動物園日和

日々の徒然なる思いを綴ります。

ミルフィーユ断層におけるジェンガゲーム。

2007-02-26 01:28:57 | 日々のつぶやき
祖母宅訪問後、従妹とその恋人と三人で食事。
彼らにはフォークリフトを操る素敵な友人がいるらしく

週末にやって来るフォークリフターの話と

運搬中に落ちて坂道を転がり続けるサワー缶を追うフォークリフターの話と

蜂に逃げ惑うフォークリフターの話を聞いた。

従妹は最近、仕事中に高温のスチームて火傷して休み時間に冷えぴたを貼ったらしい。
・・・それは解決法としてベストなのかい?

従妹とかはもう赤ちゃんの頃からの付き合いで
様々な思い出がパイ生地のように積み重なっている。
その上にお互いの最近の情報を、ジェンガのように積み上げていくわけだけど、
もちろん昔話にも花が咲くわけで、
親戚の常で、必ず出されるレギュラー思い出話もあり、
突然、かなり昔の地層から苺を引っ張り出すはめになる。


あそこのケーキ屋さんは美味しい。みたいに、かなりの信頼度で、

従妹との再会は、楽しい。

本日の一曲 Caravan「CAMP」
  ワンマン、行きたいかも。




不安の種

2007-02-24 23:03:32 | 日々のつぶやき
っていう漫画を立ち読みして思い出したんですけど

明日行く従兄弟の家付近で、前回かなり不安の種的な体験をしました。


当時従兄弟の家を含めた大規模団地一帯が外装工事中で

ただでさえ似たり寄ったりな団地が青いブルーシートに覆われていて
いつも車で迎えに来てもらうのに、その時に限って歩きできた私は右往左往

しかも、それぞれの団地に一棟で2つ階段がついていて
三階まで行かないと、そこが従兄弟の家か確認できず・・。

途中から補助輪つき自転車の丸刈りの男の子がついてきたのはわかっていました。
最初は方向が同じなのかなと思ったけれど
こちらが止まると補助輪の音もぴたりと止まる。

(・・もしかして怪しい人だと思われている?)
自然とこちらも早歩きになります。
公園を過ぎても、自転車置き場を過ぎても、まだついてくる。
補助輪の音が耳につきます。

それっぽい棟がありました。
三階へと階段を上ります。。
補助輪のコンクリートを擦る音が近づいたり遠のいたりする。
踊り場ごとに外が見えます。
丸坊主の男の子がぐるぐるぐるぐる、私のいる階段の下をまわり続けています。
こちらを見ながら。

(怪しい者じゃないんだけど困ったなあ。もうそろそろどこかへ行ってほしいな~)と思いながら二階の踊り場に差し掛かり、音が止んでいることに気がついて下を見たら
男の子は漕ぐのを止めてこちらを見上げていました。
その顔が興味とか好奇心というにはあまりに無表情で、
目を合わせないように思わず首を引っ込めます。
早く部屋に行きたいと思ったのに 三階のその部屋は別人で
どうやら私は棟を間違えたらしく、
仕方なく降りて外に出ます。

男の子は相変わらず無表情で静止しています。
私が歩き出して、しばらくすると後ろから再びあの一定の補助輪の音がして
白昼の団地なのに、辺りには私と彼以外人影はなく、
補助輪の音だけが響いていて
ふいに よくわからない不安を感じ、歩行者専用の階段を上って、反対側の歩道へと移動して、彼をまきました。

別に心霊体験とかではないし
書いてみるとなんか別にどうってことないんですけど、
あの背後で響いてくる補助輪の音とか
気配とか
背中に感じる視線とか
いつまでたっても見つからない従兄弟の家とか
どこまでいっても同じ景色の団地とか
すごく不思議な体験だったので。
実はその男の子はかなり特徴があって、
それも含めて印象的だったので今回書こうか迷ったのですが
あんまりフェアじゃないかなあと思ったのでやめておきます。

ところで今日はtobaccojuiceのライブでした。
行けたら行こうと思っていたのですが兄夫婦が一時帰国で
家で食事会ということであえなく断念。
お嫁さんは素敵でした。食事は楽しかった。お寿司もおいしかった。
が、頭の中でtobaccojuiceが未練がましく鳴っていたのは否めない。

本日の一曲 tobaccojuice「ルーピー」
     ♪パーティーにいきたーい(切に。)




週に1時間、一年間だけ。

2007-02-23 01:53:36 | 回想
うちの大学は、他学の授業でも一部の単位が認められていて、必修を取り終えて余裕が出てきた3年生の頃から、興味のある他学の授業をとってみることにした。

