息子の自転車事故で学ぶ

息子が自転車通学中に危険運転車に轢かれた。その後の保険会社や加害者の対応、決着など綴ります。時系列になってます。

後遺症に苦しむ息子

2019-11-11 14:16:27 | 息子の交通事故
中1で〈被害者〉となってしまった長男は現在中3、受験生です。


事故から丸2年、身体の傷は頭部打撲、頚椎捻挫、手足の打撲と擦り傷でしたが、すでに完治しています(=と思います)。





厄介なのは心のキズです。


3歳から乗っていた自転車に、事故後は乗れなくなりました。


親としては、(怖い目にあったのだから仕方ない、無理強いするのは良くない)程度に考えていました。


しかし、中学校までは約4キロある上に、近頃の中学の通学バッグ等の荷物は10キロ前後の重さがあり、悪い事に、都合の良い公営交通機関はありません。


小学校卒業から半年の子供には、過酷な通学でした。


冬場でしたので、朝暗いうちに家を出て、真っ暗になってから家に辿り着く毎日。


朝、『もう、歩けない』と云って、休んだ日もありました。




事故から数か月後に心療内科を訪れました。


事故による“不安恐怖症”と診断されました。


いわゆる〈PTSD〉です。


3か月通院し、自転車通学が再開できるようになりました。


(ヤッターッ!治った)と思い、通院を止めました。




ところがです。


事故から1年後の朝、『きょうは(自転車ではなく)歩いていく』・・・と突然言い出しました。


まさに"青天の霹靂"でした。

理由を聞くと、『事故が起きたのは、去年の(部活の)新人戦の次の日だった』


『きのう新人戦だったので、ちょっと今日は歩いて行きたい・・・』




(なんてことだ!)とガックリきたと同時に、しまい込んでいた加害者への怒りが再燃しました。


“フラッシュバック”と言われる心的現象です。


本人がやっと押さえこんだ、心のキズ。


〈新人戦の翌日〉というキーワード?が、事故を心の中で再体験させ、再び恐怖がこみあげてきたのでしょう。


命の危険に係わるような恐怖体験は、フラッシュバックが起こることが多いそうです。


本人は言いませんが、悪夢としてあの事故をみることもあるのでしょう。


そして何度も何度も、追体験していたのではないでしょうか。


その日以来、本日現在まで、息子は一度も自転車通学をしていません。

『しない』ではなく、『できない』のです。



ですが、医学療法はもうしません。


よくは判りませんが、深い心の傷なんて、一生治る事は無いのかもしれません。


本人が自力で立ち向かい、心の奥底に沈めてしまうしかない。


タチの悪い癌と一緒で、死ぬまで付き合わされるのかも知れない。




幸い、今は事故当時より身体も大きくなり、体力も増し、片道1時間の徒歩通学にも慣れて、もう苦にしていません。


自転車にも乗れるようになりましたが、通学は無論、事故現場には近づきません。


PTSDとはそういうモノでしょうから、今は私も強制はしません。


先のことは分かりません。






少なくとも今の私に言えることは・・・・


息子の、通学道路の端を自転車で学校に向かっていたら、後ろから車に押され、転倒したところをその車にハネ飛ばされるという経験は、12歳の子供の精神にとっては、限界を超えていたということです。








やるべきこと

2019-11-06 19:15:45 | 息子の交通事故
前回の続きです。


(千葉在住の我が家、この秋の3連続台風によるウチの風水被害は軽度でしたが、まだ元通りにはなっていません。本当に深刻な被害を受けた方々は、どれほど大変なのだろうかと思い巡らし、心が痛みます。経済的な事だけをとっても、行政も保険会社も、結局はお金を出し渋りますから・・・
言い訳ですが、そんなこんなでブログの更新も遅れがちで、申し訳ございません。)





さて、私の主張がすべて認められた地裁の調停が終わっても、やはり心は晴れませんでした。


(今年の2月の話で、息子が通学路で60代のドライバーに轢かれてからは、1年3か月後です。)


