赤ちゃんが生まれると、24時間赤ちゃんに振り回されるらしい。 夜泣きやおむつ交換で夜も眠れないという。 それを、妻が一人で引き受けることはできないのは分かっている。できるだけサポートするつもりだ。
昨日、妻に言われたのは「赤ちゃんの世話を手伝うというのではなく、妻と同じ目線で一緒に世話して欲しい」ということ。 サポートではダメらしい。 私がアルバイトに行く日の夜は仕方ないが、休みの日の夜は世話をして欲しいと言われた。
女性の立場からすれば、そう言うのは理解できる。
しかし、家計に入れるお金を私が全て引き受けることになるのだから、仕事をする時間と休息も確保させてもらわないと困る。
妻が妊娠中だから、私が朝ごはんを作る。自分の分と少ししか食べられない妻の分と。 晩御飯は二人で一緒に作る。夕食後の後片付けは最近は私がやっている。
妻が主に担当しているのは、掃除と洗濯。
やはり、家事負担をめぐっての不平等感に不満が出始めている。
「中高年男女の取り扱い説明書」という本を読んでいたら、こんなことが書かれていた。
男が水鉄砲でピュッ、ピュッと女に発射攻撃していると、やがて十か月もすると、大砲で撃ち返されてギブアップ、完全に敗戦の一途を辿るのみです。子宮とは偉大な力を持っています。体内にある別人格、一人で二人分の力があり、二人三脚で男を支配してきます。そして子供を持つ度に女は次第に強くなっていくのです。男は、自分の子孫を残してくれているのですから、平身低頭せざるを得ません。女の絶対優位の関係ができてきます。抵抗しても無駄な現実になっていくのです。
さらに、子育て期間中は、母親としての責任感から、男より絶対優位の立場にあり、男は補助員でしかありません。そこでも女の立場が確立し、この頃から、金銭的にも敏感になり、支配権を持とうとしてくるのです。子供に必要な金品は、男の小遣いより大切であり、男も仕方なく、財布を開放せざるを得ません。本当は男が稼いでいても、小遣いを貰う立場になり、女に頭が上がりません。
四十年前はよかったのにという言葉で始まる漫談がありますが、次第に女らしさを失っていくのが女であり、思ったことをズケズケ言い始めたら、要注意です。執拗に、持続的に攻めだしてきたら警戒注意、けなげさと奥ゆかしさを失ったら女でなくなるのですから、非常事態です。こうした事柄が、女の本質であり、古今東西、共通と考えます。