動物園日和

日々の徒然なる思いを綴ります。

オランダ旅行 その4 自動螺旋型上昇装置

2009-09-28 13:05:31 | travelers-high(旅行記)
3日目は月曜日。
なので博物館も美術館も動物園もみーんな休み。


というわけでぶらぶら町歩きへ繰り出す。

ユーロマストを横目に見ながらデルフュスハーフェン地区へ。この地区はかつての東インド会社の主要港だったところで今も美観地区みたいな感じで昔の街並みが楽しめます。東インド会社とか。世界史の世界ですね。
運河の入り口に風車がある。初風車にテンションが上がる。

そしてこの地区からの帰りに迷い込んだ町で初コーヒーハウスを発見。ネオンはあるもののいたって普通のご飯屋さんみたいないでたちでした。

ユーロマストが開店(?)したので、上ってみる。
ユーロマストは185m。100mくらいのところに展望台とかレストランがあって、さらにその上を、塔の周りを回転しながら上昇するエレベーターに乗って楽しむことができます。

ここの展望台、階段部分があるんだけどそこがすごく怖い。段と段の間が何も無いので、足元に地上の風景が広がってる感じ。階段自体も下が透けて見える格子状の階段なので、子どもとか立ちすくんでました。

で、エレベーター。ぐるぐるぐるぐる。螺旋状に回りながら上昇。これ、角錐系タワーは駄目だろうけど、円柱形タワーなら取り付けられそうです。京都タワーあたりもやれそうですよ。

さてお昼前くらいなので、ここでご飯を食べてしまおうと入った展望レストラン。
クラブハウスサンドウィッチを頼んだところ、小山のようなサンドウィッチと一袋分くらいのポテトチップス。食べきれない・・・一目見てそんな予感でいっぱいに。

最初はがんばって食べてたんだけど、苦しくなると共に集中が途切れてきます。
集中が切れてくると周囲の音がやけに耳に入ってきます。そんな中、一際鋭く耳に飛び込んできたのは、天津木村風の「♪おちち~おちち~おちち」というリフレイン。明らかに日本人の子ども(角度の関係で姿は見えず)が発したものと思われます。家族は日本語だから大丈夫だと思って特にとめていない模様。海外の、しかも地上100mの場所で高らかにそんなフレーズを発する気持ちよさを覚えてしまった彼の未来が心配です。

そんなこんなでずーっと食べてたんだけどついに完食を断念。お会計を頼んだら、前の席から私のポテトチップスに手が・・!相席中のイタリア人(多分)のおじさまです。食べ物待ちでおなか空いてたらしい。あ、もう全部食べちゃっていいよ。本当?いいの?的やりとりをほぼゼスチャーで行う。こういうおおらかなというかなんというかアバウトな感じはやっぱり外国だよなあと思う。

ユーロマストは一階におみやげ物があって、フローティングペンだのなんだのの品揃え。ローカルでちょっとレトロなおみやげ物好きな人には相当熱い感じでした。

その後は市街地へ戻ってキューブハウスを見に行く。キューブハウスは名前の通り、キューブ状の家が斜めに連なった集合住宅で、こんな斜めなのにどんな風に人が住んでいるのか首を傾げたくなる建物。

その後はHEMA(オランダの総合カジュアルブランド)や本屋を覘く。
HEMAは子ども商品が充実している。なぜか人体模型なども売っている。

国内海外問わず。旅先でスーパーマーケットに行くのは非常に好きです。
その土地の人がどんなくらしをしているのかが何となく伝わってくるから。
オランダではアルベート・ルバインというスーパーによくお世話に。
よく買ってたのは飲む蜂蜜ヨーグルト(大)。蜂蜜味が非常に美味しい逸品。
が、しかし、それとパッケージが非常によく似たミルクセーキ的なものがあってそれは非常に美味しくない。なんでそんなこと知っているかというと間違えて買ってしまったから。もう罰ゲームみたいな甘ったるさでした。

そんな感じで3日目も無事終了。次の日はアムステルダムへ移動の日。

オランダ旅行 その3 magical museum tour

2009-09-28 11:19:44 | travelers-high(旅行記)
2日目。3日目は月曜日ですべての博物館・美術館が閉まってしまうため、2日目に集中して回る強行軍。ということでいたって真面目な博物館巡りの話。

・ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館

主な収蔵作品はブリューゲル、レンブラント、ゴッホからマグリット、ダリまで幅広く。

今回オランダで楽しみにしていたのはフランドル派の作品。ブリューゲルとボッシュが好きなんです。彼らの絵の、混乱したイメージや土着的でいて現代の作品といっても通じてしまいそうな奇妙な生物、世界観。

開館してすぐに入ったのでブリューゲルの「バベルの塔」の部屋が貸しきり状態。
意外に小さい絵で、すごく緻密に描き込まれていました。
ボッシュの絵(地獄の絵)も同室にあるのですが、やはりどうかしているとしか思えない奇妙な絵でした。暗くてユーモアがあって悪意もある感じ。

ルーベンスもけっこうあったんですが、ウィーン美術史博物館のような大作はなく習作が多い感じでした。

現代美術にも目配りがあって、マグリットもいい作品ばかりでした。
工芸品、大量生産品もアートと言う立場から収蔵していて、日本のメーカーのラジオや文房具なども展示されています。

企画展はロッテルダムの美術館や博物館5館ほどが連動して行っているブラジル展。ブラジルの現代アーティストの作品を広大なスペースで展示しています。
ここでErnesto Netoの作品に遭遇。ストッキングと同素材のナイロンに砂をつめて天井から垂れさげる作品で有名な人です。以前新聞記事かなにかで彼の作品を見て以来ずっと気になっていました。まさかここで見られるとは。

巨大な青いテント。その天井から無数に垂れ下がる牛の乳房のような物体。
その作品の部屋に入ると、誰かの体内に入ってしまったかのような、食虫植物の中に入り込んでしまったような感覚に陥る。それは自分の体の臓器の一部のようにも思えるし、まったく未知の宇宙船の内部のようにも思える。

鍾乳洞に入ったらこんな感じだろうか。
別の作品も見てみたいなと思った。

この美術館はロッカー、クロークもアートの一部のようになっていて面白かったです。

館内のカフェで軽い昼食をとって建築博物館へ。


・オランダ建築博物館

町の建物のことなんかが充実しているのですが、残念ながら英語表示がなくオランダ語のみでした。言葉がわかればもっと楽しめたかも。あと、20世紀前半の建築が多く、もう少し現代建築の展示が欲しいかも。建物自体が斬新で、館内を歩くだけでも楽しめました。ここもブラジル展をしていて広い空間にブラジルの街中の様々な映像が映し出され、自分たちがそこにいるような臨場感でした。

・自然史博物館

外観がお洒落。入るとキリンの骨格標本が出迎えてくれる。中には様々な生物の剥製があった。
剥製は、やっぱり独特の雰囲気がある。
見開かれた目。時間を止められたものの匂い。つやを失った毛並み。

・クンストハル

現代アートの企画展中心の美術館。建物自体のデザインが面白い。



そのコーナーに足を踏み入れた瞬間に気がついた。
リヒターだ。ゲハルト・リヒターの「Betty」。大好きで、絵葉書を持っている。本物だ。すごい。感動して涙が出る。

リヒターは写真かと思うような油絵作品を描く。多分それは彼が写真家でもあることに関係しているのだろう。この「Betty」という作品も、写真のような油絵だ。絵の中のBettyは後ろを向いている。辺りは暗く、柔らかな光が彼女にあたっている。

この絵を見ているときの、微かな、通底音のような緊張感。
それは絵の中の彼女が後姿だから。絵の中の彼女は今振り返るところかもしれない。今は彼女が見られている。見る者と見られる者。彼女が振り向いたとき、その立場は容易に逆転するのだ。

近くで見ると、絵はまるで変わる。輪郭が荒い。写真の、精密なきっかりした線を思い浮かべていたのに、まるで違う。線は曖昧で、幅が広く取られ、女性の体からそのまま空間に漂い出てしまいそうだ。このぼやけた感じが遠めに見ると、写真特有のブレのような効果を生み出していた。何度も何度も。近づいたり遠のいたり、ためつすがめつ。


うん。やっぱりこの人の絵、好きだ。

ということで4つの美術館と博物館。
近距離にあって結構空いてたのでのんびり見られてよかったです。

オランダはお店閉まるの早いので、夜は案外することが無い。
でもせっかく九時まで明るいんだし、ということでぶらぶら。
マックのオランダオリジナルメニューを食す。コロッケバーガーなんだけどマヨネーズたっぷりの。ちなみに日本の「コロッケ」はオランダ由来です。オランダはコロッケの自販機があるくらいコロッケ王国(?)