当時の私は、1年間、毎週1時間の現代英文学講読の講義を受けることにした。
全然英文のできない私が、なぜ原書で英文を読む講義をとったかと言うと、その講義のテーマが私の大好きなカズオ・イシグロの「日の名残り」を一年かけて読んでいくというものだったからだ。

居並ぶ帰国子女。流暢な発音。最初の授業から後悔はやってきた。

流暢→流暢→流暢→自分(片言)→流暢→流暢→流暢→自分(片言)

まずい。自分の存在がなんかのアクセントみたいに引き立っている。

ビートルズの「WE CAN WORK IT OUT」って曲は不意にサビでテンポがかわるけど、あれくらい際立ってる。
もしくはカレーライスに隠し味のつもりで入れたのに、溶け残ったチョコレートくらいに。

悪目立ち。間違いない。自分は今、白組なのに赤組側で玉入れしていた幼稚園の運動会(証拠写真有り)以来の悪目立ちをしている。

もう二度とくるまいと思って教室を後にした1週間後、私は何故か再び講義に出席していた。

授業が面白かったのだ。下手でも、多少の恥をかいても、自分の好きな作品を1年かけて読み解いていきたいと想ったのだ。

「日の名残り」は一見地味な作品だ。でも脱落者はほとんど出なかった。誰よりも先生がその作品を愛していたから、みんなついていったんだと思う。その地味なようで緻密な文章構成と近代から現代へ、イギリスからアメリカへの力の移り変わりというマクロな世界を、屋敷の外に出ることがほとんどない執事の目というミクロな視点を通して描くという見事な手法。先生の作品解釈は、感覚で読んで、分析はしない私のような人間とっては、別の世界が見える眼鏡をかけたような衝撃だった。

マルケス、クッツェー、ジョイス、折々に先生が話す近現代文学の作家。
授業で知って距離が近くなったり、出会うことができた作品がたくさんある。


日の名残りはジェームズ・アイボリー監督によって映画化(主演はアンソニー・ホプキンスだった)されていて、みんなで毎授業時間鑑賞していた。講義や発表、朗読もあるせいで、毎回そんなに進まず、かなり長い期間見ていた記憶がある。

すごく落ち着いた先生なのに、教室が移動するごとに自らがらがらとテレビを押してこられた。小さく「重いんだよ」とか言っている、そのギャップがとても素敵で、いかにも物静かな文学教授然として生活感がないのに、実はそのビデオをレンタルビデオで借りていて「貸し出されちゃってた」とか言っておられたこともあったように思う。

先生は説明が佳境に入ると図を書いてくれる。普通はわかりやすくするために図を書くんだと思うけど先生の場合は逆だった。話の段階ではわかりやすかったのに、図になるとカオスになった。円や線が飛び交って、混迷の度合いを深めてゆくのだ。

成績は厳しくて、二度目のレポートでやっとAがもらえたとき、大学でもらったAの中で一番嬉しかったのを覚えている。

深い声でゆっくりと話す人だった。

発表者の話をじっくりと聴き、必ずその内容をきちんと掬い取って講義をした。

怒らなかったし、おどけなかった。

ただ穏やかに、文章の行間に、学生の意見に、耳を傾けていた。


字はそんなに綺麗じゃなくて、でも作品への愛があった。
眠たい時間、柔らかな声、日射しのぽかぽかする教室、の三拍子がそろってたけれど、先生の話を逃すのが惜しくて、ちゃんと聴いた。
好きな作家のことを何度も話した。

私は、先生と文学の話をするなんて恐れ多くてできなかったし、
やっぱり未だに文学は構造を意識せず、感覚で読んでいくことしかできない。

一週間に一度、一年間の関係だった。

50時間も一緒にいないくらいの。

今日久しぶりにテレビでアンソニー・ホプキンスを見た。
新しい役で新境地なんだそうだ。
「羊たちの沈黙のレクター役で有名な、あの俳優が悪役ではない役に挑む」んだそうだ。

「でももの静かな執事だったときもあったよ」
テレビに向かって呟いてみたけど、レポーターの興奮はおさまらなかった。
ほんとうだよ。受講生みんなで見てたんだ。先生がテレビを引っぱって、ブラウン管の中ではもうすでにアンソニーが食器を運んでいたんだ。

