(内容紹介)
西新宿の小さな中華料理屋「翡翠飯店」を巡る三代記。祖父母、両親、無職の叔父、孫に加えて、常に誰かしら出入りするゲストハウスさながらの大家族の足元には、大陸帰りの物語が眠っていました。祖父の死で虚脱してしまった気丈な祖母ヤエを伴った満州行が、封印された過去への旅の幕開けとなります。戦争、引揚げ、戦後を生き抜き、半世紀の間ヤエが抱えてきた思いを知った時、私たちが失いつつある美しい何かが頁の向こうに立ち上がってきます。
”逃げるが勝ち”とはちょっとニュアンスが異なる「逃げる」を、時には選んでもいいのだと云ってもらえたような作品でした。逃げるのは悪いと教育されてきた私たちですが、語り手である良嗣の祖父母は新天地を求めて大陸へ渡り、引揚者となって再び日本の地を踏んだ経験を通し、”逃げる”という手段は一概に悪いと決め付けられないと、私たちに教えているようでした。大陸で知り合った彼ら2人の友人と良嗣の弟は真っ向勝負した結果、殺されたり自死に追いやられてしまったのですから・・・。それにしても、徴兵されるのを拒み、女装をしながら逃げた祖父の勇気は何ともすさまじい。
『そこにいるのがしんどいと思ったら逃げろ。逃げるのは悪いことじゃない、逃げたことを自分でわかっていれば、そう悪いことじゃない。闘うばっかりがえらいんじゃない』
『あの人も私もね、逃げて逃げて生き延びたろう。逃げるってことしか、時代に抗う方法を知らなかったんだよ。もちろんそんな頭はない。何か考えがあってのことじゃない、ただ馬鹿だから逃げたってだけだ。だけどさ、そんなだったから、子どもたちに、あんたの親たちにね、逃げること以外教えられなかった、あの子たちは逃げてばっかり。私たちは抗うために逃げた。生きるために逃げたんだ。でも今はそんな時代じゃない。逃げるってのはオイソレと受け入れることになった。それしかできないような大人になっちまった。だからあんたたちも、逃げるしかできない。それは申し訳ないと思うよ。それしか教えられること、なかったんだからね』
『八日目の蝉』以来の角田さんの作品でした。2作とも母性が溢れ出ていて、自身をあまり母性豊かとも思えていない私には、時々面映くなる箇所もありましたが、あらゆる価値観を受け入れる藤城家の逞しさと大らかさに惹かれました。