今から17年前、考古学上の大事件=旧石器捏造事件が発覚しました。
これは捏造だったことがわかったのです。発掘調査に携わっていた考古
ずーと昔のこと、網走管内の知人からたくさんの遺物をもらいました。
ある日、私が考古学に興味・関心があるとの話題から、自分の家に矢じ
りや土器片・石斧がたくさんあるのでもらってくれるのならあげるーと。
翌日、無造作に木の箱にガサッと入れ、しかも自転車の荷台に載せてー。
彼の両親は、ある湖畔近くの畑作農家で、祖父母が開墾した土地の中から
遺物がザクザク!出てきて邪魔になるほどとのことです。それでも、先住
民の遺物であるので、何か役に立つかーと、納屋に保管していたのですが
持て余していたとのこと。これまた私としては願ったりでのことでした。
今回は、まずポイントと矢じりを紹介します。
矢じり・ポイントなど
ポイント(尖頭器)と矢じり
ポイント(尖頭器)
➊これは形・大きさとも、完全形の見事なポイント(尖頭器)です。
厚0.82cm、3.83×12.35/36.4g。 Q;何に使っていたのかな?
A;動物を突き刺すために、槍の先端に付けて使っていたようです。
このポイントは、シンメトリーでバランスがとれ美しい形をしています。
➋これもポイントですが、先端が破損していて、途中で折れたものです。
厚1.14cm、4.25×10.23/55.9g。この厚さは、①の2倍近くもあり、先が
1cm程欠けている部分+Rの延長線を伸ばしてみると、15cm前後の大き
さかな?。このポイントなら、熊やエゾシカなどの狩りに使えたかもー。
❸これも、ポイントの破損した一部です。当然➋の片割れか!?と思いましたが、
➋は縦の筋が入り所々茶色の斑点が見られますが、❸は純度のイイ黒曜石です。
厚0.99cm、4.25×6.78/37.0g。完全形のときは、長さが15cm前後かなー?
他にもにたくさんあると言っていたので、そちらに混ざっていたのかもーと。
矢じり
❹右の先端が少し欠けていますが、やや大き目の矢じりのほぼ完全形です。
厚0.63、2.27×10.00/13.5g。一番細長い形で、私のお気に入りの一つです。
この大きさの矢じりで、どれだけの破壊力があったのか、と想像しました。
❺右の先端と矢の広がっている部分が破損している矢じりです。
厚1.04、4.56×8.96/33.8g。破損したのは扱いが悪かったのだろうか。
それとも使っている時破損したのか。少し丈夫そうなので実戦的かな!?。
❻どちらが先端か、チョット迷いがありましたが、右かなーと。
厚1.18、3.24×9.53/30.0g。矢じりを固定すると実質5cm前後かな?。
❼これも両方とも鋭いのでどちらが先端か迷います。右かナとー。
厚0.91cm、2.80×7.17/14.9g。青く見えるのは黒曜石の中の色です。 ❽黒曜石の欠片の特徴を見ながら、あまり手を加えないで作った矢じり。
ほぼ完全形のふっくらとした感じです。厚0.74、3.15×8.11/23.5g。
❾少し欠けているところがありますが、シンメトリーでない矢じり。
命中率は悪かったのでないかと思います。厚1.12cm、4.45×8.85/29.9g。
❿これもバランスの悪い矢じりです。矢じりを縛り付ける部分
がくぼんでいるのが特徴です。厚0.80cm、3.51×8.13/24.6g。 ⓫小さいけれど丈夫そうで、きれいな紡錘形をした矢じりです。
バランスがよく、命中率も高かったかも。厚0.63cm、2.69×5.77/12.5g。
⓬これも紡錘形をした矢じりですが、黒曜石の質がよくありません。
ざらざら凸凹した感じです。厚0.71cm、2.65×5.59/10.3g。
⓭これは、両端が破損しています。また、少しカーブしています。
別の用途として使われたのかも知れません。厚1.0cm、2.0×9.2/21.4g。
⓮十分手を加えて作っていますが、全体にカーブしている矢じりです。
近距離は問題ありませんがー。厚10.18cm、3.03×9.95/26.1g。
⓯黒曜石に赤茶色の色の付いたものです。当時も希少価値!で、
人気があったかも知れません。厚0.91cm、2.93×7.84/19.0g。
⓰これはどちらが先端がわかりません。黒曜石全体が赤茶色です。
イイ感じの色合いですがー。厚0.73cm、3.54×8.00/18.3g。
⓱これは赤っぽく+灰色っぽく見える黒曜石で作られたものです。
表面が浸食された感じです。厚1.05cm、3.22×7.72/33.6g。
これらのポイントや矢じりは、良質な黒曜石が使われています。
この近郊で黒曜石が出るところは、前述した遠軽町の「白滝」です。
このエリアには、土器のない旧石器時代の遺跡が発掘されています。
私がもらった遺物は類似点がありますが、時代としては新しい物です。
先住民は、この白滝の黒曜石を使ってきたことは、白滝の先住民と
何らかの交流があったものと思います。例えば、白滝人!は、オホーツ
ク沿岸くに住む人たちと塩と黒曜石と交換していたのかも知れません。
一方、現場で制作したものか、原石を持ち帰って作ったのかも不明です。
原石を持ち帰って作ったのなら、その加工場の跡があるかもー。
それにしても、原石は、重くて大変なことです。その輸送手段は?
