッジョ 17歳で天涯孤独の身となりローマへ出た。その後、絵の修行。激しい気性が災い罪を犯し逃亡先でも絵を描き続けたが37歳で亡くなった。絵も人生も劇的!

映像の起源ともいえる壁画。紀元前3万年 古代壁画(ショーヴェ)。 壁際のたいまつの火が揺れるとでこぼこの壁面に描かれた動物の絵が動いているような錯覚を起こさせる。映像技術のアイデアをすでに古代人は発想していた。

デッサンを描くことで必要な観察眼とは表面的な描写力だけではなく、 対象となるものごとの構造やその周りからの影響を読み解き、理解する力である。 このリサーチ力、思考力、伝達力は絵を描くことにとどまらず、 様々な仕事にも必要とされる。

アインシュタインが残した言葉
「直観は聖なる授かりものであり、理性は誠実なる従者である。私たちは従者を敬う社会をつくり、授かりものを忘れてしまった」 人の脳に備わる本当に大切な能力、知覚・直感・創造力を 近代社会や学校教育でないがしろにしてきたことが現代人、社会に影響している。


考えないで、感じる。 時間が空くとベランダで外の日差しと匂い、音、空気を感じて、ぼ~とする。 自宅の落ち着く場所で、聞こえてくる心地よい生活音や好きな音楽などを 楽しみながら五感(視覚・嗅覚・聴覚・味覚・触覚)を集中する。 考え事をしないで、ただただ五感を機能させる時間を過ごす。

「手助けが必要な人の力になること」 のために自分の仕事が使えるといいと思えるといい。 たくさんの人が困っていることを何とかできる人が、 幸せもの。

絵を描くことで、それまで観えなかったことが観えるようになってくるから 楽しくて、ものごとへの理解や実感が速い。 受動的にすり込まれるのではなく能動的に気づくことで自信、実力になる。 料理、絵、小説などの創作やスポーツ、好きなことをすることは楽しみながら思考力、感覚が磨かれていく。

「色は光によってみえる」 現在、主流の色彩学は物理学者ニュートンが実証した。 その後、バウハウスのヨハネス・イッテンがまとめた色彩論が有名。対立して ゲーテは「闇にも色がある」と経験や感情、精神の視点から研究した色の理論が 面白い。

自分で考える。 お茶を飲み比べて楽しんでいただけの文化を「身分を超えて、おいしいお茶を飲んでもらいたい。」そのためにどうしたらいいのかを考えた千利休は茶道を創り 必然的に茶室まで造営した。 誰かの強い想いがイノベーションを起こす。

顔の表情があまりないギリシャ彫刻 これは古代ギリシャ人の 『人間的感情を公で出すのは野蛮である』の考えに基づくもの。 日本でも平安貴族と鎌倉武士それぞれの考えの違いで彫刻の表情が全く違う。 どの時代も人の考え、思いを伝えている。

『正解のない問題に対して』
直視し行動した経験の多い人は、
意識や考え方の違う他者と共に協力し合いながら、
また相手を尊重しながら 解決策を導き出すことができる。
この力が、デザイン力。

『灯りを変えただけで環境が変わる』
火にちかい光は、心も体もリセットできる。
薄明りの方が考え事に向いている。
たき火は落ち着く。
キャンプの夜は火があるだけでいい。

『考え事は絵を描きながらの方がいい』
絵を描くと頭がクリアーになる。
頭の中のイメージを実際に紙面に描き、
視覚で確認していった方がイメージを具体化できる。
発想も具体的に展開していきやすくなるので
理想の現実に近付けていくことができる。

『すべての仕事は行きつくところ』
人や地球のためにデザインをしているといえる。
デザインとは、
表面的な見栄えや漠然とした美しい理想を追い求めることだけではなく
望まれていることや困っていることに直視して、
具体的に問題を解決していくこと。

『あれもできないし、これもできない』
と勝手に思い込む。実は
「これもできるし、あれもできるようになっている」
と見直して 今の自分も相手も褒めてあげた方が、
上を向いて前進できる。

『古代ギリシャ人は』
人の心を動かす本質を真剣に考えていた。美の基本は、
心身の動揺を伴うような強い感動をどれくらい与えられるかにあった。
その頃は表現にアートといった学術的な縛りはなく、
教育や学問、すべての目的が共通して
人類にemotionを与えることだった。

『表現=メタファー』
表現力とは、漠然とした曖昧なものではなく、思いやテーマ(モチーフ)を効果的にメタファー(隠喩)し
その本質を的確に伝える力。

『辛いことを楽しめ!は酷』
嫌いなことを好きになることもできないが
積極的な「面倒くさい」は「やりがい」に代わる。
面倒が起らないように面倒くさいことをやっておくことと
面倒が起きてから面倒くさいことをやらされることとは違う。
真摯に取り組んだ面倒なことは、いずれ自分の味方になる。

『本当の自分であれば』
誰かのため、大切なものを守れる主人公になれる。
惑わされないようにすれば、誰でも主人公でいられる。 主人公のチカラは凄い。 惑わされないようによく観る能力を身につける。 日常、普通と思うこと、身近なものを見直す。 誰でもできる「よく観る」ことからはじめる。

Epilogue 価値の突破

2017年10月08日 10時24分40秒 | 日記
Epilogue 価値の突破
「数字にできないことに新しい価値がある」


企業研修・社会人講座で美術指導をする講師業を生活の糧として、家族を守るための日常すべてを創作としている 芸術家=実生活者。 社会では、今を生きるための効率性と未来に生き続けるための創造性の両輪が 必要だが、これまで効率性を重視した技術革新やシステム開発によって、 組織も個人も本質を見抜けなくなり、未来の目標を見失いかけている。 だからこそ、社会を動かしてきた『効率性と創造性』のバランスを見直し、 新しい価値を見出していくためのチカラが必要とされている。 「環境の変化と共に新しい価値を創造していくこと」 この創作は、日常に潜んでいる煌めき、アフォーダンスを五感で捉えた本質情報『記憶と記録』を空間造形として視覚化し体感(ブレイクスルー感覚)する。

創造力は、教育、医療、スポーツ、科学、政治などすべての分野においてその威力をまだまだ一般的にひろく発揮できると感じています。
その威力、効果の中にバランスの崩れた環境によってアイデンティティーを見失いかけた人の精神状態を修復し和らげる作用もあります。物事を遂行するための最良のシステムを解明できる可能性も秘めています。
「デッサン」で学んだことをアート&デザインの専門分野にとどめず、ビジネスや人生の営みに関わる様々な場面で活用されることを強く望んでいます。