真剣にならないと

2005-05-31 21:01:57 | インポート
 3年間のブランクはどうしようもない。このまま一生を終わるわけにはいかない。頭の片隅には、農業や職人という生き方があるが、リスクが伴うし、本気でやりたいという高いモチベーションがないように思う。

だったら、無難に、就職するのがいいと思うのだ。

今日は、若者しごと倶楽部で、「職場体験実習」について話を聞いてきた。登録すれば、企業を紹介され、採用されると、
1~2週間の実習期間を経て、本採用になるという制度である。新卒に取り入れられている、インターンシップと同じような制度だ。どんな企業が登録しているのか、見せてもらった。  いつもハロワに出ている求人とさして変わらないという印象だった。

担当者に今までの経緯を説明した。前の会社を辞めてから、内定をもらっては、辞めるという悪循環になっていること。4つの会社で、それを繰り返していることを話した。

何故、そうゆう事態になっているのかは、始めに応募する段階で、やりたくない仕事を選んでいるからではないかと思う、
応募のときに、仕事のイメージをはっきり持てていないことが原因だと思うと言った。
4つ共、ガテン系であり、したくないのに、応募していることが原因なのではないかということ。

もうすぐ、35歳になろうとしているので、やりたいことを求めるのではなく、できる仕事をしていかなければ、採用は難しいと思うので、できることを探していきたいと言った。

それで、できることといえば、フォークリフトの運転か、営業ぐらいが思いつくところだといった。担当者が車の運転はどうか、タクシー運転手はどうかと言う。タクシーは今、非常に厳しいのは周知の事実だ。大型はどうかという。

タクシーも大型も、あまり気が進まない。

就職とは別に、職人の道も考えているといった。ポリテクで職業訓練を受けたこと。どの科を受講するか決めるとき、電気工事にしようかと思ったこともあったが、辞めた。美しいものを産み出す仕事がいい。
パン屋とか陶芸家とか、蕎麦屋とか・・・。パン屋は非常にキツイ。低賃金だ。初期投資も2000万ぐらいかかる。

すると、あなたは、したいことではなく、できる仕事を探すといったではないかと、突っ込まれた。収入を得なければなりませんからと。

ここは重要なポイントなのだ。「あなたのパラシュートは何色?」にもあるように、仕事選びには大きく分けて、二つある。

とりあえず、条件のいい会社にいかに就職するのかの、技術、応募のしかた、面接の受け方をレベルアップするやりかた。

もう一つは、自分が本当にやりたい仕事を探すために、自己分析を徹底して行い、本当にやりたい仕事に就く、やりかた。


始めに書いたように、できることで、就職するというのが、無難な選択だとおもっている。ただ、できることの中でも、好きな部分がある仕事、やりたいことに近い仕事を選べばいいのだ。(本当にやりたいことが分からないのだが)

農業だと、借り入れ金数百万~2000万。単独で田舎に行く決意ができるかといえば、踏み切れない。パートナーがいれば少しは変わってくるだろうが、単身で、しかも、一人っ子で、親が高齢、介護が必要となれば、この選択はあり得ない。



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ニート?の言い訳。

2005-05-30 22:56:55 | インポート
 自分の現状はパラサイトである。求職活動をしているが、なかなか決まらない。人生の方向性がはっきりとしないことが

原因だ。かつての終身雇用では、企業に就職して、その企業の中で、キャリアを積んでいけば、順調に出世できた。

今は、個人が会社という共同体と距離を置き、自分で自分自身のキャリアを磨き、どこに行っても通用するように自助努力する必要がでてきた。

そもそも、前の会社を辞めたのは、強いストレスのため、心身に異常が生じたためだった。極度の緊張感から来る頭痛、手の痺れがあり、このまま勤めていれば、本当に潰されてしまうと思った。脳神経外科では、仕事を辞めれば治ると言われた。
そんなとき、実家が引越しするという話が持ち上がり、これを機会に引越しと同時に会社を辞めたのだった。2002年の9月だった。

翌年の1月から、職業訓練に通うことにした。

失業保険を貰いながら、職業訓練で、エクセルと簿記を勉強した。なぜ、これらを選んだのかといえば、エクセルぐらい使えて当たり前の時代だし、簿記は、とりあえず勉強するには、やっていて損はない勉強だと思ったからである。