夕ご飯も終わり。日中はお財布とかもってうろうろするので、置き引きとかスリとかに気をつけて結構緊張してるとこもあるので、ホテルにお財布とか全部置いて、小説と携帯と飲み物だけ持って川沿いのベンチでのんびり読書。

成田空港で川上弘美さんとティムオブライエンの小説を買っておいたんだけど、川上さんのほうは既に行きのフライトで読破してしまったためオブライエンを持っていく。

単行本はもう持ってて何度も読んでるんだけど、文庫で買って旅行先で読もうとずっと思っていた「世界のすべての七月」。いつも、好きなところから読み出すけれど、今回はしっかり最初から丁寧に読んでいく。頭から尻尾まで、魚を丸呑みするみたいに。エイミー・ロビンソンは相変わらずジャン・ヒューブナーと軽口をたたき合っているし、エリー・アボットは湖畔の出来事から身動きが取れないままだ。カレン・バーンズは死んでいて、デイヴィッド・トッドは30年前のラジオから未だ逃れられないでいる。みんな、古い知り合いに会ってるみたいな感じがする。
彼らはアメリカの小説の登場人物で、私は遠く離れたオランダの川岸で、一人で本を読んでいるのに。

日が長い。8時になっても夕焼けすらない。こんなにリズムが違ったら時間の感覚や価値観はまったく異なっているのだろう。

時間はたっぷりあって、帰ったら眠るだけ。いつもとは違ってゆったりとした時間が流れている。

September,September

2009-09-11 21:17:06 | 日々のつぶやき
オランダ帰りの飛行機で、行きと違っておしぼりがないなあと思っていたら機内放送があった。

「ただいま、世界中での新型インフルエンザの流行、パンデミックによる影響でおしぼりがご用意できません」


世界は緻密に構成されている。水一滴もらさないほどに。

我々は、たとえ空中に浮かび、地上から数百フィート離れていようとも、インフルエンザや景気や重力や税金や加齢から逃れることはできない。


オランダでの最後の夜、アンネ・フランクの家へ行った。彼女と家族と他に4人の人々がナチスに密告されるまで住んでいた隠れ家だ。オランダは当時ドイツの占領下にあり、ユダヤ人はドイツ国内同様強制収容所に送還された。彼ら8人は昼間は息を殺し、水道を使うことさえできずに、夜になるとたらいで体を洗い、部屋を分け合って過ごした。そしてドイツが降伏する数ヶ月前に匿名の電話によって密告され、アンネの父オットー・フランク以外の7人は生きて終戦を迎えることは叶わなかった。

彼らの中の一人はチェコのテレジーンにある強制収容所に移送される途中で死んだ。

テレジーンには3年前いったことがある。収容所はナチスに対する国際機関の検査のために清潔な洗面所やシャワー室を揃えていた。その施設を見学した。水道はぴかぴかで、どの蛇口をひねっても水は出なかった。それは本当に、視察者を欺くためだけに作られた部屋だったのだ。そこには予算の申請があり、計画の実行があり、見積書があり、会議があった。人々はとても合理的に、人を殺す施設を着々完成させていった。

やがて視察団が訪れた。本当に水が出るかどうか調べる視察者は誰もいなかった。視察委員が安心して帰った後、水道も無い狭い部屋にすし詰めにされた無数の人々が殺されていった。施設を歩くと、いたるところの壁に銃痕があった。青い空をツバメが飛んでいた。

1944年の世界には安全な隠れ家は存在しなかった。世界は容赦ないほど満遍なく全てを覆っていた。

ナチスはとてもシステマティックに民族絶滅を遂行していたし、そのドイツから亡命したアインシュタインなど世界の頭脳を集めたアメリカではマンハッタン計画が着々と進行していた。日本は千葉県の太平洋岸42か所でアメリカへ向けた風船爆弾を飛ばし、星の王子さまを書いたサン・テグジュペリは占領下のフランス偵察中に消息を絶った。彼の飛行機の残骸はその後数十年眠り続け、ある日突然発見されることになる。