先生がコードを引っぱってさ。アンソニーは執事でさ。画像が歪むと先生がパシッてテレビの上を叩いてみたりしてさ。






先生が亡くなられたというご一報を聞いてもう何日も経ってしまった。


日の名残りを読むとき。
私は、あの人社棟の穏やかな日差しの教室と、先生の素敵に深い声を思い出すだろう。文学って面白い、と思った瞬間を、きっと思い出すだろう。

アンソニー・ホプキンスを見てもきっと思い出すだろう。

下手すると「羊たちの沈黙」を見ていても思い出すかも知れない。



人の記憶に残していくものがあるなんて素敵な人生だ。


自分が愛するものがあって、それを仕事として誇りをもってやれるなんて素敵な人生だ。
やっぱりまだやりたいこともあったろうし、ほんの50時間の腰掛学生な私には計り知れない悔しさもあっただろうけど。そして何だか私もやっぱり納得がいかない気がしてしまうのだけど。


先生は、私たち学生の記憶に自分を残そうとしたわけじゃなかった。

先生は、ただ自分の愛する作品を残そうとしただけだ。そして私たちの中に、その作品が残った。
でも、作品と切り離せないくらい、真剣に作品を語る先生の姿も記憶に残った。



やっぱり先生の人生は素敵な人生だったと思う。







パフ

2007-02-20 23:27:48 | この時、あの一曲。
中学校くらいのときに、音楽の時間に「パフ」を習った。

あの、あまりにも有名な♪PUFF,THE MAGIC DRAGON~という曲だ。

パフと少年ジャッキーは仲良しで何をするにも一緒
でも竜の命は永遠 子どもはいつまでも子どもではいられない
ジャッキーがとうとうこなくなって
パフはうなだれる 
パフの鱗は剥がれ落ち もう遊ぶこともない

可哀想な竜は洞窟へと帰っていった


この歌を知っている人ならわかると思うけど
中学生だった我々は
あまりに少年ジャッキー側だったので
忘れ去られるパフの本当の哀しさなんてよくわからなかった。

でも訳詩を読んだら涙が出た。

そういう歌だ。



この歌は中学生が歌う歌ではなかった。
なぜならこの歌はパフの歌で ジャッキーの歌ではないからだ。
忘れ去られる哀しみを知っている者の歌だからだ。


父がPPMのCDを買ってきて
今夜、十年ぶりくらいにこの歌を聴いて
前よりもパフの哀しみがわかるようになった。
十年後にはもっとわかるようになるのだろう。



子どもの頃の遊びを
一つも馬鹿にしないで大人になれる人はなかなかいない。

子どもの頃の自分の味方だったものを
一つも忘れないで大人になれる人はもっと少ないだろう。 


でも子どもの頃にはわかりづらかったある種の哀しみは
大人になってからの方が純粋に感じることができる。

少年には戻れなくても、ドラゴンに近づくことは可能なのだ。

東京の街

2007-02-19 11:56:35 | 日々のつぶやき
昨日本郷-水道橋-秋葉原と移動して感じたことは、東京とももう長い付き合いだということだ。

遊園地の空高くまで上がったパラシュートの傘の下で見た、雨上がりの東京はただただビルが続いて、途切れなく広がっていた。午後の光に水分を蒸発させている白っぽく霞んだこの巨大な街のどこかには、さっきまでいたお店の何千匹もの金魚も、この間久しぶりに年賀状をくれたもう何年も顔を合わせていない友人も、以前たまたま見つけて、その後もう一度行こうとして二度と行けなかった美味しいオムライスの店も含まれていて、そういうことを考えるとちょっと面倒くさそうで、でもわくわくするような感じがした.

 その感情はいつも東京の街に対して感じる気持ちだ。

東京へ向かう日は家を少し早めに出る。朝の準備は忙しくてなんだか面倒くさい。でも、電車に乗る頃には、もうわくわくして、窓の外の移り変わる景色を見ている。何度でも、子どもみたいに「今日は東京へ行くんだ」と思う。川を越える橋の音がすると、読んでいた本を閉じて、必ず窓の外の、向こう岸の東京を見る。

もちろん東京は広くて、降りたことのない駅ばかりで、それでも細い途切れ途切れの繊細な糸を辿るように、私の頭の中で東京の地図が出来上がり、ところどころにうっかりこぼしてしまったインクの染みのように消えない思い出が染み付いている。

つばきやくるりや椎名林檎は東京の歌を歌う。
隣の県に住む私は「上京」という特別な決意や覚悟は持ち合わせていない。だから恐らくこれからもずっと、東京という街に正面切って向かい合うことはないだろう。

でもそこに、川を渡った向こう側に、いつも会いたい人や行きたい場所や聞きたい音や見てみたい物があって、その人や場所と一緒に地図を作るために私は何度でも橋を渡る。それぞれの人にそれぞれの東京があって、それぞれの人にそれぞれの地図がある。その、東京の懐の深さと無関心さに甘えながら、コーヒーに垂らしたミルクの渦巻きみたいに、時間と空間に記憶を織り込んでいく。

それが私にとっての東京だ。