「埋蔵物文化財保護法」について
”厳密に「埋蔵文化財」といった場合、土地に埋蔵されている
文化財としての価値が認められる遺構と、
文化財としての価値が推定される「埋蔵物」として
の遺物のことを指しており、~”と。
この法律は、遺跡が出たので個人で勝手 に発掘したり、工事現場
で遺跡が出たのがわかっても、工期が遅れるためそのまま工事を続
けてめちゃくちゃにさせないための法律だと認識していました。
例えば、土地に埋まってなく、土地の表面にあった遺物を拾った場
合も届けなくてはならないのかなーと。ある人は、「土地に埋蔵され
ている」とあるのでそれはイイのでないかといいます。さて!?ー。
土器片も沢山もらいました。だんだん整理して現在は顕著な文様の2種
類になりました。開拓に携わった当時のほとんどの農家の人たちにとっ
ては、遺跡は価値のないことで、開墾作業を進めていったことでしょう。
もしかしたら、現地では完全形も出土したのかも知れませんが、もらっ
たものは破片状態のものばかりで復元することができないほどでした。
土器片など
①縄文式土器or続縄文式土器の感じです。厚0.66cm。
②擦文文化か。同じ場所に出るとは…?。厚0.68cm。右端;厚0.86cm。
❸これは、軟質の砂岩を縦に2つに割り、両側に細工をしてある様子
から漁に使う網の重りに使ったものかなーと想像しましたが。
新しいものかも。大きさ;厚1.90cm、4.70×10.37/99.3g。
下記の年表は前述しましたが、これらの遺跡はどの時代のものでしょうか?
消去法としては、鉄器を使っていたアイヌ文化以前のもの、土器を使ってい
たのですから旧石器文化時代以降と考えられます。非常に漠然としています。
後は、今まで発掘された時代が特定された遺跡と対比し、その特徴
から推測することになりましょう。そういう意味で、これらの遺跡は、
出土した場所、地層、周囲の環境などが不明であるので、その考古学な
価値は半減します。さらには、住居跡とか貝塚、墓などによりその当時
の人たちの生活の様子がより分析されていくのですがー。
埋蔵文化財保護法について(続)
河原や畑で拾った遺物を届ける必要があるのか、確かめる機会がありました。
一つのきっかけは、過日、町内にある子供たちがよく遊んでいる公園に
携帯電話の落とし物が私の家に届き、近くの交番に届けることにしました。
手続きを終えた後、「埋蔵文化財保護法」について聞いてみました。
若いおまわりさんでしたが、拾得物の視点から、河原で拾った
ものであればOKだが、人が所有している土地で拾ったのならその
家の人の許可を得なければならないーとか、一般的な話でした。
その後、北海道埋蔵文化財センターに尋ねてみました。担当係は、交番
で聞いた同じような答弁でした。河原で拾ったり、保護法ができた以前
のものであったり、表面的な収集では問題にならないとの話でしたが、
はっきりしたことはいいません。あまり重要視していないようです。
得体の知れない?ものを持ち込まれても困るのかな?と感じたりー。
今回は、知人からもらった石斧(せきふ)の話題です。
以下の14点は、同じ場所から出土したものとは限りません。そのため、
地表で採集した遺物は、学術的に信憑性がなくなってしまいます。しかし、
個々の石斧は、機能的で、芸術品そのもの!と、いつも感心していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/4f/5247961aee3aee8540f6c9aba106af29.jpg)
これらは、石を打ち欠いただけの石器=「打製石器」でなく、更に磨き上げた石
器=磨製石器です。多くは、非常に見事に磨き上げられ、刃先も鋭く、文化度
の高さが推察できます。これらは、柄を付けて石斧として使ったり、手で握っ
て使う=握斧(あくふ)=ハンドアックスとして使われていたことでしょう。
(4) 石斧
➊石斧 厚2.0、6.7×19.3/494.0g
➊石斧 厚1.7、6.1×16.5/310g
❸石斧 厚2.3、4.1×15.3/267.5g
➊石斧 厚1.5、4.8×114.2/201.5g
❺石斧 厚1.3、3.5×13.7/120.0g
❻石斧 厚2.4、4.7×16.5/319.0g
❼石斧 厚1.0、3.7×10.5/67.5g
❽石斧 厚1.4、4.3×9.6/104.0g
❾石斧 厚1.1、4.5×10.0/80.5g
❿石斧 厚1.1、4.1×10.6/75.5g
⓫石斧 厚1.3、3.2×6.8/52.5g
⑫石斧 厚0.5、2.8×6.7/18.0g
⓭石斧 厚2.7、3.4×11.3/187.0g
⓮石斧 厚1.6、5.4×14.1/202.0g
人類が初めて道具として使ったのは、手で持てる適当な大きさの石でしょう。
それも手で握って使えるように加工することに気づき、だんだん鋭い殺傷力の
高い、しかもバランスのとれた洗練された形に変化したことが考えられます。
材質は、硬質な硯の原料になるような粘板岩?と思われるものが多いようで
す。しかも、多くはよく研磨されていて、刃の部分が鋭く削られています。
資料館で、芦別市の自然や歴史、文化などをテーマとています。
展示室は、「スタードーム~ようこそ星の降る里へ」、
「豊かな自然と動植物」、「先住民の文化」、「開拓移民の歴史」、
「産業の歴史」、「芦別と文学」の各コーナーがありました。
まず、考古学に関する内容を見学しました。
縄文式後期の土器
縄文時代
旧石器時代
北海道の黒曜石、アム-ル川をさかのぼってシベリアまで行っていたのか!
