江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

文部省唱歌「田植」が頭をよぎった

2023-07-02 | 随想
私は時々、何の脈絡もないまま、歌の歌詞のフレーズが頭に浮かんでくることがある。
それも、ほとんどが子どもの頃に口ずさんだ曲なのだ。

自分では曲を作るどころか楽器もハーモニカ程度しか演奏できないのだが、ご多聞に漏れず私も昔から音楽は好きだった。

小学校の頃は音楽専科の先生はおらず、1〜2年は女性の先生がオルガンで校歌をはじめいくつかの文部省唱歌を教えてくれた。
そして、3〜6年の担任はずっと一人の男性教員だったが、この先生は社会科と体育が大好きな他に学芸会の演出が抜群に素晴らしかったことを覚えている。

音楽は、どちらかというと得意ではなかったようだが、色んな歌を自分で歌って教えてくれた。
そして、ほとんどはそれをハーモニカで吹いてくれた。
だから、私たちもそのメロディーがだんだん頭の中に染み込むように入っていったのだと思う。
楽譜など見た記憶は一切ない。

私が今でもハーモニカで吹ける曲の一つに次の一節がある。
出だしだけはよく覚えているが、歌詞は途中から曖昧だ。
そこで、ネットで探したら以下の通りだった。

「太平洋」
♫波涛(はとう)  千里 洋々と
東にうねり 西に寄せ
日出ずる国の 暁(あかつき)に
雄々しく歌(うと)う 海の歌
黒潮越えて いざ行かん
われらの海よ 太平洋♫


流石に戦前に作られた文部省唱歌である。
でも、何故か担任はこのメロディーが好きだったようだ。



実は今回、お伝えしたかったのはこの曲ではなく、同じく文部省唱歌である「田植」という曲だ。
この曲はほぼ歌詞を覚えていて今でも歌える。
だから、ある日、突然頭に浮かびアウトプットしたのだろう。

因みに今思うと、この曲は民謡の「相馬盆唄」の歌詞に似ている。
以下に掲げる。

「田植」
そろた 出そろた
さなえが そろた
植えよう 植えましょ
み国のために
米はたからだ たからの草を
植えりゃ こがねの花が咲く
そろた 出そろた
植え手も そろた
植えよう 植えましょ
み国のために
ことしゃほう年 穂(ほ)に穂が咲いて
みちの小草(こぐさ)も 米がなる

参考に「相馬盆唄」も掲げる。

ハアーイヨー 今年ゃ豊年だよ
(ハアーコーリャコリャ)
穂に穂が咲いてよヨー
ハアー 道の小草にも
ヤレサナ 米がなるヨー
(ハアヨーイヨーイヨーイトナ)
ハアーイヨー そろたそろたよ
(ハアーコーリャコリャ)
踊子がそろたヨー
ハアー 秋の出穂より
ヤレサナ よくそろたヨー
(ハアヨーイヨーイヨーイトナ)
ハアーイヨー 踊りつかれて
(ハアーコーリャコリャ)
寝てみたもののヨー
ハアー 遠音囃子で
ヤレサナ 寝つかれぬヨー
(ハアヨーイヨーイヨーイトナ)


この「田植」の歌詞に「み国のために」とあるが、担任は「みんなのために」と教えてくれた記憶がある。
戦後の学校に「御国」はふさわしくないと思ったからであろう。

この歌は、時々私の頭をよぎるのだが、今日あらためて感じ入った言葉がある。
それは、「米は宝だ…」という文言である。


かつて、日本の農業は米作中心で農家の主な収入源であると同時に、国内の主食として欠かすことのできない重要な農業生産物であった。
今でこそ米の消費量が減り、米価も下降し続けているが、日本はずっと主食米が不足して輸入に頼っていた時代が続いた。
戦後になってもかなり長期にわたって米の輸入が続いたと思う。

その意味では、「米は宝」であったと思う。


私は農家出身の長男であるが、もう既に生まれた頃から実家は専業農家ではなくなっていた。
安定した現金収入が必要だったからだ。
それでも、家族で食べるだけでは余る米は供出していたものだ。
しかし、それも祖父母が高齢化すると共に難しくなっていった。
米作りは、それなりに重労働であったのは、子ども時代に手伝った経験からも分かる。


かくして私は農家を離れ都市生活者となったわけだが、日本の米作を中心とした農業の行く末が案じられてならなかった。
一番の問題は、米作りだけで経済的な安定を得るのはほぼ無理な状態が慢性化していることだ。
特に日本は零細農家が多く、農業に専念するのは困難を強いられた。

そして、一番の問題点は国による農業政策が世界的にもかなり遅れていることである。
主食の米をはじめ食料の安定した確保は「食料安保」と言われるように国家の最重要課題になるべきだが、現実に行われている農業政策は極めて貧困と言わざるを得ない。


フランス等の欧州諸国が農業所得の約90%を助成金で占めているのに対し、日本は30%にすぎない。
各国とも自国の農業の持続性を維持するために様々な支援策を講じているのだ。
つまり、農業で食っていける体制を整えているわけである。

そうしたこともあってか、世界「先進国」の食料自給率も軒並み高く、農水省の調べでも日本の自給率が38%なのに対し、カナダ266%、オーストラリア200%、アメリカ132%、フランス125%、ドイツ86%、イギリス65%、イタリア60%、スイス51%となっている。


「米は宝だ」の歌に端を発して昨今の日本の農業を見てきたが、こうした米作りに象徴されるように農家が豊作を祈るような歌が語り継がれることも無意味ではないと思う。

願わくは、21世紀バージョンの豊かさを求める農家の歌が生まれることである。



<すばる>

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1 コメント

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Unknown (外山理佳)
2023-07-04 19:14:04
政府は、武器を輸出することに血道を上げるのではなく、食料自給率を上げるための政策を考えなければいけないと思います。
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