動物園日和

日々の徒然なる思いを綴ります。

追記としてのミッドナイトカワサキ。

2007-04-27 00:12:05 | 日々のつぶやき
ミッドナイトカワサキはいつも上品な白髪を櫛で撫で付けている。
レジ業務にも少し慣れてきた。

長身を不器用にかがめてつり銭を渡す。

今は深夜12時だ。
最近の12時は深夜でもないのだろう。
24時間スーパーにはちらほらと買い物客がいた。

コンビニと違って所在無さ気にうろうろしている客は少なく
皆目当てのものを買ってはあっさり帰っていく。

仕事帰りらしき女性客がアイスクリームを買っていく。
サラリーマンはカップラーメンを買っていった。
俺もようやく「箸をおつけしますか」を忘れずに聞けるようになってきた、と
ミッドナイトカワサキは思った。


駅前の24時間スーパーには
うまくその空間に馴染めず、はにかんでいるような初老の男性レジ係がいる。
その店の従業員はみな深夜勤務のミッドナイトと銘うった名札を下げている。
知らない人はとりあえず心の中で仮名で呼びかける私は
夜買い物に行ってレジで会うだけの彼にカワサキという名前をつけた。



外をマフラーをふかしたバイクが行き過ぎる。

店内の空気は乾燥している。

夜明けまであとどのくらいだろう。

ミッドナイトカワサキの夜はまだはじまったばかりだ






いかれ帽子屋フェスタの話。

2007-04-26 23:26:57 | この時、あの一曲。
もう一昨日になっちゃったけど
クアトロのアナログフィッシュとtobaccojuiceのライブへ行ってきました。

メンバーの帽子率が高いイメージの2バンド。tobaccoはもれなく帽子つきでした。

クアトロは受付からさらに1フロアー上がったところがステージなんだけど、仕事終わりに遅れ気味に行ったら、上から出入りでドアが開くたびに「ママ」が聞こえていた。

松本さんは声がいつもより男気モードだった気がします。

ガーベラ・・パーティブルース・・どれもラスト一曲にしてもおかしくない曲なのに、さらにヘッドフォンゴーストで〆。贅沢でした。

以前のライブで最初にヘッドフォンゴーストを歌ってたときは「♪ヘッドフォンゴーストが集まるショウ・タイムが始まる」ってフレーズが、ライブが始まるときのフロアの静かな、集中した熱気にふさわしいと思ったけど、ラストに聞くのもよかった。

次のアナログへのバトンというかはなむけの歌みたいな感もあって、素敵。

アナログ。
もっと最近見たこともあったのに、なぜか3、4年前くらいのカウントダウンジャパンでのライブを思い出した。

その時は、普段全くロックを聞かない大学の友人が
「それってどんな祭りなの?」ということで一日だけ来てて
当然目当てのバンドもこれといってないその友人は
私や他の友人の目当てのバンドを横で見ていた。

その時私はアナログフィッシュを見ていて
「くるりって何?」くらいの勢いだった友人は
あっという間に
力強いビートと真っ直ぐな歌声とひねくれた歌詞なのに王道にロックなニット帽と眼鏡と白シャツの虜になっていた。

結局、その日一番彼女の心を捉えたのはアナログフィッシュだった。

もともと彼女は忙しい人で
あれからきちんと会えたのは数えるほどだった。
そしてこの間彼女の結婚パーティで
本当に1年ぶりくらいに会った。すごく綺麗になっていた。

私はアナログフィッシュの「TEXAS」という曲が好きだ。

広い地球でのどうにも繋がらないバラバラな私達の日常が
繋がらないということで繋がっている
そんな世界観が好きだ。

ハローでもテキサスでも、アナログはいつも世界とのディスコミュニケーションとコミュニケーションを歌っていた。

アナログの描く世界はカート・ヴォネガットの描くそれに似ている。
とぼけていて真剣なのだ。

一昨日のクアトロで、アナログフィッシュはあの日みたいにハローを歌っていた。
私の横には彼女はいなかった。
結婚パーティの彼女は相変わらず優しくて、また会おうと言い合って別れた。
きっと近いうちそれは実現するだろう。
私達はこれからも仲良くやっていくだろう。
でも、もう二度と彼女と一緒にこの曲を聴くことはないんだと思った。
友情の有無とか、そういう次元では全然なくて。もちろん結婚がゴールインとかそういう類の話でも毛頭なく。

ただ、一つの季節がいつの間にか死んでいたという話だ。そんなことはよくある話だ。

それを寂しいと思うのは、多分とても傲慢なことなんだろう。

村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」で壁を抜ける場面があったけど
生きていると、色んな瞬間に、(今自分はあの時主人公が見てしまった光景に近い場所に来ている)と感じる。