職業訓練が終わり、いざ、再就職活動に取り掛かったが、応募してもよい結果が得られなかった。なにがしたいのかが、分からなかった。せっかく、簿記をやったのだから、その延長上で、税理士を目指すのはどうだろうかとか、就職に有利な資格を取ろうかとか思いつつ、就職活動していた。

求人を見ると、理学療法士が多かった。オバタ カズユキの「資格図鑑」に比較的おいしい資格として、理学療法士が紹介されていたのもあって、よし、理学療法士になろうと、専門学校に入るための勉強を始めた。2003年の夏だった。

両親は共に、高齢で、母の体調が悪くなり、秋ごろになって、専門学校に500万以上の金を払い、3年間の学生生活を続けてよいものかという気持ちが生じていた。そもそも、理学療法士になる動機が、安定しているから、医療職は、これから先、安定しているからというのは、いかがなものかという疑念があった。

母の具合は悪くなり、半寝たきりになった。現在は介護申請が通って、週に5日ホームヘルパーさんに来てもらっている。

こんなことをしていてはいけないと、雇用能力開発機構がやっている、「就職実践プログラム」を受講し、これまでの自分の棚卸し、職務経歴書の作成を行った。そして、再就職活動に入った。

その甲斐あり、前職の経験が活かせる商品管理の仕事に就くことができた。2003年12月だった。

だが、ここを1日で辞めたのである。

その後、内定しては辞めるとう異常な事態になり、合計4つの会社を、内定しては、辞め、今日に至っている。

前職を辞めてから、3年になろうとしている。求職活動をしているのか、していないのか、だらだらと過ごしてしまっている。

ニートなのであろう。ニートであったり、失業者であったり。

何故、辞めてしまうのかの根本の理由を解明しないと、いけない。まず、応募の段階で、その仕事を本気でやっていけるかどうかの見極めが甘かったといえる。みんな、ガテン系だ。

前職で、フォークリフトに乗っていたので、ガテン系に抵抗はないつもりだったが、心の底では、自分はガテン系はしたくないと思っていたのかもしれない。そのことに気づかずに応募してしまった。応募するところが間違っていたのではないか。

あるいは、嫌だという気持ちがあっても、我慢することが大事なのだろうか。どこまで我慢すればよいのだろうか。嫌だ嫌だと思いながら仕事するのはどうかと思う。

もちろん、仕事だから、嫌なときもあろう。困難を乗り越えなければならない。逃げてはいけないと思う。それは分かっている。

だが、ここまでなら、許容できる嫌な仕事という範疇から外れた仕事に応募していたと思うのである。

3年もの間、全く空白だったわけではない。母の介護もあった。職業訓練(エクセル・簿記)もあった。職業訓練(住宅サービス)もあった。就職活動もしていた。農業はどうだろうと調べていた。パン職人はどうだろうと、いろいろ調べた。

だが、一歩を踏み出せずに、今に至っている。このまま就職したとして、会社で、希望を見出すことができるか疑問に思ってしまう。だったら、独立する方向はどうか。

うどん屋。そば職人。ぱん屋。農業。陶芸・・・。

そんなことを考えながら、今、介護の会社の営業職に応募中だ。面接を受けて、結果待ちである。



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日傘

2005-05-29 12:57:09 | インポート
 何故、女性ばかりが日傘をさして、炎天下を快適に歩いているのか。 僕は、羨ましいと思った。

それで、男だからといって、日傘をさすのを恥かしいと思うことはない!どうどうと日傘をさそうと決意した。

それで、ネットで探すと、高い!1万円も払う余裕はない。

別に、日傘ではなくても、雨傘でもよい。

当面は、折りたたみの雨傘で代用することにした。

紫外線が肌に悪い影響を及ぼすということが世の中に浸透してきたのだから、これからは、美容だけではなく、健康面からも、男も日傘をさすのが当たり前の時代がいずれくるかもしれない。 

オゾンの破壊で、太陽は、20年前30年前の太陽ではなくなってきているしね。

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