江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

私と「道」の関係(6) ー通学路①ー

2024-06-13 | 随想
今回は子ども時代の「通学路」にまつわる話を紹介する。

集団登校として組織されていたわけではないが、集落の子どもたちは自ずと友達どうしが連れ添って登校していた。
年長者は誰に言われるともなく、近所の下級生の面倒を見ていたように思う。

しかし、わんぱく盛りの私たちは、ある時、集団とは離れて独自のルートで登校を試みたことがある。
通常の道を通らないだけではなく、車はおろか自転車すら通れないような道なき道を進んだ。

下総台地の特徴とも言うべき赤土の畑地帯が続く先には複雑に入り込んだ小さな谷がある。
その斜面には雑木林が繁り、蔦が垂れ下がっている。
秋には、甘く美味しいアケビが獲れることもある。

この斜面を登る道が何ともスリルがあって楽しい。
場所によっては昼なお暗い細道である。
そこをワイワイはしゃぎなら歩くのはまるでハイキングだ。

この道を行くと時間がかかるのは分かっていたので早めに出発したのだが、途中を十分楽しみ過ぎたためか学校に着いた時は既に定刻を回っていた。
朝の掃除は終わっていたようだが、授業には間に合ったので先生からは何のお咎めもなかった。



下校は時間無制限だから安心して冒険ができた。
朝は絶対に私たちには加わらない女子たちも、帰りは時々一緒に下校することもあった。
そんな時は決まってイタズラをするのだった。

先に走って行って物陰に隠れ、おしゃべりに夢中な女子たちの前にワッ!と言って飛び出す。
キャーキャー言うのが面白くて作戦が次第にエスカレート。
畑に落ちていた縄を、「ヘビだぞ~!」と投げ出したり、中には道端の藪の中から水道の散水の様に小便で放水する仲間もいたりした。


こんな楽しい登下校であったが、一つだけ誰にも言えない(言ってない)苦い経験がある。
それは、どうしても我慢できずに大便をパンツの中に漏らしてしまったことだ。

当時の学校のトイレは男女の区別がさほど明確に分かれていなかった。
つまり、男子はドアなし境なし開放型小便所で、女子は当然ながらドア付き個室である。
男子の大便器はあったのかなかったのか記憶してないが、人目に触れずに大をするのは至難の技であった。
したがって、自ずと男子は大は我慢するしか なかったのだ。

そんなわけで、その日、私は一人急いで下校するのだったが、耐え切れず途中でちょっとだけ出してしまった。
幸いにも固いポロポロしたものだったので、外にはこぼれずに済んだが、帰宅して処分してからも絶対に母親にも言わなかった。


「道」からはだいぶ逸れた話になってしまったが、忘れられない少年時代のエピソードである。





<すばる>

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