それは当初からお金が目当てじゃなかったので、いくら金銭で補償されても、ちょっと違うなと感じてしまうのです。


しかし、正直言って私も凡人の一人です。


これ以上加害者や保険会社とか警察を相手に争う事は、精神的にかなりキツイのです。


かと言って水に流すのも・・・・・


そこで思い当たりました。


“世間の人たちに発信”・・・・つまり事故から1年後に時系列を遡り、備忘録を兼ねて書き始めたこのブログでした。


興味を持って読んで戴けるかどうかは、分かりません。


むしろ同様の体験を持つ方々以外は、自分には関係ないとスルーするでしょう。




ですが、交通事故・犯罪・天災被害など、いつ誰がどこで遭うか、判らないのも事実です。


世の中の人全員が、被害者の予備軍です。


私は少しでもお役にたてればと考え、詰まらなく拙い文章ですが、これからも私の体験をブログで発信します。




息子の事故を通して、私は学びました。


それは・・・・


・加害者は、ウソをつく
・警察は、重大な事故以外は動かない
・保険会社は、理不尽


・・・・という事です。


上の理由のすべては、自分もしくは組織の”保身の為” (と私は思います)。


トランプ大統領じゃないですが、『自国(=自分)ファースト』です。


そして結局は、”パワーゲーム”になります。


強いものが勝つ。


そこには正義も理屈も、人情もほとんどありません。





地裁の調停が終わった後に

2019-10-23 16:41:28 | 息子の交通事故
地裁の調停を受け入れ、調停室を辞すとき、調停委員の内の一番年かさの方が、(調停が成立して安心したのか)私ども(=両親)につぶやきました。


『やはり、(加害者は)やっていますね・・・』


意味は、加害者(の車)は、息子の自転車を後ろから当てて転ばして、(自転車が)転倒し、路上に転んだ息子をバンパーで撥ねた・・・のが事実らしいという事です。


つまり、私が当初から主張したように、『息子が勝手に転んで、避け切れなかった』という加害者の説明は、真っ赤なウソだったという意味です。


何故なら、(その調停官の思惑では)そう仮定しないと、相手方の弁護士がここまで譲る筈はないだろうという訳です。


そして、保険会社はそれに便乗した。


これが十中八九の”真相”です。






つらつら思えば、調停官らは私の上申書等により、この事は最初から分かっていたのではないでしょうか。


しかし、それをハナから私どもに言ってしまえば調停は成立しないので、調停を成立させる為、私どもには言わず、相手方を押し込める材料にしたような気がします。


あの“大岡裁き”とは似て非なる、現代の調停です。






調停室を出る前に、調停官らは相手方の弁護士を招き入れ、私共と対面させました。


(こちらがあとでゴネた場合の、『証人揃え』なのか?・・・・)


シブシブ(←と私は感じた)出てきた相手方弁護士の曰く、『ウチにも中学生の子供が居ますから』(・・・・だから折れたという意味らしい)


その弁護士に、中学生の子供が居るかどうかは知りませんが、もしその言葉が本当であれば、弁護士としてはどうかと思います。


私の認識では、弁護士とは、法と正義と真実のみに則るべきであり、そんな私情を挟むなんて・・・・。




ですが、おかげ様で、どうやら今後、私の為すべきことが見えてきました。







手切れ金?が入金されました

2019-10-21 18:15:26 | 息子の交通事故

調停案を受諾してから2週間後、保険会社からおカネが振り込まれました。


約100万円です。


私のような庶民にとっては、大した金額です。


しかし、嬉しくもなければ、その金の使い道を考える気もしませんでした。
(2019.10.21現時点でも、事故から約2年、送金から9か月を経ましたが、まだそのまま、手をつける気もしません)


これで『一件落着』、ケースクローズにされたのかと思えば、満足感のカケラもありませんでした。


どうしたら・・・・


決着したのは民事ですから、事故に関し改めて警察に被害届を出し、加害者と保険会社を訴えて刑事で争う事は、出来るかもしれません。


しかし、ハードルは高く、労苦は多いだろうし歳月も費用もかかり、すべてが無駄な努力に終わる可能性も高いです。


心のカタルシスを得るためには、何をなすべきか・・・・。










苦渋の選択

2019-10-04 13:37:51 | 息子の交通事故
2017年11月の事故から地裁の調停まで、すでに1年以上たっていました。


(私との交渉に)加害者側の保険会社が行き詰まり、弁護士を立て調停を申し込みました。


調停案は、以前のブログ記事に書きましたが、慰謝料を含む補償額のレベルは、裁判判決並みです。


加害者と保険会社が、過失割合を100-0と認めたうえでの、”全面降伏”です。


私共両親は、調停案を「不本意ながら」受け入れることにしました。


不本意なのは、もともとおカネ目当で事故翌日から、1年以上動いてきたわけではないからです。


加害者のウソと保険会社の横暴・傲慢な対応の誤りを証明するために、1年以上クレーム&コンプレインしているのです。


ですから私共にとっては、初めから金額の問題ではないのです。


しかし、調停ではそこを討議できないし、調停委員も相手方弁護士も、そのアングルを敢えて避けているように思います。




ですが、事故から1年以上もたつ今、被害者である息子も私共家族も、前に進まないといけないのです。


「苦渋の選択」なのです。