入り口があって出口があってみんな出口から出てってしまう。


もう会えない人のいた部屋は
気配だけ残って余計に辛いだけだ。

わかってる。
お互いの関係性が変わるだけなら一緒に他の部屋に移ったと考えればいい。
わかってる。
死んでしまった人でも優しい思い出を残してくれた。

そんなことは百も承知で、でも
でも、誰かお願いだから、もう少し立ち止まって、一緒にこの曲を聴いてってくれないかなと思ってしまう夜だった。いや、別に普通にすごく楽しかったんだけどね。


追悼

2007-04-14 22:42:15 | 日々のつぶやき
世界のどこかに灯っていた小さな火がふっと消えた。
カート・ヴォネガットが死んでしまった。
ヴォネガット風に言うと、「のぞき穴が閉じて」しまった。

彼が世界の片隅で紡ぐ温かくて壮大でこじんまりとした「また別のよく似た世界」の物語。

どこかしら狂った世界にねじのはずれた人々の物語。でも実は狂ってるのはこちら側の世界と我々だと指を指して教えてくれる裸の王様の子どものような、エキセントリックで滑稽で哀しい人々の物語。

ヴォネガットの小説を読むことは、遠くにいる友人に会いに行くのと似ている。
自分以外の小宇宙との対面。積もる話。温かさ。
ヴォネガットの小説は、人生と世界の縮図だ。
優しさ。哀しさ。狂気。圧倒的な暴力。資本主義。生きていくことの困難。ユーモア。才能。


もう遊びに行っても新しい物語は聞けなくなる。


片腕をもがれたような悲しみではなくて、自分の体のどこかから小さなネジを一つ落としてしまった寂しさ。どこにあったかわからないくらいの、でも、落としてからやっとその大切さに青ざめていくような。

もちろん片腕をもがれたほどの悲しみの熱狂的ヴォネガットファンもいるだろうけど、その日、新聞を読んだ世界中の人々の足元に「カチャリ」という控えめな音を立てて、幾万ものネジが落ちたに違いない。

今頃天国では「母なる夜」や「猫のゆりかご」や「タイタンの妖女」や「スローターハウス5」や「プレイヤーピアノ」や「ホーカスポーカス」や「ガラパゴスの箱舟」といったあの優しい世界の人々が総出で、拍手をしながら老作家を迎えていることだろう。


そういえばBreakfast of championというバンドがあるみたいだ。きっとヴォネガット好きなんだと思う。いつか聴いてみたい。(※余談ですが、他にもチェスターコパーポッドとかイッパイアッテナとか、「幼心を甦らせ、わかるところにわかる」バンド名にはぐっときてしまいます。)

哀しい喜びや寂しい楽しさは彼の小説で知った。
ありがとう。うろ覚えヴォネガット風に言うと「彼の魂が安らかなることを!」



なごり桜と春の宵。

2007-04-10 23:42:17 | 日々のつぶやき
三夜連続の花見だった。

哲学堂公園の夜桜の傘の下で、よく知っている友達と、名前だけは聞いていた友達の友達と、名前も知らなかった人達とお酒を飲んだ。

みんなご機嫌で、
桜のシェルターは降りだした雨にもしばらくの間耐えてくれたけれど
野球場を見るとかなりの降りで
球児たちは濡れ鼠になっていたので
我々も撤退した。

大学はいりたてのとき
落研の新歓コンパ花見に誘われたことがあって
そのとき落研部員の先輩(副部長)とラーメンズの話で異様に盛り上がった。
今回の花見でもラーメンズ好きを発見。
ラーメンズ好きは桜の下に生息する生き物らしい。
流石はチェリーブロッサム。

次の日は目黒川。
川にせり出した桜の周りを蝙蝠が飛んでいて
「桜に蝙蝠」って、花札にありそうだなーって思った。
謎のチャージ料に深手を負いながらも二軒目へ。
美味しかった。食事処は居心地の良さが重要。
中目黒から目黒へかけて友達とてくてく歩いていく。

昼は汚い川も夜はまるで石油のように黒々としていて神秘的だった。
桜がただただ綺麗で
友達の撮った提灯の灯りを水面に溶かした目黒川には
春の空気が滲んでいた。

白い花びらが川面に集まっていて
それはとても綺麗なんだけどやっぱり死の匂いがした。
桜の花は強くは香らない。
桜の香りは終わり頃に漂いだす。
静かに死んでいくものの匂いだった。

1年は始まったばかりなのに
夏はこれからなのに
上がっていく気温にわくわくしているのに
春の夜には圧倒的な死の存在があって
花見で浮かれる酔客の間をすり抜けるように花びらが儚く散っていく。
それを横目に緑の新芽がぐんぐん伸びていく。

