昨日はなんだかんだで眠るのが遅くなり
休みだから起こさないでいいよ、といって眠って
起きたら16時。
びっくりしました。
普段そんなに長時間寝ないんだけど。
眠るっていう行為は水の中に沈んでいく感じに近い。
特に深く眠ったときは、体は休んでいたはずなのに、すごく遠く、深い水底から引き上げられたような感じの疲れがあって、すぐにはこっちの世界に馴染めない感じがする。
深海魚は海の底から引き上げられると、体がその水圧の変化に耐え切れず、死んでしまうそうだ。
今日みたくぐっすり眠った後に迎える覚醒は苦痛に近い。
さっきまでどっぷり浸かっていた眠りの中の世界から急に意識が引き上げられる。
まだ、ついていかない。温かな水底の泥が溶けて、冷たく乾いた冬の空気が周りにある。水圧が変化して、肺が大きく膨らむのを感じる。
徐々に目覚めていく意識の中で、休みがほとんど終わりかかっていることを枕元のCDプレーヤーのデジタルな数字が教えてくれる。
眠りというのは奇妙な営みだと思う。
眠っているとき、私の意識はこちらの世界からほどけて、違う場所を彷徨う。
起きたときには断片的なイメージしか持ち帰れないけれど、たまに、あまりにリアルな感触が残っていて、幼い頃は、私たちがよく言う「夢」と呼ばれるもののほうが実は本当の世界なんじゃないかと思うことがあった。今でもたまに、あまりにはっきりと記憶が残っていて、起きたときに自分どこにいるのかわからないような、途方に暮れた気持ちになることがある。
だから自分以外の眠っている人を見ると、不思議な気持ちになる。
修学旅行で、夜中に一人目を覚ます。
さっきまで頑張って夜更かししておしゃべりしていた人たちもさすがに眠ってしまったらしい。部屋には重たい「眠り」そのものの気配がたちこめている。
微かな寝息が聞こえる。誰かが寝返りを打つ。その寝返りをうつ様が、普段のその子の動きとはあまりに違っていて、なんだかはっとしてしまう。
眠りにありつけなかった私は、畳敷きの旅館の眠りに満ちた空気の中で静かに息を殺していた。クラスメイトそれぞれの夢が少しずつ空気に滲んでいるような感じがした。
家族、恋人、友達。
誰かが横で寝ていて、夜に一人で目を覚ますときはいつも
自分一人が出遅れて、夜の世界に取り残されてしまった感じがする。
一人で起きてしまった夜は、時間が歪んで無限に間延びしていく。
横で穏やかに眠っている人を見て、この人も、別のタイミングで目を覚まし、眠っている私を見てそんな風に思うことがあるんだろうか、と不思議に思う。
すごく怖い夢もとても幸せな夢も、見るときは一人だ。
誰とも分かち合えない。
眠るということは、一人でそこへ行くことだ。
孤独な戦いが夜毎行われる。
ハナレグミが歌う「眠りの森」という歌がとても好きだ。
恋人という最も身近な他者の、どうしようもない分かち合えなさを眠りに集約させたうえで「上下をする胸の線がとても愛しい」と歌う。眠るということの非共有性と、分かり合えなさも分かった上で、それを覆ってしまうくらい単純に「好き」な気持ち。
大切な人たちみんなに、安らかな夜が訪れますように。