何もかもが奇妙に連動していた。国境は無くなり、踏みにじられ、新たに引かれ、また踏み荒らされていた。戦争は対立しているはずの枢軸国と連合軍の間にある種の共通性を生み出していた。ラジオや映画などのメディアがかつてないほど本格的に戦争に利用された。ニュースは(たとえ自国に都合よく捻じ曲げられた情報であれ)茶の間に世界をもたらし、国民は海を越えた見知らぬはずの国のことを日々考えていた。戦争とメディアはそれまでになかった圧倒的な同時代性を世界にもたらした。

飛行機で久しぶりに日本語の新聞を読んだ。
アフガンへの米軍派遣の記事を読んだ。
9・11から8年たった。あの年の9月、飛行機がまっすぐにビルへ突っ込んでいく映像を何度目にしただろうか。あの日、あの映像が世界中で流されたはずだ。


昨日読んだ新聞に、イラクやアフガニスタンで手製爆弾の爆風を受けた多数の米兵が爆風によって外傷性脳損傷を受けているという記事が載っていた。ヘルメットをしていた場合も、衝撃波の圧力は生じるため防ぎようがないということだった。

ときたま、アフガニスタンでの米軍の誤爆で、民間人に死傷者がでたという小さな記事を見る。それは、とても小さな記事で、死者の名前は載らない。私は、アフガニスタンという国に住む人々がどんな名前を持ち、どのように暮らしているのかを未だに知らない。

1年以上前になるかもしれない。アフガニスタンでの米軍の死者が、同時テロの犠牲者の数を超えたという記事を見た。アフガニスタンで死んだ米兵もまた名前を持たない。新聞で目にする彼らは数の集合であり、抽象的な概念のように記事に埋もれている。




ほんのわずかな隙間も逃さず入り込んでいく普遍的な力があって、それは世界に偏在している。それは宗教や信仰の話ではなくて、2・3キログラムの爆弾がもたらす秒速450メートルの超音速の衝撃波であり、1944年8月にアムステルダムプリンセンフラハト263番地を訪れる軍靴であり、突然配達される赤紙であり、リトルボーイである。それらはみな具体的な形を持って、触れられる類の力だ。

アンネの家の、最後の部屋に大きな一枚の写真がある。
戦後、アウシュヴィッツ強制収容所からただ一人帰ることのできたオットー・フランクが、この家に帰ってきて佇んでいる写真だ。かつてそこには彼の妻と二人の娘たちがいた。彼は家族を守るためにドイツを脱出し、オランダがナチスに占領されるとすぐに隠れ家の準備に取り掛かった。彼は家族のほかの人々も隠れ家の同居人として迎え入れた。そして慎重に慎重に過ごした隠れ家の生活は一本の電話で呆気なく終わりを告げ、彼の他には誰も残らなかった。

写真の中の彼は右足の膝を緩く曲げ、窓のほうを向いている。その目はとても遠くを見ている。透明にがらんどうの、静かな目だ。


アメリカの小説家、ティム・オブライエンは執拗なまでにベトナム戦争を書き続けている。彼の小説に繰り返し出てくる喪失というテーマは、戦争を知らない人間の心も深く動かす。なぜなら我々はこの世界に存在することで、これからも失い続けていくだろうし、それと同じくらい奪い続けていくからだ。喪失のファクターは戦争かもしれないし、病気かもしれない。人によっては宝くじの当選かもしれないし、愛や友情かもしれない。あるいは他の何かかもしれない。


疫病や経済や環境や時間やイデオロギー。ありとあらゆる現実が毛細血管のように体の隅々までいきわたり肉体がどこにも逃れられないとしても、一人の少女の日記が誰にも支配できない彼女の心のままに描かれたように、本当の本当に芯の部分ではどんな状況であろうと人は自分であることや考えることをやめることはできない。そこに苦しみがあって、だけどそこにこそ救いがあるんだと思う。


本日の一言

「そこにあるすべての胸の痛み、すべてのハーレーの夢。君は激しい痛みの世界に入るんだよ、マイ・フレンド。そこではモルヒネは効かない」

ティム・オブライエン「世界の全ての七月」より