春は生も死も濃厚に主張する季節だ。

目黒川沿いには巨大な灯台状の建造物があり
即座に結成された調査隊(?)によると
都清掃局の目黒清掃工場に属す建物らしい。
煙突と言うにはあまりに巨大すぎる。
それは目黒区というよりは「ラピュタ」とか「近未来」とかに属しているようなシロモノだった。
中で何が行われているのか。
ごみがつまっているのか。
高温焼却炉なのか。
地球は何故丸いのか。
どれくらい歩けば人は答えに辿り着けるのか。

選挙ポスターで微笑む慎太郎氏は黙して語らない。

世の中には謎が多い。また一つ、謎が増えた。

本日の一曲 タラチネ「スウィング」




桜とミラーボール。

2007-04-07 01:46:32 | musicnuts(音楽)
目黒区立美術館の企画展チェコ絵本とアニメーションの世界がもうすぐ閉幕するので行ってきた。チェコへの愛溢れる企画だった。動くクルテクを見ることができて嬉しい。

大学の時、印刷博物館のチェコの出版の企画展に行った。その時に思ったんだけど、チェコのデザインはタイポグラフィーが本当に格好良い。LadislavSutnarのバーナード・ショーの作品の装丁とかもう感動的だ。挿絵一つとっても、構図が圧倒的にオリジナルだし字体etc・・すみずみまで意識が行き渡っている。

ラダは原画だとそのシンプルな力強さがさらによく伝わってくる。イジートゥルンカのこっくりとした子どもや動物の描写はセンダックやスキャリーの挿絵にも通じるものがあった。

チェコでミレルの作品集を買ったんだけどチェコ語だったので内容は絵から勝手に解釈していた。今回会場で日本語訳の絵本があって、いじめられっこだと思っていた雀が実は欲深だったのにショックを受けた。仲間はずれなわけじゃなくて小麦独り占めしてたんだ・・。

目黒川の上には桜がせり出していて甘いピンクがどこまでも続いていた。
川沿いの遊歩道では女子高生がビールの話をしながら花見をし
公園では頭のおかしい人がありえないくらいの怒声をあげていた
川はあくまで汚く
その光景のあまりの聖俗入り乱れっぷりに
「桜っていい」と素直に思う余裕が持てなかったけれど
川を抜けて灰色の道路に出たときに
やっぱりもっと見ておけばよかったと後悔した。
きっと何度見てももっと見たかったと後悔する。
それが桜だ。


自由が丘で買い物していて、そういえば今日はタバコジュースのライブということに気がつき急遽代々木へ。当日券で入る。

最初のヘッドフォンゴーストからして良かった。
松本さんのMCが心配になるほどロングバージョンだった。
財布を落として花見をした話が感動的だった。
彼の話の恐ろしいところは
その場で聞いているとすごく感動する話が
後でその場にいなかった人に筋だけで説明しようとすると
その感動が全く伝わらないところにあると思う。でもいい話だったよすごく。


そして彼の歌うような途切れないMCの間から音を鳴らし続け
MCが終わった瞬間にがっと曲にはいれるメンバーの職人芸に感動する

その後「サッチモ~」で佳境に入った松本さんはペットボトルを倒し
ステージを水浸しにしたまま踊り
ステージには彼の足跡が
河童の足跡のように、犬が水遊びした後のように、散らばって
マイクのコードが水を跳ねて
それは私に、雨上がりの校庭で縄跳びをした小学校の頃を思い出させた。


さっきの松本さんの話じゃないけど
人もバンドも2種類あって
生と作品にぶれがない人(バンド)と
生で発するエネルギー量が半端じゃない人があって
その生のエネルギーは説明しようとするとどんな言葉も陳腐になってしまうほどに圧倒的で
もちろん後者のタバコジュースはライブをやるごとに
小さく奇跡を起こしているようで
その小さい奇跡を見逃してしまうのではないかと
ついついライブに足を運んでしまう。
・・ずるいなあ。
それを見られるなんて幸せだ。

この日はトミーザグレートのレコ発ライブだったため
とりはトミーザグレート。
前に一度見たことがあって結構好きな感じだったんだけど
やっぱり良かった。緩くて、でも絶対はずさない心地よいリズム。
ミラーボールがよく似合ってた。
ドリンクはウーロン茶だったのにお酒を飲んで聞く音楽みたいな
酩酊感とカラフルな音の渦。

ライブハウスの階段を上り地上に出ると、スクランブル交差点の向こうの代々木駅の向こうに摩天楼みたいな巨大な建物がそびえていた。

「私はこの建物のことを知らないな」と思った。
そもそも代々木で降りたことすら初めてだったかも知れない。
また一つ東京の景色を頭に入れて
また一つ東京の夜を抜けて
家へ向かう電車へ駆け込んだ。

取り留めのない、でも幸福な春の一日だった。

本日の一冊
コーマック・マッカーシー「すべての美しい馬」
明日返さなきゃいけないのに途中。間に合いそうもない。
やっとメキシコに着いたところ。