この両頭石器&ナイフ、大きく完全形でオミゴトです。
この打製石斧と磨製石斧、時代差、出土場所の違いを感じますがー。
展示方法は、それなりに創意工夫されているなとは思いました。
小中学生がみても、予備知識のない大人が見ても、わかりやすい
展示にするにはどうしたらイイのかとの視点でも見てきました。
(2018.6.20)
遺跡は、北海道文化財百選の一つで、国道12号線の深川との近くに
あり、擦文時代の先住民の竪穴住居跡(219基)を見ることができ
ます。以前来たことがありますが、久しぶりに立ち寄りました。
立派で新しい表示板がありました。右の詳細は下に拡大。
興味・関心のある方お読みください。
写真では竪穴のクボミは見ずらいですが、実際にははっきりわかります。
木に囲まれた所が、少しくぼんでいます。
住居跡から擦文土器などが発見されているとのことです。
この場所は、「チャシコツ」といい、アイヌ語で「砦跡」と訳されています。
河岸に面したもので、直径20mほどの半円形で、深さは50~70cmです。
川との比高は10mで、河岸段丘の所に位置しています。このチャシコツは、
立地場所、大きさなどから砦というより、他の用途で使われていたようです。
左のササやぶの所は整備されていない様子です。
クマザサの生い茂る中を歩いて行くと竪穴住居跡がありました。
その他にも、結構住居跡がありました。市で整備されている所は
ここまで。地形的にまだまだあったのでないかと思いました。 さらに進んで行くと、農地にするために開墾中でした。
土器などの一部でもないものか、と探しましたが見当たりません。
この辺りはすぐ川まで行ける場所です。
カムイリンクススキー場が見えます。
北海道のアイヌ人や先住民を含む考古学の分野については、昔か
ら興味・関心のあることでした。今回も改めてHPなどで調べてみ
ましたが、アイヌ人と先住民との関係がよくわかっていません。
未だ解明されていないこと多々あり!ーといったところです。
(2017.4/30)
4/30、久しぶりに神居古潭を通ったので、「おう穴」群を見てきました。
「おう穴」とは、「ポットホール」または「かめ穴」ともいい、川底や川岸の
固い岩石の表面にできる比較的大きな円形~楕円形をした穴のことです。
札幌に向かう国道12号線の神居古潭の吊り橋の下で見ることができます。
おう穴群は、吊り橋の上流及び下流の全長1.2㎞の範囲にわ
たって7箇所分布しています。神居古潭のおう穴は、大きさ
や群の数、分布範囲の広さなど国内の他のおう穴群と遜色な
く、学術的にも大変重要なものとされ、旭川市の「神居古潭お
う穴群」として市の指定文化財(天然記念物)になっています。
橋の上から上流を見たところです。
神居古潭のこの一帯は元々堆積岩でしたが、現在は「神居古潭
変成岩」になっています。これは、大昔北海道が形成された時、
西半分と東半分がここで衝突して圧力(圧力がかかると熱が発
生!)がかかり「変成岩」となったという。この岩石は一般に固
く、かめ穴のできる大きな条件の一つとなります。
売店の近くに、神居古潭の生い立ちやおう穴のでき方が解説されていました。
その近くにあった川底から引き揚げられた神居古潭石とおう穴の様子が。
残念ながら、おう穴の中に石や砂が入っています。
~おう穴のつくられ方~
岩石の割れ目があると、川の水によってその部分が他の
部分より削られやすくなりクボミができ、そこに小石が
入り込むと、水流によって岩石の弱い部分がどんどん削
られていきます。その時、渦流が発生するのでほぼ円形
に削られていきます。小石自体も磨耗してなくなります
が、別の小石がおう穴に流れ込むので円形のクボミはさ
らに大きくなっていきます。これを繰り返すことで出来
上がったのが、おう穴となります。
しかし、おう穴は、近年の気象状況では100年続いても
千年続いてもおう穴ができる=成長するチャンスがない
ことになります。おう穴のできる条件としては、①現在
では考えられないようなケタ違いな膨大な降水量、②固
い岩盤、そして③地殻変動などの条件が考えられます。